万能町(まんのうちょう)は、鳥取県米子市の町名。郵便番号683-0065。東部を国道180号が通り、JR米子駅と接する。全域が商業地域となっている。明治35年(1902年)の米子駅開設により駅前に発達した町である。大正4年(1915年)、茶町、日野町、道笑町の各一部によって形成された。町名は、万能神社があることに由来する。大正2年(1913年)、駅前の「記念道路」と道笑町二丁目地内の国道19号とを結ぶ万能町通線の工事が着工され、同3年完成したが当時この工事に対し茶町、日野町、道笑町一丁目の住民は「新道の開設によって繁栄が奪われる」として反対運動をしたといわれる。昭和10年(1935年)一部が明治町・弥生町となり道笑町2丁目・日野町の各一部を合併した。町村制第六十八條に依り區を設け各區に區長及區長代理者一名宛を置き、各其の任期を四ヶ年とし區域の大小により區長には一ヶ年最低十圓より最高二十圓迄、區長代理者は一様に年額三圓の報酬を支給した。当選市制第八十二條に依り區を劃し區長及區長代理者各一名を置き任期は四ヶ年とし、報酬は區長年額最低四圓最高十五圓、區長代理者は二圓乃至三圓である。町成立後、間もない大正6年(1917年10月)『陰陽八郡郡勢一班』によると、所得額千円以上の者はみられず、国税営業税二十円以上納入者として、請負業(武井久造)、料理業(錦魚亭、後に道笑町二丁目に編入)の名がみえ、他に会社として山陰果実株式会社、西伯米券倉庫株式会社(伯耆農業倉庫)が記されている。大正7年(1918年)には、米子商事合資会社(仲立業、出資金三千円、古沢民次郎)、小泉履物製造工場(職工数十人)、同12年には山陰タクシー自動車商会、サン自動車商会、同14年には日本産業貯蓄銀行米子支店が次々と設立されている。大正11年(1922年10月)『西伯之資力』によると、地価二百円以上納入者として、小泉清三郎(履物製造、九百九十六円八十八銭)、河原仁十(魚類問屋業、四百七十八円五十四銭)の二人がみえ、所得税納入者は十七人、国税営業税納入者として次の十七人の名が記されている。一方、大正12年(1923年5月)『地方案内-三町国税商工名鑑』によると、次の21人が挙げられている。昭和3年(1928年)、西伯郡資力調査会編『西伯詳覧』には、前年度における営業収益税納入者と税額を記している。昭和9年(1934年)3月『米子商工案内-よなご―』(米子商工会議所編)によって、戦前の商工業の具体的状況をみる昭和6年(1931年)3月14日、万能町・周藤方より出火類焼六戸ニ及ビ損害五千圓ニ達ス。昭和9年(1934年)3月1日、万能町・小泉清三郎方より出火損害五千圓。
出典:wikipedia
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