ウィリアムズ・FW08 (Williams FW08) は、ウィリアムズが開発したフォーミュラ1カー。パトリック・ヘッドが設計し、1982年から1983年にかけて使用された。成功作FW07の後継として開発されたFW08は、従来よりもすんぐりした無骨なデザインとなった。アルミ製モノコックはコクピット両脇が高くなり、車体剛性が増している。フロントサスペンションはロッキングアーム式からプルロッド式に変更された。FW08は6輪車への移行を前提として設計されたため、極端なショートホイールベースとなっている。エンジンパワーではターボエンジンに対して劣勢だったが、ショートホイールベースと軽量なフォード・コスワース・DFVエンジンのマッチングで操縦性の優れたマシンとなった。1982年シーズンは開幕3戦をFW07Dで戦い、第5戦ベルギーGPからFW08が投入された。1982年は優勝者11人を数える大混戦のシーズンとなったが、ウィリアムズに新加入したケケ・ロズベルグは着実にポイントを稼ぎ、第14戦スイスGPで挙げた初優勝の1勝のみでドライバーズチャンピオンを獲得した。FW08Bはフロントタイヤ2輪・リアタイヤ4本を装着する6輪車のテストカーである。ウィリアムズは1981年末にFW07Dを6輪車に仕立ててテストし、1982年には2作目となるFW08Bを開発した。リアにはフロントの15インチよりも小さな13インチのホイールが4つ装着された。6輪F1マシンの先駆けであるティレル・P34はフロント4輪・リア2輪だった。リア4輪車はウィリアムズより先にマーチ2-4-0(1976年)が発表されていたが、テストのみで終わった(フェラーリも後輪の2連装タイヤをテストした)。リア4輪はタイヤを小径化することで空気抵抗を減らし、4輪駆動でトラクションを稼げるというメリットがあった。加えて、サイドポンツーン内部のベンチュリ構造を延長して、より強力なグラウンド・エフェクト・カーにすることが可能だった。複雑な駆動系と重量超過という課題はあったが、テストではまずまずの結果を残した。しかし1982年末に、FIAがグラウンド・エフェクト・カーの禁止とタイヤは4本までという新レギュレーションを発表したため、6輪車の可能性は潰え、FW08Bはウィリアムズのファクトリーにある博物館行きとなった。1994年、FW08Bはグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードのヒルクライムに登場し、ジョナサン・パーマーの運転で最速ラップを記録した。このタイムは1999年にニック・ハイドフェルドのマクラーレン・MP4-13が更新するまで破られなかった。FW08Cはから導入されたフラットボトム規定に適合するようFW08をモディファイしたマシンである。サイドポンツーンが小型になり、重量配分をリア寄りにするため、ラジエーターを車体後方に配置した。ヒューランド製ギアボックスは6速仕様となった。シーズン途中から、コスワースDFVエンジンの改良型、DFYに換装したが、ターボエンジンとのパワー差は埋め難かった。第5戦モナコGPでは、前年王者のケケ・ロズベルグが濡れた路面をスリックタイヤで快走し優勝した。しかし、シーズンを通して、ターボエンジン勢のタイトル争いには加われなかった。チームはホンダと契約し、最終戦南アフリカGPではホンダV6ターボエンジンを搭載するFW09を投入した。なおこのFW08Cは、まだF1のテストドライバー時代だったアイルトン・セナがウィリアムズのF1マシンを初めて運転したマシンでもある。
出典:wikipedia
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