山中 浩史(やまなか ひろふみ、1985年9月9日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属する熊本県天草市出身のプロ野球選手(投手)。6歳年上の兄の影響で小学校3年生からソフトボールを始め、新和中学校では軟式野球部に所属。当時はサイドスローだった。熊本市立必由館高等学校に進学後アンダースローへ転向、3年夏に第85回全国高等学校野球選手権大会に出場。背番号1ながら故障の影響により予選から登板は少なく、甲子園でもリリーフとして2回を投げたのみ(無失点)であった。チームは3対6で光星学院高に敗れ初戦敗退。九州東海大学(現在は東海大学に統合)では、3年時にエースとして春秋制覇。3年春の第55回全日本大学野球選手権1回戦東北学院大学戦では10安打を浴び5失点ながらも岸孝之に投げ勝ち完投勝利を挙げている。2回戦では近畿大学を8安打4失点に抑えたが大隣憲司に完封され0-4で敗退。大学卒業後は本田技研工業に入社してHonda熊本に所属。1年目から先発、抑えに貴重な戦力として活躍。1年目春のスポニチ大会で東京ガス相手に2失点完投勝利。2年目は都市対抗の予選全4試合に抑えとして登板し12.1回1失点(自責0)の働きで6年ぶりの東京ドーム進出に貢献。本選では3試合8.1回を投げ無失点投球で16強入りに導いた。9月には日本代表に選出され第38回IBAFワールドカップに出場。国際大会で下手投げの強みを発揮、予選ラウンドで敗退となったチームにあって4試合7.2回16奪三振1失点の快投を見せている。2011年の第39回IBAFワールドカップも2大会連続で日本代表に選出された。27歳で迎えた2012年のプロ野球ドラフト会議で、地元球団の福岡ソフトバンクホークスから6巡目で指名。契約金3,000万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は39。なお、指名の直後には、Honda熊本での同僚女性と結婚している。には、公式戦の開幕から一軍の先発陣に食い込んだ。一軍公式戦では0勝2敗、防御率5.52にとどまったが、ウエスタン・リーグ公式戦では10勝を挙げて最多勝利のタイトルを獲得した。には、6月3日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)で、2番手投手としてシーズン初の一軍マウンドに臨んだ。しかし、3回2失点という内容で交代すると、東京ヤクルトスワローズへ移籍するまで一軍公式戦の登板機会がなかった。2014年7月20日に、川島慶三・日高亮との交換トレードで、新垣渚と共にヤクルトへ移籍した。背番号は68で、移籍発表の5日後(7月25日)には、対横浜DeNAベイスターズ戦(明治神宮野球場)8回表無死から、4番手投手として移籍後初めての一軍公式戦登板を果たした。その後も7試合に登板したが、勝敗とも付かず、通算投球回数10回2/3で4本塁打を浴びた。には、6月12日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武プリンスドーム)でシーズン初の一軍公式戦登板。自身と同じアンダースローである牧田和久と先発で投げ合った末に、6回3失点という内容で一軍での初勝利を挙げた。以降もローテーションの谷間での先発登板で好投を続けたことから、8月からはローテーションの一角に定着。8月11日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では、前述のシーズン初勝利からの6連勝を、一軍では自身初の完封で成し遂げた。ヤクルトの投手による一軍公式戦シーズン初登板からの6連勝は、国鉄スワローズ時代のに金田正一が9連勝を達成したことに次ぐ連勝記録である。しかし、8月18日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で1失点ながら7回裏の途中に降板すると、右大胸筋の肉離れが判明。この試合では自身に勝敗が付かなかったものの、翌8月19日に出場選手登録を抹消された。9月20日の対阪神戦(甲子園)で、先発投手として一軍復帰を果たしたが、5点を失って2回裏の途中に降板。そのまま敗戦投手になったため、自身の連勝は6で止まった。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦で先発投手として6勝2敗を記録するとともに、チームのセントラル・リーグ優勝へ貢献。チームはクライマックスシリーズと日本シリーズへ進出したが、山中の登板機会はなかった。には、シーズン初の一軍マウンドであった4月20日の対阪神戦に勝利したことを皮切りに、2度の出場選手登録抹消をはさみながら一軍の先発ローテーションへ定着。阪神打線とは特に相性が良く、6試合の登板で3勝1敗、防御率1.49という好成績を残した。高校の後輩・岩貞祐太と初めて投げ合った8月28日の阪神戦(いずれも甲子園)では、1回裏に1点を失っただけの9回完投によって、同カードでの自身3連勝と2試合連続完投勝利を達成している。その一方で、リーグ優勝を果たした広島との対戦で4戦全敗、防御率7.91を記録するなど、カードごとの対戦成績に極端な差が見られた。一軍公式戦全体では、オール先発で自己最多の22試合に登板。通算で6勝を挙げたものの、能見篤史(阪神)と共にリーグ最多の12敗を喫した。アンダースロー投手。ストレートは最速で120キロ中盤だがコントロールがとても良く、早いテンポでストライクを先行して打ち取れるのが持ち味。変化球は100キロ前後のカーブ、110キロ前後のスライダー、ストレートとほぼ同じ速さのシンカーがある。
出典:wikipedia
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