KO-D無差別級王座 (ケー・オー-ディー・むさべつきゅうおうざ) は、DDTプロレスリングが管理する王座。2000年に創設されたシングル王座で、ベルトの色は黒。「KO-D」は「King Of DDT」の略で、DDTにおける最高峰に位置づけられている。選手権試合は当初時間無制限1本勝負で行われていたが、現在は60分1本勝負。なお、対戦者間の合意があればルールが変わる場合もある。独自のシステムとして「いつでもどこでも挑戦権」がある(後述)。また、挑戦者決定としてKING OF DDTトーナメントを行う他、2010年より年に1回「DDTドラマティック総選挙 (旧DDT48総選挙) 」と呼ばれる「AKB48選抜総選挙」をモデルにしたイベントが開かれ、上位2人 (48時代は1位) に入った選手に挑戦権が与えられる。「いつでもどこでも挑戦権」を獲得した選手は定められた期間内に行使すると、選手権試合をセッティングできる状況下であれば時間及び場所を問わずタイトルに挑戦することができる (ただし、既に決定した選手権試合が組まれている場合はそちらが優先される) 。この挑戦権は適宜ロイヤルランブル形式で争われる。過去にはタッグ王座でも導入されたことがあった。またロイヤルランブルの際挑戦権以外にもアジャ・コングとのデート権であったりキング・オブ・ダーク王座の挑戦権がいつでもどこでも挑戦権に紛れて入っているケースもある。2013年3月20日より「いつでもどこでも挑戦権」のリニューアルが図られ、DDT内外における試合で敗北した際に挑戦権移動が起こる仕組みが導入されている。例えば挑戦権を持つA選手が新日本プロレスに参戦してB選手とのタッグで同団体所属C・D選手と対戦、AがCからフォールを奪われた場合、AからCに挑戦権が移動し、その後、同団体内で移動が繰り返される可能性もある。また、ミックスファイトで女子選手が挑戦権を得るケースもありうる。3月24日、エル・パーク仙台大会での高木三四郎&大鷲透 vs KUDO&ヤス・ウラノ戦でヤスが高木をフォールして初めて移動。5月11日、プロレスリング我闘雲舞市ヶ谷大会でさくらえみがDJニラに勝利して団体外かつ女子として初めて獲得。その後、帯広さやかを経て、6月2日のDDT新木場1stRING大会で平田一喜が奪取して一度は取り戻したが、6月15日の大日本プロレス横浜にぎわい座大会で岡林裕二に再び流出し、そのまま行使されてしまった。1人の選手が複数の挑戦権を獲得する場合も考えられるが、この場合はフォールされても移動するのは一つのみである。なお2014年にアントーニオ本多は一度のみであるがいつでもどこでも挑戦権を二つとったこともある。2015年現在いつでもどこでも挑戦権を2つ以上戴冠していたのは佐々木大輔のみである。この年は合計で5つの挑戦権があって5つ揃うとギャルのアレが手に入ると思い込んでいたが5月の札幌大会ですべて移動してしまった。また、その時点のチャンピオンが挑戦権を獲得することも可能。2015年にチャンピオンのKUDOが獲得し、GMより「有効期限内に王座から転落せず、挑戦権も守った場合はその挑戦権が無効になる。」とアナウンスされた。2015年6月には王者KUDOに対してヤス・ウラノが挑戦権を行使して選手権試合を行っている最中に同じく挑戦権を保持している大家健が乱入し、3WAYマッチにすることを要求し、認められた。この際KUDOもチャンピオンながら挑戦権を有しており、全員が挑戦権保持者による3WAYマッチになった。試合は大家がウラノを倒して王者になったが、直接負けなかったため王座からは陥落したが挑戦権は引き続き保有していたKUDOがすぐさま挑戦権を行使、大家を倒して再奪還した。
出典:wikipedia
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