塚原 頌平(つかはら しょうへい、1992年7月8日 - )は、オリックス・バファローズに所属する茨城県結城市出身のプロ野球選手(投手)。つくば秀英高校2年生時の秋以降、公式戦全6試合で58回2/3を投げて投球回を上回る60三振を奪い、一部では「茨城のドクターK」とも評された。3年生時の夏の甲子園・茨城大会では初戦に先発登板し、2回2/3を投げ6失点でチームも敗れた。高校生時に直球の最速は146km/hを記録。2010年プロ野球ドラフト会議で、オリックス・バファローズに4巡目で指名。契約金4,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は59。には、ウエスタン・リーグ公式戦15試合に登板。29回を投げて、1勝2敗、防御率3.72という成績を残した。シーズン終了後の秋季キャンプでは、当時の一軍監督・岡田彰布から高い評価を受けた。には、岡田からの推薦で一軍の春季キャンプに参加。4月24日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)での救援で一軍デビューを果たすと、30日の対埼玉西武ライオンズ戦(京セラドーム)で一軍初先発を経験した。5月20日の対東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)では、一軍での初ホールドを記録。2度目の先発となった6月14日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で、一軍初勝利を挙げた。オリックスで10代の投手が一軍公式戦で勝利を挙げたのは、1995年の平井正史以来であった。さらに、7月19日開催のフレッシュオールスターゲーム(HARD OFF ECOスタジアム新潟)では、ウエスタン・リーグ選抜の8番手投手として試合を締めくくった。その一方で、2012年のシーズン中盤に、右肘の一部と右尺骨を骨折。同年9月に患部の手術を受けた影響で、・には一軍公式戦での登板機会がなかった。ウエスタン・リーグの公式戦では、2013年に14試合の登板で2勝2敗、防御率3.86、2014年に27試合の登板で2勝4敗、防御率5.40という成績を残した。には、4月4日の出場選手登録を経て、翌5日の対北海道日本ハムファイターズ戦(京セラドーム)に救援で自身3年振りの一軍公式戦登板を果たした。5月8日には、京セラドームでの同カード9回表に救援で登板。先頭打者の中田翔、1死後に大野奨太、2死に岡大海へ死球を与えたことによって、1イニング3与死球を記録した(詳細後述)。さらに、一連の投球をめぐって両チームの選手・首脳陣がグラウンドに出る事態に至ったため、球審の山本貴則から両チームに対して警告試合が宣告された。塚原自身は、シーズン中盤までにチームトップの12ホールドを記録していたが、右第12肋軟骨の損傷が判明したことを機に7月4日付で登録を抹消。7月24日の対福岡ソフトバンクホークス戦(京セラドーム)の救援登板で一軍に復帰すると、26日の同カードでは、延長11回1死からの救援登板で2/3回を無失点に抑えて一軍初セーブを挙げた。一軍公式戦では、先発の機会や勝利投手の記録がなかったものの、シーズン通算で41試合に登板。佐藤達也と並ぶチーム2位の13ホールドを記録した。には、セットアッパーとして、一軍公式戦通算54試合に登板。4勝1敗13ホールド、防御率2.67という好成績を残した。前半戦には、セ・パ交流戦期間中の6月中旬に首の痛みを訴えて一時戦線を離れたものの、一軍投手陣トップの39試合に登板。3勝1敗11ホールドを挙げた。さらに、パシフィック・リーグの監督推薦選手としてオールスターゲームのメンバーに初めて選ばれると、全2試合で救援登板を果たした。プロ5年目の時点で直球の最速は152km/h、平均で145km/h前後。変化球の持ち球はフォークなど。オリックス二軍主催試合のスタジアムアナウンサーだった球団職員の藤生恭子と、2012年のシーズン後に結婚した。藤生は、塚原より13歳年上で、結婚を機にオリックスを退団。2013年に第1子(長女)を出産した。出産後の2014年夏頃からは、ベビーシッターとして、藤生の知人女性に留守中の子守を依頼。しかし、この女性が2015年1月頃から、子守の合間に塚原夫妻の自宅から何度も金銭を盗んでいたことが後に判明した。そのことを藤生が最寄りの警察署に訴えた結果、知人の女性は、2015年10月20日に窃盗の容疑で逮捕された。
出典:wikipedia
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