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仙台市葛岡墓園

仙台市葛岡墓園(せんだいしくずおかぼえん)は、宮城県仙台市青葉区にある霊園。仙台市が設置し、財団法人仙台市公園緑地協会が管理・運営をしている。園内には市内唯一の火葬場である「仙台市葛岡斎場」がある。仙台市の霊園には仙台空襲後の戦災復興事業によって設置された仙台市北山霊園(現在は分譲終了)があったが、高度経済成長期に仙台市の人口が著増したため、昭和40年代に当時の仙台市と宮城町の市町境付近に当園が造成された。当園は、広瀬川左岸の権現森丘陵の南斜面を中心に広がり、川沿いの河岸段丘にあった葛岡城のほぼ真北に位置する。開園当初は、市内八幡町から広瀬川沿いワインディングロードの国道48号を通り、つづら折れの葛岡線および葛岡墓園入口線を上って当園南側に至るか、あるいは、八幡町から狭隘で急峻な鰻坂を上り、国見ジャルダン脇の芋沢街道を通って、葛岡火葬場前線で当園北側に至るかしか仙台市都心部との接続方法がなく、あまり利便性の高い霊園ではなかった。しかし、周辺道路や最寄り駅が整備されたことにより飛躍的に利便性が向上し、市の分譲分は終了した(一部で寺社等が所有する墓所の販売はある)。現在販売されている市営墓地は、2001年(平成13年)に開園した泉区の仙台市いずみ墓園(総面積266ha)のみであるが、当園への接続道路である国道48号や県道仙台北環状線沿いには、葬祭関連業種(石材店・葬儀場・葬儀屋・生花店・ホテルなど)が点在している。2009年(平成21年)度における当園での埋葬・改葬等は599件、動物納骨は1,448件だった。国道48号と葛岡線との交差点付近にある「郷六」バス停()が標高約75m、葛岡駅の入口が約125m、当園南側入口周辺が約140m、給水塔()周辺が約190m、最頂部が送電線鉄塔のある場所辺りで約205mというように、当園へのアクセスには標高差を克服しなくてはならなため、車でのアクセスが一般的である。そのため、お盆や彼岸の期間は園内がしばしば渋滞する。1968年(昭和43年)に「仙台都市計画葛岡火葬場」が都市計画決定されたため、1972年(昭和47年)に仙台市火葬場(北山火葬場)および新寺小路火葬場を廃止し、当園内に仙台市葛岡斎場を設置して供用開始した。当園の開園に伴い、園内に愚鈍院別院および林松院別院、隣接地に妙心院葛岡別院および大聖寺が移転あるいは別院を設けた。また、1975年(昭和50年)に宮城墓石センター(全優石宮城支部)が国道48号と葛岡線との交差点付近に開業するなど、周辺の民有地には墓石産業も集積した。1988年(昭和63年)に仙台市と合併した泉市(現:仙台市泉区)には泉市火葬場があったが、(旧)仙台市葛岡斎場の北側に(新)仙台市葛岡斎場が新築されて火葬炉数が20基となったのを機に2002年(平成14年)3月に廃止され、市内の火葬場が当斎場に統合された。なお、(旧)仙台市葛岡斎場は解体され、跡地は(新)仙台市葛岡斎場の駐車場およびロータリーとして使用されている。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、園内の道路や広場が一部破損し、葛岡斎場のインフラが停止した。早くに電力は復旧したものの、大きな被害を受けた仙台市ガス局の都市ガスに火葬炉の燃料を依存していたため、火葬が出来ない状況に陥った。そのため、タンクローリーで運んだガスや非常用の軽油バーナーを用いて火葬を再開した。軽油バーナーでは通常の遺体の火葬に約40リットルの軽油が必要だが、水死体では約1割多く必要であり、津波による犠牲者が多かった同震災では1遺体あたりの平均使用燃料がより多くなった。さらに、震災で交通網が寸断されて燃料不足に陥り、犠牲者も多数に及んだため、葛岡斎場が受け入れられる限界を超えてしまった。そのため市長は条例を改正して園内への仮埋葬(土葬)を認め、園内中央の高台周辺に仮埋葬地を造成した(、)。ガスが復旧した4月3日以降は、通常の3倍の1日60体の火葬体制に引き上げ、市外の犠牲者の受け入れも行った。なお、当園管理事務所前にプレハブで遺体仮安置所および遺骨安置所(、)が設置され、身元不明または引き取り手の無い遺体・遺骨が一時的に安置された。遺体仮安置所および遺骨安置所は、12月上旬に解体された。

出典:wikipedia

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