横山 由清(よこやま よしきよ、文政9年5月(1826年) - 明治12年(1879年)12月2日)は、江戸時代・明治時代の国学者・歌人である。本姓は小野。従六位。通称は保三、号は月舎。塚越敬明の子として江戸に生まれる。横山桂子の養子となって国学を本間遊清・伊能穎則に、和歌を義母や井上文雄に学ぶ。始め和学講談所教授となるが、明治2年(1869年)昌平学校史料編修に任ぜられる。また宇都宮義綱・瀬脇為好とともに大学中助教となる。また制度局御用掛語箋編輯として法律制度の整備に携わる。明治3年9月18日(1870年10月12日)少史に任じられ従七位に、明治4年7月29日(1871年9月13日)左院に転じ権少史となり、同年12月12日(1872年1月21日)正七位となる。明治5年10月8日(1872年11月8日)左院五等議官に就任。明治7年(1874年)10月10日には左院四等議官となり、明治8年(1875年)2月24日、従六位に進む。同年4月に元老院と改組されると、同年5月24日、少書記官となり、このころ黒川真頼らと『旧典類纂』田制篇などの書物の編著をしている。明治10年(1877年)1月19日、元老院を依願免本官となるが、同年3月1日、元老院御用掛、同年8月20日、文部省兼勤、同年10月25日には元老院権少書記官に任じられた。晩年は東京大学で古代法制史を講じた。明治12年(1879年)12月2日病死。墓は東京の谷中天王寺にある。
出典:wikipedia
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