賀子内親王(よしこないしんのう、寛永9年6月5日(1632年7月21日) - 元禄9年8月2日(1696年8月29日))は、江戸時代の皇族、公家。後水尾天皇の第6皇女。母は東福門院。関白二条光平の北政所。幼名を女五宮、兼宮という。寛永21年(1644年)10月2日、内親王宣下を受け、この時から賀子内親王を名乗る。正保2年(1645年)1月28日に従兄である二条光平と縁組し、2月24日に降嫁する。慶安元年(1648年)、娘(後の徳川綱重正室・隆崇院)を出産。後に二条綱平を養子とし(綱平の夫人は姪の栄子内親王)、永悟法親王(後西天皇皇子)を猶子とする。天和2年(1682年)、夫の二条光平が死去し、賀子は剃髪し仏門に入った。元禄9年(1696年)薨去。享年65。二尊院に葬られた。戒名は深信解脱院宮。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。