桧町公園事件=桧町公園爆裂義挙(ひのきちょうこうえん ばくれつぎきょ)=昭和勤皇党事件は、右翼民族派による「昭和天皇ご在位61年奉祝」に反対する極左過激派に対する爆弾攻撃事件である。1986年4月29日未明、東京都港区赤坂桧町公園のトイレにて、時限爆弾が爆発。実行犯の中村忠志(栃木県本部長。政治結社・國粹青年隊元行動隊長補佐。当時25歳)が、両眼失明、両手の指数本断指の状態で発見され、警察病院に収容された。翌4月30日、『内外タイムス』に、「昭和勤皇党」名により犯行声明が掲載された。その日午後、主犯の岡崎一郎こと本名・野呂道則政治結社・國粹青年隊総本部・事務局長兼隊長補佐(元・神奈川県本部長、後に栃木県本部長)(当時36歳)が、会長・八木沢由雄の説得により、警視庁に出頭。「爆発物取締罰則違反」容疑で逮捕された。10月、東京地裁で、主犯・野呂道則(ペンネーム・岡崎一郎。思川清風ともいう)に6年。実行犯の中村忠志に3年の懲役刑が言い渡された。1985年(昭和60年)秋ごろから、反天皇を叫ぶ極左過激派、革命的共産主義者同盟=革共同・中核派、革命的労働者協会=社青同解放派=革労協・狭間派、共産同・戦旗派(荒派)などの極左過激派集団は、翌年に予定されている「東京サミット」及び「昭和天皇ご在位60年奉祝」行事に対し、機関紙などで開催に反対を表明していた。また、中核派は、新たに開発したロケット弾を発射するなど、これまでの活動を飛躍させて、警察公安当局を刺激していた。時の内閣総理大臣・中曽根康弘、官房長官・後藤田正晴は、警備上の理由から、本来別々に開催するべき両行事を、翌年4月29日の「天皇誕生日」と5月のゴールデンウィーク中に開催すると発表した。極左過激派三派は、この行事を「爆砕」すると表明。1986年(昭和61年)3月25日、戦旗・共産同・荒派が、麹町方面から、皇居内に向けて火炎弾を発射。火炎弾は、半蔵門を越えて皇居内に落下炎上した。昭和61年3月25日、皇居半蔵門及び、アメリカ大使館に対する火炎物発射事件発生。3月31日、迎賓館に向けて金属弾を発射。現場で革労協活動家を逮捕(昭和62年 警察白書 )。この事が、桧町公園事件=昭和勤皇党事件の直接のきっかけである。注:この連載では、掲載当時の事情により、団体名、都道府県名などについて一部記載していない箇所がある。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。