モーツァルトの交響曲では、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの交響曲を作品リストにし、番号の付いていない作品について述べる(番号付きの交響曲については楽曲の項目を参照)。ここでは交響曲に番号が与えられていない作品を中心に解説する。偽作、及び疑作なども含む。("第1番から第41番までの交響曲に関しては各項目を参照")1765年に作曲された最初期の交響曲。旅行中に滞在したロンドンで5曲の交響曲を作曲したが、これは同地で作曲された作品である。楽譜は紛失しているが、その冒頭の主題が現存する。1765年の初頭に作曲された最初期の交響曲。旅行先のロンドンで滞在中に作曲された5曲の交響曲の中に含まれる作品である。長らく紛失していたが、のちに1981年にミュンヘンで再発見されている。イタリア風序曲の形式をとる。交響曲K.45a参照。1768年頃にザルツブルク作曲された交響曲。自筆譜、及び作品に関する資料が存在しないため、正確な年代や真偽については不明である。1771年頃にザルツブルクで作曲された交響曲。自筆譜、及び作品に関する資料が存在せず、作風からモーツァルトとは言い難く、また偽作・真作とも言えないため疑作とみなされている。なお「第42番」とされることもある。1767年にウィーンで作曲された交響曲。自筆譜が現存せず、モーツァルトの作品かどうかも疑いがかけられている。「第43番」とされることもある。1775年以前にローマで作曲されたとされる交響曲。真作または父レオポルトの作と考えられているが不明な点が多い。「第44番」とされることもある。1770年頃にローマで作曲されたとされる交響曲。自筆譜、及び作品に関する資料が存在しないため、疑作とみなされている。「第45番」とされることもある。1771年頃にザルツブルクで作曲されたとされる交響曲。かつては紛失していたが、20世紀になってから全曲の筆写譜が発見され、1910年に出版された。なお疑作とされているためケッヘル番号では補遺にされている。1771年頃にミラノで作曲されたとされる交響曲。自筆譜はなく、ほとんどモーツァルトの作品かは不明である。「第46番」とされることもある。1770年頃にローマで作曲された交響曲。交響曲第11番とひとまとめに作曲されたと推測されていることから、真作の可能性が示唆されている。「第47番」とされることもある。最初期の1764年または1765年頃にパリで作曲されたとされる管弦楽曲の楽章。断片で全体は16小節のみ現存し、交響曲かどうか判別は不明である。ケッヘル番号は与えられていない。
出典:wikipedia
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