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坊門忠信

坊門 忠信(ぼうもん ただのぶ、承元元年(1187年) - 没年不詳)は、鎌倉時代前期の公卿。諱は信能とも。内大臣・坊門信清の長男。後鳥羽天皇の生母藤原殖子(七条院)を叔母にもち、姉妹に源実朝室の信子、後鳥羽天皇女房の坊門局、順徳天皇女房の位子らがいる。官位は正二位・大納言。建永2年(1207年)参議、建保6年(1218年)権大納言。後鳥羽天皇・順徳天皇の寵臣として仕える。承久元年(1219年)正月、義弟である源実朝の右大臣拝賀式のため鎌倉へ下向し、実朝暗殺の現場を目の当たりにしている。承久3年(1221年)6月、実朝亡き後の鎌倉幕府と対立した後鳥羽上皇が幕府打倒の兵を挙げた承久の乱では、上皇方の大将軍として出陣した。しかし、上皇方の敗北により首謀者して捕らえられ、千葉胤綱に身柄を預けられる。処刑のため関東へ連行されたが、妹・信子の嘆願により助命され、遠江国より都へ戻って、同年7月出家した。その後幕府の処置により越後国へ流罪となる。まもなく赦免されて帰京し、太秦の辺りに籠居した。寛喜2年(1230年)の春には都へ戻り、一条大宮に居住している。勅撰歌人として新勅撰和歌集(5首)以下の勅撰和歌集に11首が入首しており、嘉禄2年(1236年)の後鳥羽院の遠流歌合に道珍の法名で参加している。没年は不明だが、暦仁元年(1238年)年までは存命している。

出典:wikipedia

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