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ジャンカルロ・スタントン

ジャンカルロ・クルーズ=マイケル・スタントン(Giancarlo Cruz-Michael Stanton, 1989年11月8日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市パノラマシティ地区出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。現在はMLBのマイアミ・マーリンズに所属している。メジャー初出場のから2年間は、登録名をマイク・スタントン(Mike Stanton)としていた。ジアンカルロ・スタントンと表記されることもある。父はアイルランド系アメリカ人、母はアフリカ系アメリカ人とプエルトリコ人の混血。にもかかわらずジャンカルロというイタリア系の名前をつけられたのは、単に両親がその名前を気に入っていたというだけで、特に深い意味はないという。以前の登録名マイク(Mike)はミドルネーム・マイケル(Michael)の短縮形である。父と親類はマイク(またはマイキー)、母はもうひとつのミドルネーム(Cruz)で彼を呼ぶが、本人はジャンカルロが気に入っているという。子供のころの好きな野球選手はロサンゼルス・ドジャースのラウル・モンデシー。彼を観にスタントンは親子でドジャー・スタジアムを度々訪れており、4月23日にフェルナンド・タティースが朴賛浩から史上初の1イニング2満塁本塁打を放った試合も球場で生観戦していた。地元カリフォルニア州サンフェルナンド・バレーので2年間を過ごしたのち、近くのへ転校。そこでスタントンは野球とアメリカンフットボール、バスケットボールの3競技それぞれで優れた才能を発揮する。最上級生となったからにかけて、秋にはフットボールでディフェンシブバック兼レシーバーとしてチームを11勝1敗の好成績に導き、冬にはバスケットボールで1試合平均19.7得点・13.2リバウンドを記録、春には野球で打率.386・8本塁打という数字を残した。卒業を控えた頃には、スタントンの進路選択に注目が集まる。南カリフォルニア大学は野球とフットボールの奨学生としてオファー。特に全米屈指の強豪として知られるフットボールでは、ヘッドコーチのピート・キャロルがスタントンと直接面会してタイトエンドとして勧誘した。2007年6月上旬に行われたMLBのドラフトでは、2巡目(全体76位)でフロリダ・マーリンズがスタントンを指名。迷った末、8月上旬にスタントンはマーリンズと契約を結び、プロの野球選手になることを選んだ。契約後、スタントンはマイナーリーグでプロデビュー。最下層のルーキー級ガルフ・コーストリーグで8試合、SS-A級ジェームズタウン・ジャマーズで9試合の計17試合に出場して2007年を終える。シーズン終了後には『ベースボール・アメリカ』の若手有望株ランキングで、マーリンズ傘下では最高のパワーヒッターという評価を受けた。は、A級グリーンズボロ・グラスホッパーズで125試合に出場し、打率.293・39本塁打・97打点・OPS.993を記録。ただ「この成績は球場の狭さに助けられてのもの、翌年以降は続かない」という声があり、それがスタントンの耳にも入っていた。その一方でシーズン途中には、7月終了時点で58勝51敗のナ・リーグ東地区3位につけていたマーリンズが、ポストシーズン進出のためにボストン・レッドソックスからトレードでマニー・ラミレスを獲得しようとしたが、交換要員にスタントンを要求され拒否、結局トレードが実現しなかったということも起こっている。はAdv-A級ジュピター・ハンマーヘッズでシーズン開幕を迎え、50試合で打率.294・12本塁打・39打点・OPS.968という成績を残して、6月上旬にはAA級ジャクソンビルへ昇格。7月にはマイナーリーグのオールスター "フューチャーズゲーム" に選出され、試合では5回表の守備からジェイソン・ヘイワードに代わって途中出場している。AA級昇格後は79試合で打率.231・16本塁打・53打点・OPS.766と成績を落としたが、には同級にも適応。開幕から53試合で打率.313・21本塁打・52打点・OPS 1.171という数字を挙げる。5月6日の試合では推定飛距離500-550フィート(約152.4-167.6メートル)の大本塁打を放ち、それを見ていたダン・メイヤーがジョシュ・ジョンソンに「あんなに飛んだ打球は今まで見たことがないよ」と電話するほど、スタントンの持つパワーは20歳にして既にAA級でも抜きんでたものとなっていた。6月6日にマーリンズはスタントンについて、AAA級ニューオーリンズ・ゼファーズを飛び越してメジャーへ昇格させることを決定。アラバマ州モンゴメリーに遠征に出ていたスタントンへ、球団オーナーのジェフリー・ローリアが自ら電話してそのことを告げた。8日、敵地でのフィリーズ戦に7番・右翼として先発しメジャー初出場を果たす。20歳212日でのデビューは、のミゲル・カブレラ(20歳67日)に次いで、球団史上2番目に若い。この試合は2回表の初打席でカイル・ケンドリックから内野安打を放つなど、5打数3安打を記録した。メジャー初本塁打は9試合目の出場となった18日のレイズ戦で、マット・ガーザから満塁の場面で放った。6月終了時点で19試合に出場したスタントンだったが、打率.230・2本塁打・OPS.635・31三振と低迷。しかしその後は徐々に成績を上げていく。7月は月間打率こそ.233と前月と変わりないが、本塁打は7本放ち月間OPSも.906を記録。8月は、11日のナショナルズ戦で5打数5安打1本塁打4打点を挙げ、その日から3試合で4本塁打を放つなどの活躍で、その週の週間MVPを受賞した。最終的には試合数を上回る数の三振を喫したものの、新人最多の22本塁打で1年目のシーズンを終えている。AA級ジャクソンビルでの成績と合わせると、この年スタントンは計43本塁打を放ったことになる。フィリーズ監督のチャーリー・マニエルも「彼よりボールを強く叩けるやつはいない」と感心していた。はスプリングトレーニング序盤で太腿を痛め、オープン戦にはわずか6試合しか出場できず。4月1日のメッツとのシーズン開幕戦には4番・右翼として先発出場したが、やはり太腿の調子が思わしくなく途中交代し、翌日以降の1週間は出場を見合わせたり代打として1打席だけ登場したりした。この結果、4月は22試合の出場で本塁打は2本にとどまる。また、6月には右目の視界がぼやけて見えるため試合を欠場したこともあった。それでもシーズンを通しては持ち前の長打力を発揮し、リーグ5位の34本塁打。本塁打率15.2はプリンス・フィルダーに次いでリーグ2位だった。この年の6月からマーリンズの監督代行として指揮を執ったジャック・マキーオンは、かつて自分の下で若き主砲として活躍したカブレラとスタントンを「よく似ている」としたうえで、当時のカブレラと比べればスタントンの野球経験は短いのでまだ成長の余地があると期待を寄せている。は7月に膝を痛めて一時戦線離脱したものの、自己最高の37本塁打を放ち、長打率はリーグ1位だった。8月17日のニューヨーク・メッツ戦(シティ・フィールド)では、この年のMLB最高飛距離となる494フィート(約150.6m)の特大本塁打を放った。シーズン終了後の11月13日にはマーリンズが主力5選手をトロント・ブルージェイズに一斉放出する大型トレードが報じられ、スタントンは自身のツイッターで球団に対する怒りをあらわにするつぶやきを発信した。開幕前の2月27日に、第3回WBCのアメリカ合衆国代表に選出された事が発表され、代表入りしている。1月17日にマーリンズと650万ドルの1年契約を結んだ。9月11日のミルウォーキー・ブルワーズ戦で、マイク・ファイヤーズの投球が顔面に直撃し、負傷退場した。怪我は顔面の複雑骨折と診断され、シーズンの残りの試合を欠場した。負傷するまでは全試合となる145試合に出場し、37本塁打を打って自身初の打撃タイトルとなる本塁打王を獲得した。また、シルバースラッガー賞(外野手部門)とハンク・アーロン賞も自身初めて受賞した。シーズンMVPの次点となるなど高く評価された(1位は1968年以来の投手選出)。オフの11月20日にマーリンズと北米プロスポーツ史上最高額となる総額3億2500万ドル+出来高の13年契約(2028年・2500万ドルの球団オプション付き)に合意した。この北米プロスポーツ史上最高額というのは年俸ではなく「総額」で史上最高という意味である。4月16日のメッツ戦、通算155本目の本塁打を打ち、ダン・アグラの持つ球団記録を更新した。6月26日、打席で三振した際に左手を痛めた。試合後、左手の有鉤骨の骨折が判明し、故障者リストに登録された。その後、オールスターゲームに外野手部門の2位で選出されたが、出場を辞退した。左手を骨折するまでに打率.265、27本塁打、67打点、OPS.952などの成績を残し、本塁打と打点で両リーグ1位であったが、故障から復帰することなくシーズンを終えた。は、5月上旬から6月中旬にかけて深刻な打撃不振に陥り、一時は打率1割台にまで低下した。6月下旬頃から復調すると、7月5日、6日の試合にかけて4打席連続ホームランを記録するなど本来の調子を取り戻し、前半戦トータルでは打率.233まで戻し、20本塁打を放った。オールスターには選出されなかったが、ホームランダービーには出場。3戦合計で61本塁打を放ち、優勝した。なお、61本は2005年にボビー・アブレイユの達成した41本というダービー記録を大きく上回る歴代最多記録となった。規格外のパワーを持つMLBを代表する大砲である。三振は多いが、変化球に対する間の取り方も上手く、失投を待ってスタンドに叩き込むパワーがある。2014年には、自己ベストタイの37本塁打を放って自身初の本塁打王を獲得しているが、単にホームランを量産するだけでなく、飛距離のある特大の一発をよく放つ。前述の顔面直撃死球により負傷した患部を守るため、2015年シーズンはフェースガード付きヘルメットでプレーし、以後それでプレーしている。強肩で、守備範囲も平均以上のレベルを誇る。2015年1月、マーリンズを代表する選手として、地元マイアミで開かれた世界3大ミスコンテストといわれるミス・ユニバースの審査員を務めた。

出典:wikipedia

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