『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄による日本の児童漫画・SF漫画作品、及びそれを原作としたアニメ、映画、キャラクター商品である。漫画は、小学館の発行している学年別学習雑誌やコロコロコミック他多数の雑誌で1970年代初頭から1990年代中盤まで連載されていた。1973年に日本テレビ系列で最初のアニメ化がなされるも、半年程度の放送で終了する。その後1979年にテレビ朝日系列で再びアニメ化され、こちらは大ヒットとなり、2005年にはスタッフ・キャストを一新して大幅なリニューアルが行われ、現在も放送中。22世紀の未来からやってきたネコ型ロボット「ドラえもん」と、勉強もスポーツも駄目で何をやらせてもドジばかりの小学生「野比のび太」が繰り広げる少し不思議(SF)な日常生活を描いた作品である。日本国内においては国民的な人気と知名度があり、作品や登場人物が一般社会に広く浸透している。日本国外でもよく知られ、東アジアを中心に世界中で高い人気がある。本作は、一話完結型の連載漫画である(例外として「大長編」もある)基本的なプロットは、「ドラえもんがポケットから出す多種多様なひみつ道具で、のび太の身にふりかかった災難を一時的に解決するが、道具を不適切に使い続けた結果、しっぺ返しを受ける」というものが多い。日常生活の中、別世界からやって来た主人公が持ち出すさまざまなひみつ道具をめぐりストーリーが展開するという手法は、前作の「ウメ星デンカ」のストーリー構図をほぼそのまま踏襲しており実質的な後継作品ともいえる。このプロットは、作者の藤子・F・不二雄が自身のSF作品で描いた独自定義「すこし・不思議」(Sukoshi Fushigi)という作風に由来し、当時の一般SF作品の唱える「if」(もしも) についての対象を想定した回答が反映されている。作品の主人公はドラえもんであるが、上記のプロットのように物語の主な視点人物はのび太である。何をやらせてもまるで冴えない小学生の野比のび太。お正月をのんびりと過ごしていると、机の引出しが開いて中からネコ型ロボットのドラえもんと、のび太の孫の孫のセワシが未来から現れた。セワシの話によると、のび太は成人後も数々の不運に見舞われ、就職できずに起業したものの、その会社も倒産したため莫大(ばくだい)な借金が残り、子孫たちを困らせているという。セワシはそんな悲惨な未来を変えるために、ドラえもんをのび太の世話役として連れてきたのだった。その後、ドラえもんとのび太は深い友情関係で結ばれることになる。ドラえもんがおなかの四次元ポケットから取り出す「ひみつ道具」は、のび太のさまざまな夢や願望を魔法のように叶えてくれる。近所に住む憧れの少女のしずかや、いじめっ子だが根は優しいスネ夫やジャイアンなどの友人たちも交えた日常の中で、のび太は道具に頼りがちになりながらも反省し学んでいき、彼が歩んでゆく未来は少しずつより良い方向へと変わってゆく。本作の連載開始当初は、ドラえもんが騒動を巻き起こすギャグ漫画としての特色が強く、ストーリー性の強い作品は見られなかった。『コロコロコミック』掲載時などでは、柱の煽(あお)り文句は「日本一のギャグまんが ドラえもん」となっていた。しかし連載が進むにつれて次第にギャグ漫画の特色が薄くなり、作品のストーリー性が強くなっていった。読者層(掲載各誌)が小学校在学の児童全学年と広範囲に展開されているため、読者の年齢差を意識して、作品内容を描き分けて連載されていた。低学年ならセリフも簡単でひみつ道具の楽しさが描かれ、中学年ぐらいではのび太の成長などのストーリー性が強くなり、高学年だと環境問題を扱うなど複雑な内容も増えている。また絵柄も描き分けられていて、低学年向けの話ではキャラクターの頭身が小さく容姿が幼いが、高学年向けになるほど頭身が大きくなってきて容姿がやや大人びている。小学館ドラえもんルームは、ドラえもんとのび太の関係が、連載が進む中で変化していると著書に書いている。ドラえもんは役目を終えて未来に帰ったことがあり、その一件により「世話係と世話をされる者」といった関係は終わり、以降は「一緒にいたいからいる」という関係に変化しているとのことである。1969年より、小学館の学年誌(『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』『小学二年生』『小学三年生』『小学四年生』)にて連載開始した。いずれも1970年1月号で、当時の作者名義は「藤子不二雄」。1話ごとに完結する短編として執筆。タイトルロゴは赤松育延によるもので、ドラえもんの手足をイメージしている。藤子・F・不二雄が執筆した作品は全1345話(短編・中編・長編)。ただしその一部 は、執筆当時のチーフアシスタントであるたかや健二による執筆となっている。1987年以降は作者の藤本の体調面の問題もあり、短編の連載は少なくなった。大長編(後述)を除く、作者本人の手による最後の単発作品は、全3回の集中連載作品「ガラパ星から来た男」(第45巻収録)となっている。『ドラえもん』本編連載のほか、1974年には、ドラえもんの妹「ドラミ」を主人公に据えたスピンオフ作品『ドラミちゃん』が連載され、のちに『ドラえもん』本編に統合された。1973年に初めてテレビアニメ化され、日本テレビ系で半年間放送された。内容は連載開始当初のドタバタ喜劇の色合いが強かった。関東地区の視聴率は平均6.6%と決して高くはなかったものの、3クール目の放映続行が決まりかけた矢先、社長の突然の失踪により制作会社の日本テレビ動画は解散し、打ち切りとなる。なお、翌1974年3月には原作の漫画連載も最終回として「さようならドラえもん」が描かれたが、作者が思い直し、翌月「帰ってきたドラえもん」によって連載は継続される。1979年に2度目のテレビアニメ化が今度はテレビ朝日系でされた。1974年8月から発行開始された原作の単行本が大ヒットとなっており、前回とは違い大人気作として迎えたアニメ化であった。高い人気を得て、同局の看板番組となるまでに発展を遂げ、長寿番組となっている。2005年には、声優やシンエイ動画の制作スタッフなどを一新する大幅にリニューアルが(映画版も含めて)行われ、現在も放送を続けている。詳細は以下を参照。1980年からはアニメーション映画の原作として長編の執筆を開始し、これを『大長編ドラえもん』と称している。『ドラえもん』の長編作品であり、映画公開に先行して『月刊コロコロコミック』で連載された。通常執筆するのは1話完結型の短編作品だが、『大長編ドラえもん』は1つのエピソードを数回に分けて連載するストーリー漫画型の長編作品であり、単行本も『ドラえもん』からと独立した『大長編ドラえもん』シリーズとして発行している。映画にふさわしく日常生活ではないスケールの大きな舞台で、ドラえもん達が互いに協力して困難を乗り越え、成長する冒険物語が描かれる。このころは『大長編ドラえもん』を含めると8本の雑誌に同時連載していた。1996年に藤子・F・不二雄が逝去した後も、藤子・F・不二雄プロの萩原伸一(むぎわらしんたろう)および岡田康則は、『大長編ドラえもん』シリーズの続巻を2004年まで執筆した。ただし藤子プロ執筆の巻は「まんが版映画シリーズ」として、藤子・F・不二雄本人が執筆した巻とは区別されている。『ドラえもん のび太の恐竜2006』(2006年公開)以降の映画は「大長編ドラえもん」としては漫画版が執筆されていない。ただし、『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』(2007年公開)以降は「映画ストーリー」として岡田康則(単行本では「藤子・F・不二雄プロ」名義)が漫画版を執筆している。単行本は既刊5巻。純粋な漫画版を執筆するのではなく、外伝漫画を執筆することもある(ドラえもんの派生作品#映画ストーリー超特別編を参照)。2004年に、すべての作品を収蔵した「ドラえもん文庫」が開設された。作者の出身地で知られる富山県高岡市の高岡駅前再開発ビル「ウイング・ウイング」内の高岡市立中央図書館の「ドラえもんコーナー」と、富山大学横山研究室である。これはドラえもん研究で知られる富山大学の横山泰行教授が、収集した単行本計671冊を寄贈、図書館側も協力して実現した。収集家の間でも入手困難とされる初版初刷の単行本第1巻から第10巻を含む全45巻を所蔵している。書籍の内容は、雑誌に掲載されていた全作品を原寸大で複写し、フルカラー作品はすべてフルカラーで複写して、それを製本化して収めたものである。出版されている全集としては、「藤子・F・不二雄大全集」の『ドラえもん』(全20巻)および『大長編ドラえもん』(全6巻)が挙げられる。いずれも小学館からの発行。連載期間については米沢(2002年)による。なお、雑誌の号数による表記のため、実際の発売月とは1か月ずれるので注意が必要。また、『月刊コロコロコミック』2002年4月号から「コロコロ創刊25周年記念 名作劇場ドラえもん」と題して再掲載されている(ただし毎年1月号から3月号は映画の漫画版が掲載されるため休載となる)。ドラえもん学の提唱者である横山泰行は、総数を1344としている。内訳は以下のとおり。『ドラえもん』ができるまでの過程を描いた漫画『ドラえもん誕生』によると、新連載の締め切りが間近に迫り作品の構想がまるで浮かばないという切迫した状況にもかかわらず、藤子・F・不二雄はアイディアがすぐに思い浮かぶような便利な機械があればいいのにと空想したり、過去にもアイディアが思い浮かばないままドラネコのノミ取りを始めたという経験があったなどと、埒(らち)もないことを考えて無駄に時間を潰してしまう。そしてついに締め切り日の朝が訪れ、困り果てた末に「なんにも、ぜーんぜんまとまってない!! わしゃ破滅じゃー」と叫びながら階段を駆け下りたところ、たまたま置いてあった娘の起き上がりこぼしのポロンちゃんにつまずき、その瞬間「ドラネコと起き上がりこぼし」というアイデアが結びつき、ドラえもんが誕生したという。また、「ダメな人間を便利な機械で助ける」という内容も自分に重ね合わせてこの時に思いついたものだという。上記のように連載直前までキャラクターが決まっていなかったため、連載開始前月に掲載された予告は、新作のタイトルも主人公であるドラえもんの姿も描かれていないという異例の体裁であった。藤子不二雄によれば、藤子・F・不二雄はドラえもんのキャラクターを作る際に、ネコのデッサンを漫画化したものを多数描いていたという。漫画評論家の米澤嘉博は、ドラえもんの発想の原型のひとつとして、何でも取り出す魔法のカバンを持ったネコのキャラクターが主人公であるアメリカの漫画『フィリックス・ザ・キャット』を上げている。『ドラえもん』は漫画、テレビ・映画アニメともに日本国外にも翻訳紹介され、特に東アジア・東南アジア諸国、スペイン、イタリアといった南欧諸国で人気作品となっている。日本国外の作品タイトルの表記は普通英語で「Doraemon」となるが、原作の「ドラえもん」というカタカナ・ひらがなの混ぜ書きを再現するために、アルファベットの大文字と小文字を併用して「DORAemon」などと表記されることもある。中国・台湾・マレーシアなどの中国語表記は、長らく「」(ロボットの猫という意味)、「」などとなっていたが、1997年以降の正規出版物は原音に近い発音の「」に統一されている(未だに「」と書いてあるものはまず海賊版)。韓国語表記は「」(読みは「ドラエモン(ただし韓国語は語頭のD音がT音に変化するため「トラエモン」と読まれることもある)」となる。南アジアでは英文表記では「Doraemon」だが、ヒンディー語表記などでは、「」「 (doremon)」となる。スペインでは「Doraemon el gato cósmico」(宇宙ネコ・ドラえもん)、アメリカでは「Doraemon Gadget Cat from the Future」(未来の猫型ロボット・ドラえもん)と国によっては原作にはない独自の枕詞が付けられることがある。原作の漫画が出版された国および地域は、中国、香港、台湾、韓国、ベトナム、フィリピン、マレーシア、シンガポール、タイ、ラオス、カンボジア、インドネシア、キプロス、イタリア、スペイン、フランス、ロシアである。各国のコミック雑誌(香港青文社「HAPPY DRAGON 快樂龍」など)にも連載されている。また、海賊版は東南アジアで広く見られる。アメリカ・カナダでは、2013年11月より電子書籍として配信されている(アメリカンコミック調に彩色を施し、登場人物に愛称を付けている)。1970年代には既に香港・台湾で中国語の海賊版が出版されており、日本文化が当時解放されていなかった韓国でも海賊版が『トンチャモン』というタイトルで出版された。そのため韓国や中国などでは、過去に日本の本家『ドラえもん』の方がコピーと誤解されたこともあった。ベトナムでは、正規版の出版以前に海賊版が1000万部以上売り上げており、1994年に正規版を出版するにあたって、それまで原作者に本来受け取るべき印税(日本円で2000万円相当)を支払いたいと申し出たが、藤子・F・不二雄が「このお金を基にして現地の子供たちのために役立ててほしい」と希望したため、貧困家庭の就学希望児童を支援する「ベトナムの子供たちのためのドラえもん教育基金」が設立された。藤子・F・不二雄はそれに合わせてベトナムを訪問している。多言語社会であるスペインでは、スペイン語(カスティーリャ語)、カタルーニャ語を含む5言語で出版された。アニメーションは、東アジア(中国、香港、マカオ、台湾、韓国)、東南アジア(インドネシア、マレーシア、タイ王国、ベトナム、フィリピン、シンガポール、カンボジア)、南アジア(インド、バングラデシュ、ブータン、ネパール、パキスタン)、オセアニア(オーストラリア)、北米(アメリカ合衆国)、中南米(ブラジル、コロンビア、チリ、アルゼンチン、エクアドル、ボリビア、ペルー、パラグアイ、ベネズエラ、パナマ、メキシコ、プエルトリコ、キューバ、ドミニカ共和国、ニカラグア、コスタリカ、ホンジュラス、エルサルバドル)、ヨーロッパ(スペイン、イタリア、フランス、ポルトガル、ポーランド、ベラルーシ、ロシア、イギリス)、中東(サウジアラビア、カタール、UAE、オマーン、イスラエル、トルコ)、アフリカ(アルジェリア、リビア、チュニジア)でも放送された(2016年2月現在、オーストラリア、アメリカ合衆国、ポーランド、イギリスでは放送されていない。)。また、外務省が文化紹介目的でレバノンやフィジー、東ティモール、ミャンマーなどで映画『ドラえもん のび太の恐竜2006』の上映を実施したこともある。木村純一プロデューサー(1998年当時)によると、東南アジアでのアニメ放送は視聴率が70パーセントを超えることもあるという。東南アジア諸国では、ママがドラえもんの道具でやり込められると子供が大喜びするという特徴も見られる。バングラデシュでは、インドのヒンディー語版が放送され人気を博したが、子供たちがヒンディー語をさかんに使うようになってしまい、公用語であるベンガル語の学習に支障が生じるとして2013年2月に放送が禁じられた。その後、2014年4月より新たに制作されたベンガル語吹き替え版の放映が始まった。アメリカ合衆国では、1985年にCNNのテッド・ターナーが50話分の放映権契約を結んだものの長らく放映が実現しなかったが、2014年7月よりディズニーの子供向けチャンネルディズニーXDで放送が始まった。このアメリカ放送版は単なる吹き替え版ではなく、テレビアニメ第2作第2期をベースにしつつ現地の文化・生活習慣に合わせてさまざまな変更を加えられたローカライズ版であり、舞台を日本からアメリカの架空の町に変えるなど設定が大幅に改変されたり、日本的な文物をアメリカの視聴者に馴染(なじ)みのあるものに改めるために細かな画像の加工や差し替えも行われている。また、暴力的な描写や性的な描写(ジャイアンの乱暴やしずかの入浴シーンなど)はカットされたり、フィクションの作品の中でも健康的な食生活を逸脱してはいけないという規制に従ってドラえもんがどら焼きをほおばるシーンが控えめにされるなど、そのほかにもアメリカの子供番組の放映基準に合わせた修正が行われている。日本では2014年7月から8月にかけて行われたイベント『テレビ朝日・六本木ヒルズ夏祭り SUMMER STATION』にて日本語字幕版として初公開上映を経て、2016年2月1日からディズニー・チャンネルにて『Doraemon』のタイトルで日本語吹き替え版の放送を開始した。スペインでは上述の漫画版のように多言語社会の国情を繁栄して、複数の言語で放送され人気を博している。2014年の9月から12月には94年の放映開始から20周年を記念して、視聴者参加型のアトラクション番組「」がシリーズで放映された。台湾の歌手周杰倫のアルバム『魔杰座』のシングルPV「時光機」、マレーシアの歌手四葉草のシングル「伸出圓手」は、それぞれ『ドラえもん』を題材にしている。中国では、2014年に各地で開催された「ドラえもんの秘密道具展示会」が大盛況となり関連グッズも売れたが、産経新聞によれば9月末から10月始めにかけて複数の中国紙が「われわれの傷みをドラえもんでごまかされるな」などドラえもん批判を行ったとして、「掲載のタイミングが一致しておりいずれもメディアを管理する共産党宣伝部の指示を受けて執筆したものとみられる」「反日姿勢を強める共産党当局の逆鱗に触れたとみられる」と報じた。成都市共産党委員会機関紙では、ドラえもんが日本の文化大使や2020年東京五輪招致の際の招致スペシャルアンバサダー(特別大使)を務めた(2013年4月5日 - 9月7日)ことなどに触れ「ドラえもんは国家としての価値観を輸出し、日本の文化戦略で重要な役割を果たす」「ドラえもんが善良な人たちの目に映る日本を象徴しているとすれば、侵略の歴史を隠し、国際的な緊張状態を招く安倍晋三政権もまた日本の真の姿だ」などの批判をしたという。しかし中国でもドラえもんの人気は高く、この官製メディアのドラえもん批判に対しても一般市民の反応は「「ドラえもんVS共産党宣伝部」というのをアニメでみたい」など冷やかだという。2015年5月に、読売新聞によれば2012年の「ウルトラマン」シリーズ以来(同年には尖閣諸島国有化を巡って日中関係が悪化していた)、中国の一般映画館で上映される日本映画の新作としては3年ぶりに「STAND BY ME ドラえもん」が上映された。また、2015年9月23日に中国淘宝網で『拜托了!小叮当』のタイトルで実写版が公開された。一般に、『ドラえもん』はアジア圏・南米圏で高い人気を得る一方で、欧米諸国では人気が奮わない場合が多い。このような傾向に関して漫画評論家の米澤嘉博は、「単に生活や風習の違いだけでは解釈することのできない、メンタルな部分がそこにはある」と述べている。作品の連載開始は1969年12月発売の1970年1月号。主人公は、未来の世界からやって来たネコ型ロボットのドラえもんと、東京都に住む8月7日生まれの小学4年生の野比のび太。作者によれば、のび太のモデルは、少年時代の作者自身である。作者の少年時代は、運動能力が低く、いつも漫画を描いていたらしい。他の登場人物も高岡市で過ごした少年時代の人間関係をモデルにしているという。藤子・F・不二雄の少年時代の友人の間では「ジャイアンのモデル」と目されている者もいるとのこと。藤子不二雄の自伝的漫画である「まんが道」の少年時代編においても、番長格の少年が登場する。さらに、しずかについては作者の理想の女性を描いたものだとする説がある。主人公に加えて「マドンナ」、「腕っ節の強い乱暴者」、「家が裕福で乱暴者の腰巾着」の三者が必ず登場するのは、藤子マンガに共通する、いわば“王道”のパターン。作品の舞台となる、のび太たちの住む町は、東京都の練馬区にある「月見台」という町である。「多奈川」という大きな川が流れている。都内ではあるが、まだ裏山や空き地が開発されずに残されており、主人公たちの遊び場になっている(作者が少年時代を過ごした富山県高岡市の影響ともされる)。大長編では、地球上で絶滅した恐竜が地底では生き残っていたことが判明する。また、海底には海底人、雲の上には天上人、宇宙には地球外生命体も存在することが明かされた。また、この世界には複数の反地球が存在しており、一個はかつて学会で提唱されていたとおりの太陽の裏側のラグランジュポイントに存在し、22世紀では存在を知られている。もう一つは別の恒星系に文字どおりに、すべてあべこべな反地球が存在している。作品の長期化にともない、初期と後期とではその時代風俗の描写にも適宜応じた変遷が見られる。子供たちの遊びは、連載開始時にはなかったものでも、ファミコン、ミニ四駆といった、連載中にブームになったおもちゃなどが登場している。家電も時代に合わせて変化しており、連載初期は黒電話であった野比家の電話も連載後期ではプッシュホンに変わっており、テレビも白黒テレビからカラーテレビへ、テレビアニメ第2作第2期では2011年から地デジになり薄型テレビが置かれている。また、2014年8月1日放送の回でのび太が「2014年から」と年代について言及するシーンがある。もっとも、大枠では連載開始当時(1970年代)の生活様式を維持している。最大の特徴は、白シャツに黄色のプルオーバーセーター、黒または紺の半ズボン、白のハイソックス、外出の時はズック靴という、のび太の服装が(開始から現在まで一切)変化していないこと。これは新人類・団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアが子供だった当時の典型的ファッションである。ただし、連載中期 - 後期においては上着に関してはさまざまなバリエーションが登場している。また高校生は必ず学生帽に詰襟の学生服姿という描写で登場する。第25巻収録「竜宮城の八日間」での現在は1982年、第33巻収録「ハリーのしっぽ」での現在は1985年とされているが、道路の側溝蓋が鉄筋コンクリート製ではなく木の板(のび太がしばしば踏み破る。またその溝には常に排水が流れていて、乾いていることは絶対にない。)、西新宿やサンシャインシティといった副都心の高層ビル街はほとんど描かれない、野良犬が町中を徘徊している、部外者の侵入や不法投棄を防ぐための封鎖がされていない空き地が存在するなど、実際の1980年代よりも街並みは古めに描かれており、初期設定の1960年代に近い。第16巻収録「りっぱなパパになるぞ!」では、のび太としずかが結婚してマンションに住み、息子のノビスケがのび太くらいの年齢となった近未来が2002年とされている。第3巻収録「白ゆりのような女の子」では、のび太の父親であるのび助についての戦時中における学童疎開の話がある(当時10歳前後であるとすると焼け跡世代)。しかし、テレビアニメ第2作第1期「タイムマシンでお正月」では、1940年生まれという設定となっている。第7巻収録「ママのダイヤを盗み出せ」では、母親である玉子の少女時代は1948年とされている。しかし、テレビアニメ第2作第2期「ママのダイヤを盗み出せ」では、玉子の7歳の時代が松田聖子がデビューして間もない1980年代初めになっている。藤子・F・不二雄自身の中にある設定について、『ドラえもん』の数年前として『パーマン』、ほぼ同時期の設定として『オバケのQ太郎』『エスパー魔美』『ウメ星デンカ』など、数十年後として『21エモン』などがある。ドラえもんの道具にも時代の変化が見られる。1970年代の連載時には、現実世界におけるUMA・UFOのブームに合わせて、ネッシー、ツチノコ、空飛ぶ円盤などが登場した。自他ともに認める作者の代表作であり、日本の漫画を代表する作品として、国際的にも知られている。本作を執筆中に藤子・F・不二雄が逝去した際、「代表作であり、同時にライフワークであった」とも関係者・読者に再認識させた一方、作者存命中に本作が爆発的なヒットをしたことで、本作の出版物のみならずアニメーションなどのメディア・おもちゃなどのグッズが巨大産業化してしまい、作者が本作にかかりっきりの慢性多忙状態となってしまった。このため、それまで定期的に発表していた短編の仕事を引き受けることができなかったり、『エスパー魔美』の連載が不可能になるなどの弊害も生じた。藤子・F・不二雄は「オバケのQ太郎」(合作)以降、「パーマン」「ウメ星デンカ」を小学館の学習雑誌および『週刊少年サンデー』に連載しており、本作はそれを引き継ぐ形で学習雑誌に連載された。しかし、「ウメ星デンカ」までは存在した『週刊少年サンデー』での本作の連載はなかった。計6誌に連載されていたにもかかわらず、はじめはあまり注目される漫画ではなかったという。実際、1973年に最初のテレビアニメ化がなされたが、わずか半年で終了してしまう(制作会社の日本テレビ動画が解散したため)。その翌年には、最終回として「さようならドラえもん」が描かれドラえもんは終わったように思われたが、翌月「帰ってきたドラえもん」によって連載は続行された。しかしその後、1974年の単行本(てんとう虫コミックス)発売を契機に、1977年の『コロコロコミック』創刊(当初のコロコロコミックはほとんどドラえもん一色であった)も経るにつれ、人気・知名度もさらに上昇し、単行本は1978年の時点で1500万部を売り上げた。そして1979年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画化され、それらもヒットしてドラえもんブームのようになり、人気は決定的なものとなった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録した。その後も安定して人気は続き、2000年度末時点で全世界で1億7000万部以上売られており、小学館を代表する作品となっている。アニメ版を1979年から放送しているテレビ朝日は、番組が人気を得てからテレビ朝日(およびANN系列局)の実質的なマスコットキャラクターとしてドラえもんを起用しており、さまざまな番組・広報誌などでドラえもんの絵や人形を使用してきた。2011年5月にテレビ朝日公式イメージキャラクター「ゴーちゃん。」が登場した後も関わりは深く、災害発生時の募金活動では「ドラえもん募金」と名前が冠されている。高い知名度から、教育分野にも広く浸透している。小学校の教科書に『ドラえもん』のキャラクターが登場しているほか、千葉大学の入試問題で「『ドラえもん』の道具を一つ選んでそれが実現可能かどうか検討せよ」という内容の小論文が課されたり、2002年のセンター試験総合理科で『ドラえもん』の道具が取り扱われたりしている。さらに、2006年の武蔵野美術大学の入学試験において、「『ドラえもん』を幾何図形を用いて再デザインせよ」といった問題が出るなど、日本では一般的な知識として扱われている。2002年には、『タイム』アジア版の「アジアのヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された。『日経エンタテインメント!』2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートでは第1位にランク入りした。また近年ではドラマの台詞や芸人のネタなどに使われることもある。漫画家の小林よしのりは、『ドラえもん』は子供たちにとっての基礎であり、『コロコロ』にはずっと載っていなければならない漫画だと語っている。作家の瀬名秀明はエッセイ『おとぎの国の科学』において、「私は物語の基礎を『ドラえもん』と『コロコロコミック』から学んだ」と述べ、自らの小説『八月の博物館』は「藤子・F・不二雄先生を真似ることで自分のルーツを探ろうと思って書いた」と述べている。また、辻村深月は『ドラえもん』を「私のオールタイムベストテン」の筆頭に挙げており、『ドラえもん』をテーマの1つにした小説『凍りのくじら』を発表している。『ドラえもん』に関するコラムも雑誌などに執筆している。作品論としては、『ドラえもん』と童話の関連性を指摘したものがある。島田裕巳は、「特殊な能力を与えられた人間がそれを乱用し、最後にそのむくいを受けるというパターンは世界の伝統的なおとぎ話のパターンであり、それを取り入れることで長い間人気を保ってきた。」と分析している。漫画評論家の米澤嘉博は、「ひみつ道具」を主軸にして作られる『ドラえもん』の作劇を「マンガにおける一つの発明」と評価している。「スイッチを入れればちょっと不思議な困った出来事、あるいは楽しい出来事が起こり、都合のいい形で停止させれば、日常はまた戻ってくる。「道具」というアイデア、システムによってパターン的な語り口が開発されたのである。事件が起こるのを待つことはないし、誰か訪ねたり、どこかに行ったりする必要なく、日常は途端にワンダーランドに変わる」と述べ、ショートストーリーの作劇にとって「ひみつ道具」というモチーフほど便利なものはないと分析している。1981年時点での親や教師の感想には、『ドラえもん』は他の漫画・アニメと異なり、刺激的・暴力的なシーンが少なく健全であるといった意見がある。一方で、「(『鉄腕アトム』、『巨人の星』と比較して)のび太は何もせず、楽をして夢を叶えているのは問題」といった批判的な意見も存在している。そして、それらの意見を収集した坂田稔は、「人生に自分からぶつかっていかないで、ただいいこと・楽なことを何もしないで期待しているような世代が、これから次第に社会を領して来るのではないかと思われるのである。」と結んでいる。このような意見に対して作者の藤子・F・不二雄は、のび太は読者が目標とすべき理想像には描かれていない点、『ドラえもん』は珍道具が日常生活に及ぼす影響を描く漫画であり、道具の入手方法には重きを置いていない(ポケットから取り出すのは効率的手段である、効率的であることが悪いこととは思わない)点を挙げ、反論している。本節では『ドラえもん』の各単行本の概説を記載する。『大長編ドラえもん』については「大長編ドラえもん#単行本」を、各単行本の書誌情報については「#書誌情報」を参照。本項では、単に「未収録作品」と示している場合、てんとう虫コミックス (TC)『ドラえもん』全45巻に収録されていない作品を示す。なお、下記以外に最初のテレビアニメ化に合わせて虫プロ商事の虫コミックスにて初の単行本が刊行される予定があったが、発行の前に虫プロ商事が倒産したため幻になったといわれている。〈藤子・F・不二雄大全集〉を除き、すべて選集。特記のない限り小学館からの発行。特記のない限り、著者は藤子・F・不二雄。〈中公コミックス 藤子不二雄ランド〉のみ中央公論社より、その他はすべて小学館より発行。『大長編ドラえもん』については、「大長編ドラえもん#書誌情報」を参照。出版物の節に記載されている書籍以外で、本項で主に参照した文献を挙げる。なお、ドラえもんに関する書籍はここで挙げたもの以外にも多数出版されている。
出典:wikipedia
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