クレマンソー()とはフランス海軍が建造を進め、第二次世界大戦中に建造中止となった艦である。本艦は1938年度計画で建造予定であったリシュリュー級戦艦の1隻で、艦名は政治家であるジョルジュ・クレマンソーに因む。本艦は、フランス海軍がリシュリュー級戦艦の3番艦として建造を進めた艦である。1番艦の問題点を改良した艦として設計された。船体形状はフランス近代高速戦艦伝統の中央楼型船体で、水面から艦首の甲板までの乾舷は高く、凌波性能が高いことをうかがわせる。本艦の構造を前方から記述すると、軽くシア(反り返り)の付いた艦首甲板に続き、本艦から搭載されることとなった新設計の「1935年型 正38cm(45口径)砲」を四連装砲塔に納めた。この1番・2番主砲塔を間隔をあけて2基搭載し、2番主砲塔の基部からは、中央楼が設けられて甲板一段分高くなっていた。主砲塔群の背後に塔型艦橋が立ち、艦橋の前部に対空火器として「1930年型 10cm(50口径)高角砲」が設置された。この砲は、防楯の付いた連装砲架に搭載されており、これを並列として1番・2番高角砲2基が配置された。高角砲の上方には司令塔を組み込んだ操舵艦橋があり、その背後に戦闘艦橋が上方へと伸びる。戦闘艦橋の頂部には、世界的に見ても大型の13.5 m主砲用測距儀1基を備える。さらにこの上に8m副砲用測距儀1基が配置され、これらは独立してスリップリングにより別方向に旋回できた。測距儀上には、前部射撃指揮所が載る。艦橋周辺の上部甲板は、主砲からの爆風を比較的受けにくいために艦載艇置き場となっていた。これらの艦載艇は、塔型艦橋の基部に片舷1基ずつ計2基付いたデリック・アームにより運用された。水面上の艦載艇は艦橋の側面まで吊り上げられ、左右の甲板上に斜めに延びたレールに載せられて舷側甲板上に並べられるか、艦橋と煙突の間の艦載艇置き場に並べられた。舷側甲板上には副砲の「1936年型 15.2cm(55口径)速射砲」を三連装砲塔に収めて1番・2番副砲塔として片舷に1基ずつ配置された。その後方に、10cm連装高角砲が片舷2基ずつ配置された。砲の配置は直列であった。後部マストと煙突は融合され、現代で言う「マック()」となっている。煙路は甲板内で集合され、機関から発生した燃焼煙は、直立した箱型煙突から、後方へ斜め45度傾けて後方に排出される。煙突の上部には後部司令塔と後部射撃指揮装置が載り、その上に単脚式のマストが搭載された。後部甲板上には8m副砲用測距儀があり、この下に3番・4番副砲塔が背負い式配置で搭載された。この武装配置により、艦首方向に最大で38cm砲8門・15.2cm砲6門・10cm砲4門、舷側方向に最大で38cm砲8門・15.2cm砲9門・10cm砲6門、艦尾方向に最大で15.2cm砲12門・10cm砲4門が指向できた。後背よりも前方、側方に主砲火力を集中する形式である。主砲はリシュリュー級より引き続き「1935年型 正38cm(45口径)砲」を採用した。その性能は重量884 kgの砲弾を最大仰角35度で41,700mまで届かせることができた。この砲を4連装砲塔に収めた。俯仰能力は仰角35度、俯角5度である。旋回角度は船体首尾線方向を0度として1番砲塔当が左右150度、2番主砲塔が左右156度の旋回角度を持つ。主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分2.2発である。主砲配置は砲塔2基を前甲板に集中配置する方式を採っている。本艦の砲威力は、第二次世界大戦での主要な砲戦の行われた射距離2万m台ならば舷側装甲393mmを易々と貫通する。優秀な火力を持つ艦砲であり、この砲の前に枢軸国陣営の戦艦の防護力を比較するならば、大和型以外には耐えられる防御を持つ戦艦が存在しない。副砲はリシュリュー級より引き継ぐ「1936年型 15.2cm(55口径)速射砲」を採用した。この砲は同海軍の軽巡洋艦「エミール・ベルタン」や「ラ・ガリソニエール級」の主砲にも採用されている優秀砲である。その性能は重量54~58.8 kgの砲弾を最大仰角45度で26,960 mまで届かせることができた。この砲を3連装砲塔に収めた。俯仰能力は仰角75度、俯角8.5度である。砲は、砲弾を装填するにあたって、あまりに砲身を急角度に傾けると装填が難しくなるため、砲身を装填に適した角度へ戻す必要がある。これを装填角度と呼ぶ。本砲の装填角度は俯角5度から仰角15度の間であった。砲塔は船体首尾線方向を0度として左右150度の旋回角度を持っていた。主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分5~8発である。高角砲は前級に引き続き「1930年型 10cm(50口径)高角砲」を採用した。この砲は、13.5kgの砲弾を仰角45度で15,900 m、また14.2kgの対空榴弾を最大仰角80度で高度10,000mまで到達させた。旋回と俯仰は電動と人力で行われ、左右方向に80度旋回でき、俯仰は仰角80度、俯角10度であった。発射速度は毎分10発だった。前級では片舷3基ずつの6基であったが、本型では片舷4基の計8基16門であった。他に高角砲の射界をカバーする役割として「1925年型37mm(50口径)機関砲」を連装砲架で4基、他に近接火器として「1929年型 13.2mm(50口径)機銃」を連装砲架で16基装備した。本艦は設計上、対抗艦種としてドイツ海軍のビスマルク級戦艦やイタリア海軍のヴィットリオ・ヴェネト級戦艦を念頭に置いている。特徴としては高度な重量計算と技術能力により、手堅い防御力を与えられている。前述の四連装砲の採用により、浮いた重量を防御装甲に回した結果、舷側装甲は列強新戦艦の中では厚い部類に入る330mm装甲を与えられた。この装甲は15度傾斜して艦体に貼られ、水平防御も150mmから170mm装甲が敷かれた。その防御力はビスマルク級戦艦の有する攻撃力に対し、射距離25,000m~35000mまでの間ならば、主要装甲部は無事というものである。機関配置はフランス近代戦艦伝統のシフト配置である。機関は前級のリシュリュー級と変わりなく、インドル式水管缶6基とパーソンズ式ギヤード・タービン4基4軸を組み合わせた。最大出力は150,000hpで、計画速力は30ノットであった。航続性能は速力10ノットで10,000海里、20ノットで7,750海里航行できると設計された。なお、フランス海軍は、機関性能を他国よりも堅実に見積もる傾向があり、完工後の運用で計画時の能力を上回ることが多かった。本艦は1937年にブレスト造船所に発注され、1月17日に起工された。10パーセント完成状態で第二次世界大戦の勃発により建造中止され、ドック上に放棄された。その後、1940年に侵攻してきたドイツ陸軍により本艦は鹵獲された。ドイツ軍はドックを空けるために本艦の建造を続行した。1943年2月には全長130m×全幅20m×高さ10m、重量3,600トンの段階にまで建造され、一応の進水となった。ドイツ海軍はこの艦体の甲板上に対空火器を搭載し、対空砲台として使用された。戦局の悪化した1944年6月から本艦はブレスト停泊地出入り口の閉塞船として使用され、同年8月27日に連合軍の爆撃機の空襲を受けて撃沈された。同大戦後の1948年に浮揚されて解体処分された。
出典:wikipedia
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