『激突! 殺人拳』(げきとつ! さつじんけん、"The Street Fighter" )は、1974年の日本映画。主演 : 千葉真一、監督 : 小沢茂弘、製作 : 東映、カラー・シネマスコープ、91分。『殺人拳シリーズ』の第1作。空手・拳法の達人で、プロフェショナルの活躍を描いた物語。本作は日本国内だけでなく海外でも大ヒットし、千葉真一が海外で"Sonny Chiba"(サニー・チバ)として知名度を高めた作品である( ⇒ #興行)。既に東映は千葉を主演に据え、空手の達人が活躍する『ボディガード牙シリーズ』を1973年に製作。本作はこれに続く格闘映画である。突き技・蹴り技にアクロバティックな宙返りをする千葉のアクションと、"M65" フィールドジャケットと手裏剣内蔵した手甲を着用した装いが非情なプロフェッショナルとなり、これらは次作以降も踏襲されている。ヒロインに中島ゆたか、相棒に山田吾一、敵役の志堅原楯城には石橋雅史らを配役。山口剛玄と鈴木正文が撮影協力していることから、随所で剛柔流の型が表れている。剣琢磨は彼を「大人」と呼んで慕う張を助手に、殺人・誘拐など非合法な依頼を請け負うプロフェッショナル。琢磨は志堅原義順・奈智の兄妹から、殺人空手の使い手で死刑囚の兄、楯城の脱獄を請け負い、香港へ逃がすことに成功する。しかし兄妹は成功報酬全額を払えなかったため、琢磨は奈智を売り飛ばすと言い放つ。義順は琢磨に立ち向かうが全く歯が立たず、跳び蹴りも躱され、そのまま高層マンションから転落死。奈智は牟田口興産に売り飛ばされ、香港マフィアの五竜会の手に落ちてしまう。琢磨は牟田口から「ベルネラ石油の令嬢、サライ・チュアユットを誘拐してほしい」と新たな依頼を受けるが、その黒幕が五竜会と見抜き断る。琢磨はサライが身を寄せる空手道場の正武館に乗り込み、館長の政岡憲道と戦い、サライの護衛に自分を売り込んだことで、五竜会との戦いに巻き込まれていく。キングストーン(五竜会のボス)は、琢磨抹殺を香港の九竜暗黒街を牛耳るディンサウへ依頼。ディンサウは盲狼公ら屈強の部下を連れて来日するが、その中に楯城と救出された奈智もいた。サライは父親の部下であるバヤンに誘われ伊豆へ行くが、それは五竜会の罠であった。琢磨はサライを救出できず、五竜会に谷底へ突き落とされてしまう。サライは神戸沖に停泊するベルネラ石油のスーパータンカー「プリンセス・サライ号」に拉致され、全資産を父親の部下であるアブダル・ジャードに譲るという書面にサインすることを強要されていた。ジャードは五竜会と繋がっていて、サライの父親を殺害したのもジャードの企みだった。サライは「欲しければ、殺して奪いなさい」とサインに応ぜず、ジャード、バヤン、キングストーン、牟田口の前で拒否し続ける。一方、琢磨は単身でタンカーに潜入しサライを救出しにきたが、琢磨の前に義順の仇と狙う楯城・奈智兄妹が立ち塞がった。『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1972年)のシナリオハンティングで香港を訪れた高田宏治は、当地の映画館でカンフー映画を観賞した。東映京都撮影所へ戻ってから「香港にとんでもなく面白い映画がある」と彼方此方に伝えたので、スタッフ内では高田の土産話で持ち切りとなる。京撮側の説明を聞いても今一つどんな映画か理解できなかった岡田茂は、日本国内で一般公開される前のカンフー映画『燃えよドラゴン』(1973年)を観劇する機会に恵まれ、試写会へ向かう。観終ると岡田は、日本映画の国内市場が年々縮小していた事情を踏まえ、カンフーをカラテに置き換えて製作すれば、香港との合作や海外セールスも見込めると考えた。一方、宣伝担当の福永邦昭は製作のきっかけを、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』のバンコックロケの途中に香港へ寄った際、ゴールデン・ハーベストのプロデューサーとブルース・リーに会っていた。日本で知られていないカンフー映画やリーの人気ぶりを肌で感じた福永は、リーが千葉真一の大ファンであることを知り、共演できるかもしれないと今後を見据える。しかし帰国して10日後にリーの訃報を聞く。その後ゴールデン・ハーベストは『ドラゴン怒りの鉄拳』の日本上映権を格安でセールしてきた。フィルムを取り寄せ、社内試写で岡田茂に見せると「これなら千葉でやれる」と即決されたので、京撮で準備に取りかかった、と証言している。剣でも銃でもなく、殴打技や蹴り技などの格闘にアクロバティックなスタントが加えられたアクション映画は、器械体操で鍛えた身体を持ち、空手道の有段者である千葉真一に打ってつけの企画となる。高田宏治と岡田茂は千葉の担当プロデューサーである松平乗道に、海外合作と東南アジアでのセールスを見込める脚本を書くよう指示した。香港を舞台に国際ギャングと千葉が戦い、そこに各国の空手の使い手が入り乱れる準備稿が用意される。香港との合作を目論み、企画を統括する渡邊達人・高田・松平は、現地のゴールデン・ハーベストと交渉するが、合意に至らなかった。脚本は国内を舞台としたものに書き直され、予算は大幅に縮小。製作陣は何とか当初の案を少しでも反映させるよう、知多半島観光協会とタイアップする交渉も行われた。予算の復活が見えてきたクランクイン直前に「東映とタイアップしても観光に効果がない」と断られ、当初よりスケールは縮小されたものの、千葉ら出演者によるカラテアクションはド迫力なものになっている。剣琢磨(千葉真一)にとって最大の強敵となる志堅原楯城には、いろいろな俳優をリストアップしたものの空手の達人という設定で難航したが、剛柔流八段・極真空手七段で大山道場と極真会館の師範代を務めていた石橋雅史に決定。演劇を中心に活動していた石橋は映画界で無名だったものの、1973年の映画『ボディーガード牙 必殺三角飛び』で千葉演じる主人公との決闘シーンが評価され、千葉自ら石橋に本作の出演を打診した。千葉にとって石橋は、大山道場での先輩にあたる。千葉や小沢茂弘の要望で石橋は格闘シーンに全て立ち会うなど、スタッフとしても貢献した。石橋も思い入れのある作品として本作を挙げている。政岡憲道の配役は実際に空手を駆使するため、俳優よりも本職の空手家のほうがリアルになるという小沢の考えで、高岩淡に鈴木正文を紹介してもらい、キャスティングされた。小沢は本作を「全身全霊を込め、必ず当たるというつもりで作った一本」と述懐している。1973年12月26日に剣琢磨と志堅原楯城が大型タンカー甲板上で決闘するラストシーンを撮影。暴風雨の中で戦う演技のやり直しがきかないことから、午前中に演出プラン、画コンテ、リハーサルなどに費やし、午後に決闘シーンが撮られた。複数の放水による豪雨、複数の大型ファンで強風、電弧による稲妻などで暴風雨を再現されているが、演じていた千葉真一・志穂美悦子・石橋雅史はびしょびしょに濡れ、放水は耳へ浸入し、その冷たさに五体の感覚は薄れていた。石橋はあまりの冷たさで指が動かないことから、事故を避けるために釵の擬斗を途中で止める。ジャパンアクションクラブのメンバーが千葉や石橋にブランデー入りの紅茶を渡してくれても、全く寒気が収まらなかった。当初のプラン通りに演技できなかったものの、過酷な状況が想定外の劇的効果を生み出すこととなり、フィルム編集の妙と相俟って、ラッシュでは凄絶な決闘シーンが描写されていた。翌27日の午前2時に撮影終了し、千葉・石橋らは制作部の用意していた風呂に直行したが、浸かったらすぐに「(温度差で)両手両足の指先に、いきなり針を差し込まれたような激痛を感じた」と石橋は述べている。日本でのキャッチコピーは「俺も悪党!だが許せない奴らがいる」。国内公開すると、ヤクザ映画が下火である東映にとって久々の大ヒットをした作品となり、計4作の『殺人拳シリーズ』として製作されていく。千葉真一・志穂美悦子・石橋雅史ら出演者とスタッフで、丸の内東映劇場を皮切りに東京都内と大阪市内の東映直営館を廻り、壇上で空手の型を演武したり、話談をした。昭和30年代のような映画産業全盛期を髣髴とさせる溢れんばかりの観客が集まり、東映の調査ではラストの決闘シーンは観客満足度100%を示していた。アメリカ合衆国ではニュー・ライン・シネマがもともとワーナー・ブラザースの『ザ・ヤクザ』に刺激され、やくざ映画の購入に東映へ来ていたが、本作を観て心変わりし、千葉真一を「ブルース・リー以上だ。素晴らしい」と評して、興行権を買い取った。1974年11月12日から『"The Street Fighter" 』というタイトルでセントルイス・アトランタ・ニューオーリンズ・ワシントンD.Cなど、主にアメリカ合衆国中南部の都市18館で封切公開した。同時期に上映されていたパニック映画『エアポート'75』、『オデッサ・ファイル』、ミュージカル映画『星の王子さま』などの大作を押さえ、3週間でベスト5に躍り出て、千葉の代表作の一つとなった。そして『"The Street Fighter" 』は、アメリカ合衆国で最も権威のある総合情報週刊誌『"Variety"』が、日本映画を初めて掲載した作品にもなった。この成功により1975年1月下旬からは、ブロードウェイ (ニューヨーク) の"RKO" 劇場やマンハッタンでも上映された。過去の日本映画で比較的入ったといわれる『砂の女』や、ニューヨーク・タイムズなどの批評欄をにぎわした黒澤明の作品でさえ、アートシアター系で上映された程度であった。本作はアメリカ合衆国だけでなく、ヨーロッパ・オーストラリア・カナダの映画会社からも買い付けを受けた。海外で大ヒットした要因として「ブルース・リーの舞踊劇的な功夫と違い、ワザと力がより本物に近く、迫力がある」、「器械体操を利用した、トランジスター的器用さが面白い」ことが挙げられている。多くのアメリカ人からファンレターをもらった千葉は実際の反響を知りたくなり、ニューヨークへ視察に行った。現地の劇場では、配給元であるニュー・ライン・シネマはストリートファイトしている集団を映し、そのうちの一人が「ちっちっ、こんなことで驚くんじゃねえぜ。日本から、どえらい奴が来たんだぜ」というセリフを言う独自のイントロ映像を加えて流し、その後に本編が始まる趣向となっていた。千葉がセントラル・パークでジョギングの後にストレッチをしていたら、3,4人の黒人が近づいてきた。治安が良くないニューヨークなので千葉も警戒していたら、" "Are you Sonny Chiba?" " " "Yes." " " "Oh my god!" " と、たちまち10人ぐらい集まり、サイン攻めとカラテを見せることになった。2006年12月8日にDVDが東映ビデオから販売された。千葉真一のカラテ映画がアメリカでとてもブームになっており、カラテ専門家筋から「"Sonny Chiba"(サニー・チバ)の空手は本物」という批評を、大山倍達は(当地で)聞かされている。ブラジルで千葉のカラテ映画が当たってる時に磯部清次は「おまえ、千葉真一だろ?」と頻繁に声をかけられるので、便乗して「そうだ。千葉だ」と答えていた。英国放送協会 ("BBC" ) のドキュメンタリー番組『"Japanorama" 』では、2007年4月9日に「"Densetsu" ("Legends" )」(伝説)をテーマにした回で、千葉と共に本作の特集が組まれ、放送された。クエンティン・タランティーノ、キアヌ・リーブス、リュ・スンワンは、千葉真一の熱狂的ファンで、タランティーノが脚本を手がけたアメリカ映画『トゥルー・ロマンス』には、主人公と彼女がデートで本作を映画館で観ているシーンがある。リーブスは「『激突! 殺人拳』からアクションと芝居を学んだ。僕は映画用のカンフーならできるけど、サニー千葉は実際に人をボコボコにできる。情熱を感じる」と受けた影響を語っており、主演映画『ジョン・ウィック』のプロモーションで来日した2015年10月に千葉と待望の対面を果たした際には、" "Oh my god!" " を連発、固い握手を交わし、「ハジメマシテ、マエストロ!(巨匠)」と挨拶。「あなたはキャラクターを演じるだけでなく、そこにアクションを盛り込んだ。屈強なキャラクターにもあなたが演じると心が感じられる」と身振り手振りを交えながら、終始嬉しそうに大はしゃぎの様子だった。リュは『仁義なき戦い 広島死闘篇』のDVDに千葉からサインをしてもらったが「今日はDVDを持って来られなかったのですが、千葉さんの『激突! 殺人拳』が本当に好きなんです。僕があまりにも見ているので、うちの子供たちもテーマ曲を口ずさむことができる。お会いできて光栄です」と喜びを語っている。劇団☆新感線の喜劇『直撃! ドラゴンロックシリーズ』に登場する剣轟天(橋本じゅん)は、主宰のいのうえひでのりが剣琢磨(千葉真一)に触発され、橋本の動きなどを織り交ぜて誕生したキャラクターである。
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