軍国美談(ぐんこくびだん)は、明治末から昭和初期にかけての日本で広く知らされたエピソードで、日清戦争、日露戦争、満州事変、日中戦争、太平洋戦争における軍人、兵士、銃後の人々が題材となっている。新聞報道や軍人の手記などから生まれ、それを元にした流行歌(軍国歌謡)、映画、伝記・小説から歌舞伎、浪曲、講談、落語なども作られることがあり、学校教科書(国定教科書)などの教材として使われることも多かった。呼び名としては、戦時美談、愛国美談、戦時佳話なども使われた。中でも英雄的に殉職した軍人は軍神とも呼ばれた。「美談」は、政府や軍関係者が広めようとしたものもあったが、多くは新聞報道と民衆の支持によって物語化されていった。満州事変開始以降は、将兵の戦死や美談が数多く報道され、日露戦争時から比べると映画、ラジオ、レコードなどのメディアもこれに加わっていた点で変化がある。これらの中には涙を誘う悲劇としての他に、欧米に対する日本人の精神性の象徴として捉える論調も多く現れた。教科書で取り上げられた以外にも、雑誌や教師による訓話などで、子供達に大きな影響を与えた。美談を集めた出版もなされ、『満州事変軍事美談集』(教育総監部、1933年)や、教育雑誌『教育時論』の「戦時美談」欄などがあった。第二次世界大戦後になって国定教科書に記述されたものは、文部省や占領軍の方針により削除されることとなり、教師の指示により子供自身の手で墨を塗ったり紙を貼ったりして、いわゆる墨塗り教科書と呼ばれた。その他に日華事変で軍神あるいは模範的な軍人として扱われたものとして、戦闘機で戦死した南郷茂章少佐、「申し分ない典型的武人」として陸軍情報部によって顕彰された西住小次郎戦車長などがおり、秦賢助『軍神伝』(1942年)にまとめられている。これらも伝記や映画で数多く取り上げられ、軍の依頼によって書かれた菊池寛『西住戦車長伝』(1939年)もある。婦人雑誌では日中戦争開始以降、子供を戦死させた母親を讃える記事や、「軍国の母手紙集」などが掲載され、子供を戦地に送り出す母を歌った『軍国の母』(1937年)や、息子を戦死させた母が靖国神社を訪ねる『九段の母』(1939年)などがヒットした。また従軍看護婦の記録である大嶽康子『病院船』(1939年)は文部省主推薦図書となり映画化もされ、宮川マサ子『大地に祈る』(1940年)には菊池寛が「聖戦に参加した女性の心の最もすぐれた記録」という推薦の言葉をよせている。『主婦之友』では1938年に「婦人愛国の歌」「少年少女愛国の歌」作詞公募、『キング』では1939年に「出征兵士を送る歌」作詞公募なども行われる。この時期には、海軍甲種予科練習生を題材にして練習生募集を目的とした映画『決戦の大空へ』(1943年)や、神風特別攻撃隊を題材にした映画『雷撃隊出動』(1944年)なども作られた。
出典:wikipedia
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