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愛光中学校・高等学校

愛光中学校・高等学校(あいこうちゅうがっこう・こうとうがっこう)とは、愛媛県松山市衣山(きぬやま)五丁目にある中高一貫の私立学校。高等学校においては、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間において、第2学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校である。スペインで発足したカトリックのドミニコ会により、「愛 (Amor) と光 (Lumen) の使徒」たる「世界的教養人」を育成を目指して1953年(昭和28年)に愛光中学校設立、3年後の1956年(昭和31年)に愛光高等学校が設立された。開校以来、男子(現在は共学)の中高一貫教育、全国から受け入れる寮を設置、トップレベルの学力の育成、大学進学指導の重視といった明確なコンセプトで運営、広報を行い、全国へ「国内留学」を呼びかける。その結果、1期生から東大10名、京大10名を輩出し、灘中学・高校、ラ・サール中学・高校と共に「西御三家」と呼ばれ、関西などからも多くの生徒が受験・入学していた。創立50周年に当たる2002年度より共学化を実施。中学入試は、愛媛県内から120名、県外から80名を募集している。県外からの方が合格最低点が高い。女子は自宅(または親戚など)からの通学者のみを受け入れている。また中学入試を松山、東京、大阪、福岡で実施している。高校入試は専願と併願があり併せて50名募集している。入試結果として入学者の男女比が中学は約2:1、高校は約3:1という特異な構成となっている。以前は関西からの進学者が多かったが、現在は関東、中京圏からの進学者も増えている。2011年度から中学も4クラスから5クラス編成となり、2013年現在、中学は1学級40名の1学年200名、高校は1学級50名(外進生は1年E組)の1学年250名となっている。創立当時、松山市にはすでにドミニコ会により松山女子商業高等学校(現・聖カタリナ学園高校、1925年設立)が設立されている。1951年(昭和26年)5月12日、スペインのアビラにおけるドミニコ会ロザリオ管区会議にて「四国に男子校を設立したい」という管区長の提案に、初代校長となる田中忠夫(松山高等商業学校の前身、松山女子商業高等学校の第3代校長)は、難関大学進学のための中等教育の学校であるなら東京か大阪が望ましいと返答したが、四国のドミニコ会士たちの意向により松山に設立することになった。ドミニコ会は1904年(明治37年)より四国で宣教しており、地元のアカデミックな若者の育成と文化に貢献し、特有の学校を創ることを望んでいたのである。校名は「愛と光」との意味が込められていたが、これらの漢字はキリスト教の教えと符合する。現在の愛光生のアドミッションポリシーといえる「われらの信条」は、初代校長となる田中が愛光中学第1回の入試当日(1953年2月21日)にめずらしく降る大雪で純白の景色のグラウンドを眺めながら書き上げた。創立時は松山市内の市街地である宮西(みやにし)(現在はスーパーマーケットチェーンのフジ本部が所在している)に所在していたが、創立20周年の1972年(昭和47年)を期に現在地の衣山(きぬやま)に移転した。以前と比べてやや医学部志向が高くなっている。近年では愛媛大学医学部や東京大学に20名前後ほどが合格している。その他旧帝国大学などの国公立大学、慶應義塾大学や早稲田大学などの関東・関西の私立大学へと、進学先は全国に分かれている。入寮できるのは男子のみ。建物は学年ごとに割り振られており、毎年年度末には各学年が引っ越しをする。集団学習室や談話室、ロビーが広々と設けられている。特徴として、学年の発達段階に併せて部屋割りを定めている点が挙げられる。中1は8人部屋であり、中2からは個室になり、勉強は中2までは集団学習室で、中3からは集団学習室と個室で行う。寮生活のスタッフは学校の「寮務部」と呼ばれる14名の教員と寮スタッフ(舎監・寮母、看護師、管理栄養士などを含む)からなり、日常の生活・学習の運営、定期的な面談や応対・相談を行っている。寮内では自治会による各種行事が行われている。

出典:wikipedia

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