第4期本因坊戦(だい4きほんいんぼうせん)は、本因坊戦の第4期として、第3期本因坊戦の挑戦手合の再三番勝負に並行して1946年8月から予選が開始される。1947年に岩本薫和本因坊と挑戦者木谷實による五番勝負が行われ、岩本本因坊が3勝2敗で2連覇を果たした。この第4期から、すべての手合が段位に関係なく、全棋士互先4目半コミ出しにより行われるようになった。林有太郎七段、島村利博六段、関西の半田早巳(道玄)五段、染谷一雄五段が勝抜いた。予選勝抜き者と、シードの橋本宇太郎八段(前本因坊)、木谷實八段、藤沢庫之助七段、高川格七段の8名で行われた。準決勝は、木谷實、林有太郎、関半田、染谷一雄が進出、決勝三番勝負で木谷が林を2-0で破り挑戦者となった。当時はまだ戦後の混乱期にあり、日本棋院の建物も戦災で消失したままで、木谷-林の予選決勝も柿の木坂の岩本自宅である仮事務所で行われたほどで対局場の設営も難事だった。このため挑戦手合は五番勝負とされ、1947年10月に開始された。第1局は鎌倉要山の香風園、第2局は野田の茂木房五郎宅、第3局は鉄道電気工業社長岡中の好意により本郷の鉄道会館で行われた。3局目は三日目夜に、形勢が悪化しつつあった木谷が貧血を起こして倒れたが、時間切れ負けとするわけにもいかないということで、葡萄酒を飲ませて、回復後に打ち継いだ。4局目は熱海の木宮荘、この時は木谷が腰に腫れ物ができていて延期を申し入れたが、予定通りに実施して木谷が白番半目勝。第5局も木宮荘で、握り直して岩本が先番となり3目半勝し、通算3勝2敗で本因坊位を防衛した。 (△は先番)序盤、右下隅の大ナダレ型で先番木谷の黒18(33手目)からの新型が生まれ、その後の戦いで黒が好調に進めるが、徐々に白が局面を複雑化して、逆転した。翌1848年1月、本因坊2連覇となったことから岩本は八段に推薦された。また続いて7月から、岩本と呉清源の十番碁も行われた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。