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柊野

柊野(ひらぎの)は、京都市北区の鴨川(賀茂川)左岸、上賀茂地域西北部の名称である。周囲一面に柊(ひいらぎ)が生え繁っていたことに由来している。賀茂別雷神社(上賀茂神社)領だった土地に田畑が開かれて発展したため、「拓き野」「新羅野」がなまったものだとする説もある。柊野地域は主に、旧鞍馬街道(京都府道38号京都広河原美山線)に近い上ノ段(うえのだん)、雲ケ畑街道(京都府道61号京都京北線)に近い下ノ段(したのだん)、それらの中間域中ノ段(なかのだん)、両街道が分岐する、上賀茂朝露ヶ原町・葵之森町の両町域別れ(わかれ)の4つに区分される。柊野学区は、上述の柊野地域(上賀茂地域西北部)と西賀茂地域中東部を含めた区域で、賀茂川を挟んで両岸に広がっている。2010年(平成22年)4月現在で4848世帯、11754人が居住している。土地区画整理事業が順次進められたことから、昭和中期以降に人口が急増。特に、新興住宅地の造成とともに、若い世代の流入が目立っている。これにより、柊野自治連合会が京都市営バスの地域への運行を要望、2014年3月より地域内に停留所5か所を設置したうえで、特37号系統の試験運行が開始された。室町時代までは、上賀茂神社以北の貴船(貴布祢)までの所領は上賀茂神社領であったという。太閤検地により広大な荘園が没収され、朱印地としてわずかの境内地だけが残された。17世紀中期に、寺社奉行の認可の下で柊原新田が開拓され、上賀茂村の枝郷として成立したという。ここは後に、上賀茂神社領に追加された。1700年(元禄13年)『山城国郷帳』、1716年(享保元年)『山城国高八郡村名帳』にはそれぞれ、柊原新田一帯が上賀茂村に含まれていた旨の記述がある一方で、1701年(元禄14年)『元禄十四年実測大絵図』と1705年(宝永2年)『洛中洛外絵図』など、この時期に描かれた地図には柊野村との地名にあわせて村落の存在が見て取れる。1869年(明治2年)に村落一帯は愛宕郡上賀茂村に併合された。その後1931年(昭和6年)に京都市上京区に編入、1955年(昭和30年)に分区・新設の北区に含められた。

出典:wikipedia

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