高梨沙羅(たかなし さら、1996年10月8日 - )は、日本の女子スキージャンプ選手である。2014年ソチオリンピック日本代表。2013年世界選手権混合団体金メダリスト、個人銀メダリスト。スキージャンプ・ワールドカップで女子歴代最多の44勝、シーズン個人総合優勝3回。北海道上川郡上川町出身。上川町立上川中学校から旭川市のグレースマウンテンインターナショナルスクールに進み、2014年に日本体育大学に飛び入学の形で入学した。父は元ジャンプ選手の高梨寛也で、兄もジャンプ選手で2015年ユニバーシアード代表でTBS記者の高梨寛太。小学校2年生からアルペン用スキーでジャンプをやっていたが、本格的に取り組むようになったのはテレビの映像で山田いずみ、渡瀬あゆみが飛ぶ姿を見て、地元のジャンプ少年団に入ってからである。2009年3月3日、蔵王で行われたスキージャンプ・コンチネンタルカップに初出場(19位)。2010年3月2日の蔵王大会で初の3位入賞。()で2月19日に行われたコンチネンタルカップで、国際スキー連盟公認大会での女子選手史上最年少優勝を記録。翌20日に行われた大会でも優勝し、2勝目をあげた。2月25日にはオスロ()で行われた世界選手権に初出場し、6位入賞。11月29日にロヴァニエミ()で行われたコンチネンタルカップで通算3勝目をあげる。スキージャンプ・ワールドカップでは、1月8日の第3戦で初の表彰台となる2位に入り。14日にインスブルックで行われたユースオリンピックで優勝した後、2月にエルズルム()で行われたジュニア世界選手権で個人と団体の2冠を達成(その後個人は2014年大会まで三連覇、団体は2014年大会でも優勝)。3月3日に山形市の蔵王ジャンプ台で行われたワールドカップ第11戦では日本人女子選手として初優勝。ワールドカップシーズン個人総合で3位入賞を果たした。ワールドカップでは、11月24日のリレハンメル大会でシーズン初勝利をあげたのを皮切りに全16戦中14戦を終えた時点で8勝をあげ、残り2戦を残し初の個人総合優勝を果たした。日本選手のスキージャンプワールドカップ個人総合優勝は史上初であり、16歳4カ月での達成はFISワールドカップ史上最年少記録である。直後にヴァル・ディ・フィエンメ()で開催された世界選手権の個人ノーマルヒルではサラ・ヘンドリクソンに競り負けたものの女子スキージャンプ競技で日本人初となる銀メダルを獲得。伊藤有希、伊東大貴、竹内択とともに出場した混合団体では金メダルを獲得。2013年よりクラレ(化学工業メーカー)と所属選手契約を締結。これにより2013/2014シーズンからクラレ所属として競技会に出場することとなる。2013/2014シーズンのスキージャンプ・ワールドカップでは、12月7日の開幕戦から2014年1月3日の第4戦まで4連勝を達成し、サラ・ヘンドリクソンが持っていた女子ジャンプ歴代最多勝利数記録の13勝に並んだ後、1月11日の第6戦札幌大会で14勝目を上げて、歴代単独一位となった。1月18日に蔵王で行われた第8戦で104mを飛び、転倒したものの優勝し、葛西紀明に並ぶ日本人最多勝利記録の16勝目をあげると、翌日の第9戦で17勝目を上げて日本人男女通じての歴代最多勝利記録保持者となった。2月1日、ヒンツェンバッハ()での第12戦でシーズン9勝目(通算18勝)をあげ、サラ・ヘンドリクソンが2011-2012シーズンに記録した女子ジャンプシーズン最多勝記録に並び、翌2日に行われたソチオリンピック前最後のワールドカップ第13戦でシーズン10勝目(通算19勝)をあげて記録を更新した。上記の通り直前のワールドカップで圧倒的な強さを発揮し、金メダル候補の筆頭として臨んだソチオリンピック女子ノーマルヒル()だったが、1回目で100メートルを飛び、124.1点で首位のカリーナ・フォークトと2.7点差の3位につけたものの、2回目は98.5メートルにとどまり、2回目に限れば全体で9位の得点という失敗ジャンプで合計243.0点の4位に終わりメダルを逃す。スキージャンプにおいては、向かい風が有利とされ、追い風だと距離が出にくいため、この有利不利をなくすために、向かい風ならポイントを引き、追い風だと加算する「ウインドファクター」がソチ五輪から導入されていたが、高梨は1回目がプラス3.1ポイントで、2回目がプラス1.9ポイントと、ともに不利となる追い風、かつジャンパーが恐れる飛び始めが向かい風で、後半追い風になるというパターンだったこともあり、特に2回目のジャンプでは距離が伸びなかった割に、立つのもやっとの着地になった。高梨本人が「後ろからの風にたたかれて、落ちてしまったと思います」と振り返った追い風の影響で、もともと苦手としていた足を前後に広げるテレマーク姿勢を入れられず、両足をそろえてしゃがみ込むように着地したため、減点が大きくなり飛型点が伸びず、金メダルのフォークトが106点、銀メダルのダニエラ・イラシュコ=シュトルツが103点、銅メダルを獲得したコリン・マテルが111点をそれぞれ出したのに対し、高梨は1回目51点、2回目50点の計101点に終わった。各選手との総合点差は4.4、3.2、2.2であったため、イラシュコは別にして、フォークト、マテルには飛型点の差がなければ負けていなかったことになるが、上位3名の選手と違い、2本ともに追い風を受けたことでテレマークを入れられず、ウインドファクターではカバーしきれないマイナスの影響を被った。試合後のインタビューでは「1本目も2本目も自分が納得いくジャンプが出来なかったのですごく残念」「本当に実力があれば関係はないと思うので、実力が足りなかったのだと思います」とコメントした。3月1日、ルシュノヴ()でのワールドカップ第14戦でシーズン11勝目(通算20勝)をあげ、2シーズン連続の総合優勝が決定。日本人のFISワールドカップ連覇はノルディック複合・ワールドカップで1992-93シーズンから1994-95シーズンにかけて3連覇した荻原健司に次いで二人目。その後も3月22日の最終戦・プラニツァ大会()まで勝ち続け、史上初の7連勝とシーズン全戦での表彰台獲得を達成。最終的にW杯ポイントを1720ポイント獲得し、2位のカリーナ・フォークトには914ポイント差をつけた。女子ジャンプ通算勝利数記録は24勝に、シーズン勝利数記録も15勝まで更新(男子記録はグレゴア・シュリーレンツァウアーの13勝)してシーズンを終えた。2014年3月、日本体育大学の飛び入学入試に合格。ただ競技と学業の両立問題を懸念し、一時は入学を保留する。しかしその後の大学側との話し合いにより、同年5月に一転して入学の意向を表明し、通常の1ヶ月遅れで大学に進学することになった。ワールドカップ開幕戦では3位、国内開幕戦の吉田杯ジャンプ大会でも2位に終わっていたが、年明けの雪印メグミルク杯全日本ジャンプ大会で優勝、ワールドカップ第2戦、第3戦(札幌)で連勝した。第5戦(蔵王)では天候不良で1本目のみで終了した影響もあり7位に終わり2013年2月3日以来約2年ぶりにワールドカップ表彰台を逃した。その後も10位以内はキープしたが表彰台圏外の試合もあったため、総合3位に順位を下げた。2月8日、ルシュノヴでの第10戦は1本目でトップに立った後に2本目が悪天候で中止になり、7戦ぶりの優勝を達成するとその後3連勝を記録し、総合2位に再浮上。2月20日、ファールン()で開催された世界選手権個人ノーマルヒルは1本目8位の出遅れが響いて4位となり、表彰台はならなかったが、混合団体では女子でトップの得点を記録して銅メダル獲得に貢献した。3月13日、オスロで開催されたW杯最終戦で優勝し、通算30勝目をあげた。シーズン総合は973ポイントで1位のダニエラ・イラシュコ=シュトルツに34ポイント及ばなかったが、総合2位入賞。サマージャンプのグランプリは5戦5勝で4度目の総合優勝を飾った。12月4日、ワールドカップはリレハンメルでの開幕戦で2本とも最高得点を記録し、通算31勝目をあげるスタート。12月12日、ニジニ・タギル()での第2戦も1本目はトップに立ったものの、2本目は最長不倒を記録したダニエラ・イラシュコ=シュトルツに逆転され2位となる。翌日の第3戦でシーズン2勝目をあげると、2016年に入り行われた札幌・蔵王での日本国内4連戦に全勝し、自身4度目のシーズン5連勝を記録。1月16日の札幌大会では2本とも他選手より2段低いゲートから飛んだものの、2本ともトップの飛距離を記録して2位に24.3点差をつける圧勝。翌17日も26.4点の大差をつけた。この連勝で札幌開催でのW杯は2013-14シーズンから6連勝となった。1月30日・1月31日のオーベルストドルフ()も連勝し、2シーズン前に記録した自己最長の7連勝に並んだあと、2月4日の第10戦オスロ(ラージヒル)で自己記録を更新する8連勝を記録。2月6日、ヒンツェンバッハでの第11戦は2本ともただ一人90m超を記録する圧勝で連勝を9に伸ばしてシーズン10勝目を上げるとともに、通算勝利数も40勝に到達。翌日の第12戦では1回目にジャンプ台記録を更新する98mを記録して連勝を10に伸ばした。2月13日、第13戦リュブノ大会()では2本とも優勝した地元のマヤ・ブディッチを上回る飛距離を記録したが、飛形点の差で2位に止まり、連勝記録は10でストップ。翌14日の第14戦では1回目首位に立ったものの、2回目で4位に順位を落とし、今シーズン初めて表彰台を逃した(W杯で表彰台を逃したのは8位だった昨年2月1日のヒンツェンバッハ大会以来19試合ぶり)。2月19日、ラハティ()での第15戦でシーズン12勝目を挙げ、2シーズンぶり3回目の総合優勝が決定した。スキーW杯での3度目の総合優勝は複合の荻原健司に並ぶ日本人最多記録。その後第16,17戦も優勝。第18,19戦が雪不足のため中止となったため今シーズンは17戦14勝の成績、通算勝利数は44勝でシーズンを終えた。
出典:wikipedia
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