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マルクス主義批判

マルクス主義批判とは、マルクス主義に対する批判である。マルクス主義は、歴史、経済、政治、哲学の分野に及ぶ思想体系であり、さまざまな角度からの批判がある。また、カール・マルクス自身もフランス労働党に対して「私はマルクス主義者ではない」とのべたことがある。共産主義は資本主義の止揚された姿なので、マルクスは先進国で共産主義革命が起こると主張したが、実際に起こったのは発展途上国のロシアであった。マルクスは上部構造は下部構造に規定されるという下部構造決定論を説いたが、現実には政治体制と経済体制にはズレが生じる場合がある。吉本隆明は上部構造は下部構造から幽霊のように疎外された共同幻想であり、宗教・法・国家はその本質の内部において、社会の生産様式の発展史とは関係がないと主張している。また、ルイ・アルチュセールは、政治体制は下部構造だけでなく、もっと重層的な要素で決定されるという重層的決定を説いている。フランシス・フクヤマも、購買力平価ベースの一人当たりGDPが8,000-10,000ドルあたりまで経済発展すれば民主化するという共通点を経験的に指摘できるが、経済体制と政治体制の相関関係は十分解明されていないと述べている。ジークムント・フロイトは政治的儀式が経済性とは関係のない性的要素を含んでいることを指摘し、。社会学者のマックス・ヴェーバーは、共産党宣言を「第一級の科学的業績」であると評価しながら、ヴェーバーは歴史を仮説的な性格をもつものであって、永遠の真理とはみなさなかったため、マルクスらの唯物論哲学を原理上ことごとく拒否し、歴史の客観的な法則を発見したと称するのは詐欺であると痛烈に批判した。『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』では、「世界観としての唯物史観」とは「手を切るべきである」と主張した。またヴェーバーは、禁欲や勤勉を推奨するプロテスタンティズムの倫理が資本主義を成立させた要因のひとつではないかと『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で考察したが、1918年のウィーン大学講義では「マルクス主義的歴史把握のポジティブな批判」と題されていた。ヴォルフガング・モムゼンは「ヴェーバーは、理論の平面でカール・マルクスの最大の敵役を演じた」と評した。マルクスは、資本家階級を革命により没落させようと主張しているが、資本家はリスク管理や市場調査などの重要な社会的分業を担っているのであり、その役割を不当に過小評価している。オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルクは『資本利子理論の歴史と批判』(1884年)でマルクスの搾取論を批判し、1896年には『マルクス体系の終結』を発表し、批判した。1884年にはルロワ・ボーリューが『集産主義-新しい社会主義の批判的検討』を発表した。レオン・ワルラスも1896年に『社会経済学研究』第5章「所有の理論」でマルクス経済学の労働価値説を希少性価値説から批判し、マルクス主義的な集産主義は、「その基礎の欠陥のためにつまずく実践的な不可能性」を持っていると指摘された。ワルラスによれば、マルクスは労働にのみ価値を認め、土地用役の価値を認めないため、土地用役を必要とする生産物が需給不一致する場合は生産を停止するしか方法がなく、効用面で大きな犠牲を払う。また、マルクスは国家を唯一の企業者とみなすが、その生産計画において消費者の需要を知る必要があるのに、消費者の必要性は絶えず変化するため、消費者から国家に伝えることができない。他方市場では価格変動に任せられる。マルクスは正義の実現のために経済的有利性を犠牲にしているとワルラスはマルクスを批判した。ワルラスは、資本家と企業者、両者の受け取る利子と利潤も区別するべきだが、「資本家兼企業者による搾取を排除するために、マルクス主義はすべての企業を国家の手にゆだねる」と批判した。ただし、ワルラスも企業者が異常な利潤を手中におさめないように、国家が役割を担うべきだと考えていた。V.K.ドミトリエフは1898年の著作で、ミハイル・トゥガン=バラノフスキーは1905年の『マルクス主義の理論的基礎』で、ラディスラウス・フォン・ボルトキエヴィチは1906-07年の著作でマルクスの労働価値説や利潤率低下の法則は矛盾していると批判した。マルクスの理論的前提が過誤であれば、剰余価値や、労働者の搾取が利潤の唯一の源泉であるという主張は疑問視されることになる。高田保馬も「マルクス価値論の価値論」(1930年)や『マルクス経済学論評』(改造社,1934年)などでマルクスの経済学を批判した。マルクスは「資本論」の中で、商品過剰と労働者過剰による資本主義の没落を説いた。しかし、小泉信三これははただの景気循環の問題に過ぎず、資本主義の本質的な没落を招く欠陥ではないと批判、ケインズが主張したように、財政出動による公共事業の失業対策で対処可能で、あくまでも商品価格は需給関係によって成立するのであり、労働価値説は誤りだと批判した。マルクス経済学者のポール・スウィージーは『資本主義発展の理論』(1942年)でマルクスが商品価値を生産価値に変換させたのは不満足なものであったと結論づけた置塩信雄が1961年に発表した置塩の定理では、資本家がコストカットの技術を追求したり、実際の賃金が上がらなければ、利潤率は低下しない(必ず上がる)ことを証明した。1970年代以降はマルクス経済学内部でも意見は不一致となることが顕著になった。イアン・スティードマンは、物量が利潤率(したがって生産価値)を決定し、価値の水準はせいぜい利潤率(と生産価値)の決定において余剰なので、マルクスの価値理論は放棄されるべきだと論じた。市村真一によると、マルクス主義はイデオロギーとして巧妙に無謬性を守るようにできているという。それはマルクス経済学・唯物史観・唯物弁証法の三面からなり、経済の議論で破綻をきたすと、歴史の流れを無視していると反論し、歴史の実証で弱みを暴露すると、哲学を知らぬと反駁し、哲学論争で敗れれば、経済の現実を知らぬと反駁する。いつも論破されたと思わず、次の聖域に逃げ込める構造になっているという。これをオックスフォード大学のシートン教授は重曹防御構造と表現した。分析的マルクス主義のジョン・ローマーは企業の革新によって利潤率は上昇し、利潤率低下の法則に希望はないと批判した。また、分析的マルクス主義について青木孝平はリベラリズムの倫理的個人主義と同じであると批判した。ゲーリー・モンジオヴィもマルクスの価値と利潤率についての説には矛盾があると批判した。デビッド・ライブマンもマルクスにおける理論の展開には矛盾があると批判し、 マルクスが資本論で述べたオリジナルの政治経済批判は修正されるべきだと論じた。時間的単一体系解釈(TSSI)の提唱者は、マルクスの矛盾は時間的単一体系とみなされた誤解による結果だったとしている。アンドリュー・クリマンは、マルクスの価値説の内部矛盾は必然的にその説の過誤を意味する、過誤は修正すべきであるし、または棄却すべきであるとした。マルクスは生産手段を持つ者を資本家、持たない者を労働者と定義したが、株式会社の発達により、所有と経営が分離し、その違いが曖昧化した。労働者でも株式を購入したら資本家になれる。発展途上国は先進国に搾取されているから経済的に貧しいのであり、この国家間の格差はますます広がっていくと言う従属理論も展開されたが、日本、韓国、台湾、シンガポールは積極的に先進国と交流し、奇跡とも言われる高度経済成長を達成した。発展途上国が発展途上国のままでいるのは、先進国に搾取されているからではなく、むしろ積極的に先進国と貿易や技術交流、相互投資を行わないからであるとの見解がある。マルクスの『資本論』はあくまでも資本主義社会の分析を行っているに過ぎず、共産主義社会の分析を行っているわけではない。共産主義が資本主義よりも優れているという考察や証明は行われていない。マルクスの理論に基づいてレーニンやスターリンが作ったソビエト連邦の共産主義体制は、共産主義を科学だと自称し、他のイデオロギーを非科学的、反革命的だと弾圧した。レーニンは秘密警察チェーカーを作り、反革命と認定された者を逮捕処刑した。スターリンの大粛清では反革命分子として異端とされた党員が数十万から700万が処刑されたといわれる。そのため、労働者階級の解放どころか、結局は人民の自由を抑圧するポスト全体主義体制でしかなかったという批判がある。階級廃絶を主張していたが、党官僚という偽善的な新階級を生み出してしまい、富は公平どころか特権階級に集中したと批判された。自由主義経済学者のミーゼスやハイエクは社会主義、共産主義、ナチズム、ファシズムは同根的な集産主義(collectivism)であり、計画経済や社会主義・共産主義が『独裁制の全体主義』に陥るのは必然的なことだったとの指摘をした。ハンナ・アーレントも『全体主義の起源』(1951年)や『革命について』(1963年)のなかで、ナチズムとソ連共産主義の大粛清の起源をフランス革命に見いだして批判した。吉本隆明も「マチウ書試論」(1954年)のなかで、「人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。」と述べ、階級性に関係のない人間の自由意志の存在を指摘している。クロード・ルフォールもソ連の体制は、ナチスや東欧諸国とならんで全体主義であると批判した。ミシェル・フーコーはマルクス主義によって政治的な想像力が貧困化し、枯渇したと批判し、その理由として、マルクス主義が権力の一様態にほかならないからであるとした。ズビグネフ・ブレジンスキーは「共産主義とファシズム、ナチズムは歴史的に関連があり,政治的にも類似している。いずれも,工業化時代の深刻な問題―何百万という根無し草のような労働者の出現,初期資産主義がもたらす不公平,そこから生じた階級対立など―への答えとして生まれたものである。」「社会的憎しみを社会正義という理念で包み,社会を救済する手段として国家の組織された暴力を正当化するにいたるのである。ヒトラーのナチス・ドイツとスターリンのソビエト・ロシアはのちに大規模な戦争を展開する」が、これは「共通の信念を持つ者同士の兄弟殺しの戦争であった」「スターリンがナチであったと同様,ヒトラーはレーニン主義者であったといっても過言ではない」とのべている。ソ連から西ドイツに亡命したミハイル・S.ヴォスレンスキーは、ソ連の「現存社会主義社会には、生産手段の『国有』ないし『社会有』以外に法的な所有形態は存在しないから、生産手段の所有を通じての支配・被支配の関係は生まれない」という主張はフィクションにすぎず、実際のソ連では共産党員1700万人中4パーセントの70万人が指導者層のノーメンクラトゥーラを形成し、それが生産手段を超独占的に管理することによって、労働者階級を支配し搾取し、一党独裁による官僚制国家であると西側社会に報告した。マックス・ヴェーバーは近代産業社会において官僚制化の過程が浸透すれば、新たな隷従をうむと診断しており、これはマルクスとも共通していたとも指摘されているが、生産手段の国有化は労働者の状態を悪化させるし、資本主義には欠陥もあるが社会主義的な国家統制型の経済秩序よりもましであって、計画経済よりも交換経済の方がよいと、マルクス主義を批判した。1918年講演「社会主義」では、生産手段の社会化によって階級闘争が終止符を打つことは決してない、と批判した。レーニンは著書「国家と革命」の中で、共産社会が実現した暁には国家経済の運営は極めて単純になり、郵便事業をモデルとした読み書きと四則演算ができる程度の人材であれば誰でもその運営に携われるとしたが、実際には計画経済を立案・実施するためには極めて専門的な知識と技能をもったエリート集団が必要となり、庶民とはかけ離れた特権的官僚組織を生み出した。また治安維持についても「泣いている子がいれば近所の人間が黙っていないように」社会が自発的に秩序を保つと予言したが、実際にソ連国家が生み出したのは秘密警察や強制収容所(ラーゲリ)での強制労働・組織的拷問などの歴史上まれに見る権力による暴力組織であった。ソ連の経済政策の結果、ウクライナ人1450万人が犠牲となった人工的な大飢饉ホロドモールが1932年-33年に発生した。また中華人民共和国でも1958年から大躍進政策が実施され、人工的な大飢饉によって推計5000万人が犠牲になった。アマルティア・センはこうした人工的な飢饉は政策によって回避できるとして批判した。また、需給に関する全ての情報が効率的に集められない以上、効果的な計画経済は不可能であるとの指摘(経済計算論争)もある。現実に、道路建設、住宅建設、軍事産業、宇宙事業などの大規模な重厚長大産業では大きな効果を発揮したが、スピードと多様性が要求される情報産業やサービス産業には対応できず、民需品の品質は低いものが多かった。1960年代後半には宇宙事業でもアメリカの後塵を拝した。ソビエト共産党自身もその不合理性を認め、政治・経済の自由化を推し進め、1991年に解散した。マルクスは「哲学者は世界をさまざまに解釈してきた。しかし重要なのは世界を変革することだ」と主張し、理論革命家が革命を先導すべきだと主張した。これをレーニンは前衛主義として受け継ぎ、前衛党組織をつくった。しかし、もしマルクスの言うように革命が「歴史の必然」ならば、知識人インテリ(ロシア語でインテリゲンツィア)が信念を持って革命を遂行する必要などないはずである。笠井潔は、インテリゲンツィアを知的無用者だと述べ、彼らが革命の理想にとりつかれたのは、本来は無用者であるのもかかわらず、自分をひとかどの人間だと思い込んだエリート意識であり、過剰な自己観念であり、にもかかわらず自分を評価しない社会に対するルサンチマン、劣等感であると指摘している。無目的で鬱屈としたインテリにとって、マルクスの革命理論は絶好の受け皿となった。これらのコンプレックスと自意識の強い田舎インテリの姿は、ドストエフスキーの文学などに多種多様に描写されている。前衛主義とは大衆を愚衆と考えた傲慢なエリート主義であり、排他的で硬直化した独善性である。それはレーニンの「マルクス主義は真理であるがゆえに全能である」という言葉に象徴されている。人民を解放しようという献身的な利他性どころか、世界を意のままに動かそうとする肥大化したエゴであり、ソ連が収容所群島と化したり、連合赤軍が観念的なテロリズムに走るのは、その独善性と傲慢さゆえに必然であると指摘している。吉本隆明は、知識人階級は非現実的で抽象的な理想に走るのではなく、<大衆の原像>を自分の理論の中に組み込むことが、世界を正しく認識する上で重要だと主張している。科学哲学者のカール・ポパーは、マルクス主義は科学を自称しているが反証可能性がないため科学ではない、と指摘している。共産主義社会の到来を予言したが、時期を明確にしていないので、永遠に「いつか共産主義社会が到来する」と言い続けていたらその予言は外れることはない。これは歴史上言い続けられてきた「いつか最後の審判が訪れる」「千年王国は近づいた」といった宗教的予言と同種の構造であり、科学として正誤を確認しようがないのである。矢内原忠雄は「マルクス主義と基督教」(一粒社 1932)においてキリスト教とマルクス主義は類似しているが、マルクス主義はキリスト教に匹敵するところではないと批判している。 小泉信三や小室直樹もマルクス主義を宗教として批判している。小泉信三によれば、社会主義の、まず原始共産制から階級分化が起こり、やがて共産主義社会の到来で階級対立がなくなるという考えは、キリスト教的な千年王国待望論で、宗教的信仰であったと批判され、また、階級が消滅した後の世界についてマルクス主義は具体的なことをほとんど何も語っていないが、闘争のない一切が平和と幸福に満ちた停止した社会とすれば、それは皮肉にもマルクスが否定したユートピアのように聞こえる。未開社会やサルのような動物の社会でも、順位制という身分制度があり、原始共産制は見られない。小泉信三は、社会主義は科学ではなく、労働者の資本家に対する体系化された嫉妬の情であると指摘している。マルクス主義の理論体系は倫理的指令によって決定づけられ、世界の隅々まで解明しつくすカトリック神学体系に匹敵するものだったともいわれ、神によって強者の富者が否定され,弱者の貧者が救済され、恩寵として両者が逆転するという「マリアの賛歌」や、ヨハネの默示録などの思想を継承した「破局的な恐慌」をマルクスが述べるなど、マルクス主義はキリスト教的革命論の継承者とも指摘されている。1948年、上智大学教授だったヨゼフ・ロゲンドルフはマルクス主義について「その見せかけの厳密な論理性の背後には、経済史の恐しい展開につれて一歩一歩近づいてくる最後の審判の黙示的な幻影の火が燃えている。実際、今世紀に於ける全体主義哲学はすべて、キリスト教会を追放した結果近代社会に出来た大穴を埋めるべく、反教会の旗印も鮮かに乗りこんできた異教なのである。宗教のみがそそり立てることのできる忠誠と献身と雄々しさの感情は悉く彼等の手中に帰した。彼等もまた、キリスト教と同じように殉教者も、祭式も行列も、そしてドストエフスキーがすでに予言しているように、大審問官の宗教裁判まで、取りそろえている」と書いた。猪木正道は『共産主義の系譜』(1949年)において「マルクスは教祖とし、資本論を聖典とする一大教会の形態をとり、法王、枢機官、僧正、司祭といった大小の聖職者を生み出し、僧侶の差別さえあらわれる。マルクス主義が負のキリスト教(Negative Christianity)と呼ばれるのはこのためである」とのべている1966年に清水幾太郎はマルクス主義などの19世紀の「大思想の分解を正面から認め,それに堪えて行かなければならない」と指摘した。当時のアカデミズムはマルクス主義に制圧された時代であったため、清水は転向者とみなされた。哲学者の梅本克己は1967年『唯物史観と現代』(岩波新書)において、マルクスは資本主義の崩壊を予測したが、20世紀に資本主義は発展する一方、革命によって成立した共産主義が前近代的独裁国家となっていることを背景に、厳密な意味でマルクスの予測は外れたので、崩壊しているのはマルクス主義の方だと指摘し、こうした梅本の指摘は「神の死」に匹敵する「マルクスの死」とされた。ズビグネフ・ブレジンスキーは『大いなる失敗――20世紀における共産主義の誕生と終焉』において「共産主義が20世紀の歴史にこれほど大きな位置を占めてきたのは教義の極度の単純化が時代に合っていたからだといえよう。あらゆる悪の根源が私有財産制度にあるとした共産主義は、財産を共有することで真に公正な社会が、したがって人間性の完成が達成できると仮定した。」「インテリにとって贖罪のための革命を推進する政治活動や合理的な計画によって公正な社会を実現しようとする国家統制は魅力的であった」とし、マルクス主義を宗教思想としみなし、「共産主義は理性の力を信じ,完全な社会を建設しようとした。高いモラルによって動かされる社会を作るために,人間へのもっとも大きな愛と,抑圧への怒りを結集したのである。それによって最高の頭脳,最良の理想主義的精神を持った人々の心をとらえた。にもかかわらず,共産主義は,今世紀はもちろん他の世紀にも類を見ないほどの害悪を生んだ」と批判した。フランソワ・フュレは『幻想の過去―20世紀の全体主義』において、コミュニズム(共産主義)は、フランス革命の記憶を利用して、進歩の先導者を自称し、世界を革命と反革命に分けたことで、共産主義への批判は困難になり、普遍主義は独善の論理に転化したと指摘した。山下範久も同書書評において「世界の改造や社会の改革を叫ぶ普遍主義者が、「味方でなければ敵」というレトリックを振り回す状況が、決して過去ではない」と指摘した。マルクスは歴史上の全ての闘争は階級闘争であると主張する。レーニンは共産主義が普及したら階級闘争はなくなり、世界から戦争もなくなると主張したが、戦争原因は経済的合理性には還元できない。もしそうなら、世界大戦のように戦勝国も敗戦国も大被害を受けるほど戦争が拡大することはなかったはずである。首都が瓦礫になるまで徹底抗戦するなどということは、どう考えても不合理である。また、もし国民が餓死寸前であり、貧困にあえいでいたら、近代的な軍備を整えて戦争を起こすことすら不可能なはずである。逆説的な言い方だが、戦争は経済的な余裕があるからこそ実行することができるのである。フランシス・フクヤマは戦争は精神的な気概、優越願望の衝突によって起こると主張する。例えば、動物の世界では同種同士では住み分けを行い、争いは回避されるようなシステムになっている。ナワバリ争いで闘うこともあるが、負けた方は致命傷を受ける前にすごすごと退散し、勝った方はナワバリを維持できたことに満足し、わざわざ追い討ちをかけたりはしない。同種同士で殺し合いまでエスカレートすることはめったになく、戦争は気概を持った人間に特有の行為である。侵略的な国王が自国で自給自足できるだけの生産力があるのにもかかわらず、巨費を投じて他国を武力侵略するのは、彼が自分の力を誇示したいという名誉欲、野心に駆られたからだと考えたほうが合理的である。また、動物に自己防衛という概念はあるが、報復や復讐と言う概念はない。生存効率や経済的合理性を無視して、仇討ちや復讐を実行するのは人間だけである。ジョルジュ・バタイユは、人間には経済的合理性では説明できない破壊衝動が存在することを指摘し、それを蕩尽、あるいは過剰なる太陽エネルギーと呼んでいる。レーニンは、認識は人間による自然(物質)の反映であるという反映論を説き、意識は大脳の機能に過ぎないと述べた。しかし、意識と物質には弁証法的には統一できない差異がある。例えば、日本語の文字は、それを知らない外国人にとってはただのインクの染みに過ぎない。日本語、日本文字を理解する人物が主観的に見るからこそ、文字として読まれるのである。文字の本質とは、規則的なパターンと日本人(日本語話者)の持つ<共同主観性>であり、物質(インク)そのものではない。現象学では、人間はただ無差別に対象をカメラのように認識しているのではなく、志向性をもって、対象を主観的に<了解>(観察ではなく)して、意味付与していると指摘している。ゲシュタルト知覚説がいうように、生物は対象をありのままにではなく、抽象化し、単純化し、象徴化して認識、記憶しているのである。また、人間の身体は新陳代謝を繰り返し、物質的には数年で全身すべてが入れ替わると言われている。しかし、人間は同一の人格を維持している。清野清は、生命現象の本質とはタンパク質などの物質ではなく、あくまでもDNAの配列パターンであり、設計図であり、情報であると主張している。レーニン的な弁証法的唯物論は、つきつめれば人文・社会科学領域も自然科学によって説明できるとする自然科学至上主義であり、自然科学万能論である。しかし、医学的な大脳生理学や神経学がどれだけ発達しても、知覚の問題は説明できても、解釈や感想、評価という人間の行う意味付けや価値付け、審美眼の部分は説明できない。吉本隆明はいくら人体を医学的に解剖しても、その人の性格や哲学、思想は分からないように、精神は肉体から派生するが還元はできないとして、自然科学ではアプローチ(観察)できない人間の解釈、感想、審美眼を「幻想」と呼んでいる。生物も高度で複雑な機械に過ぎない(機械論)と言う指摘もあるが、生物と機械は違う。機械は任意に分解し、組み立てなおすことができるが、生物は一度分解したら死んでしまい、もう二度と活動を再開することはない。生命活動は身体的な全体性があって初めて成立するものであり、各要素や各部分、各器官に分解することはできないのである。外的な損傷がなくても、生物とその死体は魂が抜けたとしか表現しようのない、不可逆で質的な断絶がある。無機的な物質には存在しないが、生物には存在する根源的なエネルギーを、人々は昔から霊魂(ゴースト)、精神分析学のジークムント・フロイトは(エス無意識の本能衝動)、吉本隆明は原生的疎外と呼んでいる。

出典:wikipedia

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