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真宗大谷派四日市別院

真宗大谷派四日市別院(しんしゅうおおたにはよっかいちべついん)は、大分県宇佐市四日市にある真宗大谷派の寺院である。同派の別院。真宗本廟(東本願寺)を本山と仰ぐ。日豊教区に所属する。浄土真宗本願寺派の本願寺四日市別院(西別院)と隣接し、東別院とも呼ばれる。このように両派の寺院が隣接する景観は他の地域では見られないとされる。江戸時代には九州御坊と呼ばれ、九州の同派寺院を総監する大寺院として栄えた。東別院の堂宇5件は2009年に国の登録有形文化財に登録された(西別院の堂宇も2016年に国の登録有形文化財に登録)。永禄5年(1562年)、宇佐郡山本村の虚空蔵寺跡に「専養庵」を結ぶ。天正6年(1578年)、統綱の子・統述(むねのぶ)は、顕如の長男である教如に師事し、「真勝寺」の寺号を受ける。後に東派に改派する。元文2年(1737年)に、真勝寺第8世住職・宗順の借金問題を発端として、真勝寺の末寺や門徒達の間で「真勝寺騒動」と呼ばれる派閥争いが起きる。この騒動により宗順は本山から退隠を命じられ、真勝寺は本山(東本願寺)の抱寺となる。寛保3年(1743年)、宗順は森山村の教覚寺や川部村の正明寺などの末寺11ヶ寺と門徒1,300戸とともに西派の本願寺に改派する。真勝寺本堂は、最終的に西派が所有するところとなる。同年閏4月、この騒動は寺社奉行・大岡忠相の裁可によって、真勝寺は公儀没収、宗順は遠島となる。延享元年(1744年)、寺跡は幕府から東本願寺に下附されることとなる。真勝寺は九州における東本願寺の最初の本山掛所となり、御坊格式の儀も許可され「本願寺掛所豊前四日市御坊真勝寺」となる。文政8年(1825年)、本堂が完成する。慶応4年(1868年)1月14日、御許山騒動によって焼失。明治13年(1880年)、本堂を再建する。

出典:wikipedia

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