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富知神社

富知神社(ふくちじんじゃ)は、静岡県富士宮市にある神社。式内社論社で、富士山本宮浅間大社元摂社。「福地社」「福地明神社」「不二神社」とも。当社の創建は、孝霊天皇2年と伝えられる。江戸時代に記された浅間大社社伝(『富士本宮浅間社記』)には「大宮社地、古往以福地明神之社地、遷浅間神社。福地明神者、延喜式神名帳所載富知神社大山祇命也」とあり、大同元年(806年)に浅間大社が山宮(現 山宮浅間神社)から現在地に遷座して来るまで、同地には当社が地主神として鎮座していたという。この遷座に伴い当社は現地に移ったが、以降も地主神として浅間大社の祭祀に深く関わっている。また平田篤胤の『古史伝』には「此社今現に、大宮町に在て、福地権現と云由なるが、其浅間大宮の神主富士氏の家なる古記に、神主福地明神と有由なればなり」とある。平安時代中期の『延喜式』神名帳には、式内社として駿河国富士郡に「富知神社」の記載があり、当社はその論社とされている。論社には他に富知六所淺間神社(富士市浅間本町)がある。なお、同帳では読みは「フヂ」と振られている。『駿河国神名帳』では、正五位下に「福地天神」、従五位上に「福地地祇」が見える。『吾妻鏡』文治2年(1186年)の記事には「富士領上政所福地社」とあり、「富士領」とは浅間大社社領と見られることから、この時までには浅間大社の影響下に入っていたと見られている。以降、当社は浅間大社の摂社として推移し、神事は浅間大社の社人・福地大夫が司っていた。元亀3年(1572年)の『武田家朱印状写』にある山田甚三郎の任命以降は、山田家が明治まで福地大夫を世襲したと見られている。明治頃までは浅間大社の摂社として確認されるが、現在は事実上独立している。当社の社名の「富知」に関しては、富士山の山名との関わりが指摘される。文献には「富士山」の古名として次の2種類が知られる。以上のうち、「フチ」の古名は水の信仰に由来するとされる。『富士本宮浅間社記』では、当社は元々は現在の浅間大社の社地にあったと伝えるが、同地には富士山の湧水が出る「湧玉池」があり、同池を「湧く霊(たま)」として祭祀を行っていたと見られている。一方、浅間神の古称「アサマ」に関しては、阿蘇山・浅間山・朝日岳等に見られるように「火山」を表す呼称と見られている。そして富士山の噴火を鎮める必要性から、火神信仰が水神信仰を圧倒したと指摘される。正史での富士山噴火の初見は『続日本紀』天応元年(781年)7月条であるが、それ以前は穏やかな山としての表現のみであることから、噴火は起こっていなかったと見られている。以上から、大同元年(806年)と伝えられる祭祀の交替は、富士山の「水の神信仰(フチ信仰)から火の神信仰(アサマ信仰)への転換」を表す象徴的な出来事だと解されている。所在地交通アクセス

出典:wikipedia

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