三崎峠の戦い(みさきとうげ の たたかい)は、戊辰戦争の秋田戦争で、新政府軍と旧幕府軍が、鳥海山中腹の三崎峠付近で交戦した戦いである。慶応4年(1868年)7月10日に秋田藩、亀田藩、本荘藩(本庄藩)、佐賀藩兵は、塩越に到着して、13日午前6時、小砂川にある庄内軍を攻撃した。正面を亀田兵が攻めあぐねていたので、佐賀兵が側面砲撃したところ、庄内兵は三崎峠に退却した。しかし、庄内軍に援軍が到着して、地の利もあり優勢になり、新政府軍は小砂川に退却した。7月16日、総督府監軍山本登雲助のもと、秋田遊撃隊、亀田軍、本荘軍、矢島軍と佐賀藩の砲兵隊が加わって、再び三崎峠を突破して女鹿(山形県遊佐町)の庄内軍陣地を急襲した。新政府軍はさらに南の、滝ノ浦まで進んだが、吹浦から出動した庄内軍によって包囲されて、苦戦に陥り塩越(にかほ市象潟地域)に退却した。
出典:wikipedia
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