ハンドレページ ハーミーズ(Handley Page HP 81 Hermes)は、1940年代と1950年代に英国のハンドレページ社が製造した民間旅客機である。同社のヘイスティングス軍用輸送機と近しい関係のハーミーズは4発の低翼単葉機であり、29機製造されて1950年代初期に英国海外航空(BOAC)に短期間就航した後で幾つかのチャーター航空会社で使用された。ハーミーズは1944年に英航空省が発行したファーストクラス34座席かツーリスト・クラス50座席の与圧キャビン付民間旅客機の仕様に合致するように製造され、同時期に英空軍がハンドレページ ハリファックスの代替となる新型輸送機の要求に応えたものがよく似たヘイスティングスであった。従来の尾輪式降着装置のヘイスティングスとは異なりハーミーズは首車輪式降着装置になるように計画されていたが最初の試作機2機は尾輪式であった。製造された2機の試作機の初号機は非与圧の「ドンガラ」であったが、試作2号機は与圧式胴体のフル装備であった。ハーミーズはヘイスティングスよりも先に就航する予定であったが、試作初号機(HP 68 ハーミーズ I、登録記号:G-AGSS)が1945年12月2日の初飛行で墜落したことにより製造は遅延した。民間型ハーミーズの開発は試作初号機の墜落の原因となった機体の不安定を解決するために遅れ、この問題を解消するために胴体が延長された試作2号機(HP 74 ハーミーズ II、登録記号:G-AGUB)が1947年9月2日に初飛行を行った。一方では、BOAC向けに2,100 hp (1,570 kW) のブリストル ハーキュリーズ 763 星型エンジンと首車輪式の降着装置を装備した決定版のHP 81 ハーミーズ IVが25機とターボプロップエンジンのを装備したハーミーズ Vが2機発注された。ハーミーズ IVの初号機(登録記号:G-AKFP)の初飛行が1948年9月5日に行われる一方で、生産は早々と立ち上がったが初期の機体はヘイスティングスの部品を使用したために重量過大となり、当初BOACから受領を拒否された。ハーミーズ IVは1950年8月6日にようやくBOACに就役し、アブロ ヨークの後を引き継いでトリポリ、カノ、ラゴス経由でアクラまでの西アフリカ路線に就航し、その年の末までにケニアと南アフリカ共和国への路線でも飛び始めた。BOACが運航したハーミーズ IVは西と南アフリカ路線で使用されたが、1952年には早々とこれらの機体は信頼性の高いに代替された。しかしながらデ・ハビランド DH.106 コメットが飛行停止となると1954年7月に再度路線に復帰し、12月まで使用された。これがハーミーズの旅客航路での最後の使用ではなく、余剰機は独立系のチャーター航空へ売却され、1952年にが4機を購入し、その他はとで主に兵員輸送業務に使用された。これらの機体の多くはオリジナルのハーキュリーズ 763が使用するものよりも低オクタンの燃料が使用できるハーキュリーズ 733エンジンを装着しハーミーズ IV Aと命名されたが、燃料の供給状況が改善されると標準型ハーミーズ IV仕様に戻された。エア・リンクス(Air Links)が使用していた最後のハーミーズは1964年12月13日に引退し、その9日後に廃棄処分にされた。ターボプロップエンジンを搭載した2機のハーミーズ Vが軍需省から発注され、1949年8月に初飛行を行った。これらは エンジンの開発ために使用された。最初の機体は1951年4月10日にで降着装置を出さずに着陸して失われたが、2号機はのとのRAEで1953年9月まで飛行テストが続けられた。試作機のハーミーズ IIは1953年10月に「VX234」という軍の登録記号を与えられ、ウスターシャー の用の空中レーダーのテストを含む各種研究/開発に使用された。この機体は最終的には1969年に退役し、最後のハーミーズとなった。ハーミーズ IVの胴体(元BOACの機体で登録記号G-ALDG、「ホルサ号」)がダックスフォード帝国戦争博物館に保存されている。29機全機がイングランド、ので製造された。(ハーミーズ IV) The Encyclopedia of World Aircraft
出典:wikipedia
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