カーチス モデルD(Curtiss Model D しばしばカーチス プッシャーと呼ばれる)は初期のアメリカ合衆国の航空機である。1910年11月にユージン・バートン・イーリー の操縦で軽巡洋艦バーミングハムの特設甲板から離陸した飛行などで知られる。3輪車形式の固定脚の複葉機で、初期モデルはカナード形式で前翼が操縦士の前に配置されていたが、後期モデルでは前翼は廃止され、ヘッドレス型と呼ばれた。カーチスの設計の特徴としてライト兄弟のひねり翼による操縦の特許を逃れるために補助翼が使われた。気体は木製で布張りであり、1部竹材も使われた。操縦席の後ろにエンジンとプロペラが配置された。民間飛行士が購入したのに加えてアメリカ陸軍、アメリカ海軍で観測機として使われ、ロシア海軍などにも輸出された。1910年11月14日ユージン・バートン・イーリー の操縦で軽巡洋艦バーミングハムの特設甲板から離陸に成功し、艦船から離艦した最初の航空機となった。1915年11月には国会議員Orrin Dubbs Bleakleyを乗せた75HPのカーチス モデルDが陸軍航空隊のWilliam C. Ockerの操縦でフィラデルフィアからワシントンまでを3時間ほどで飛行した。政府高官が飛行機で移動した最初の記録となった。1913年5月4日、日本の民間飛行士、武石浩玻が地上に激突して、民間航空において国内最初の犠牲者となった飛行機でもある。(Model D Type IV)
出典:wikipedia
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