藤村 朗(ふじむら あきら 1887年11月 - 1953年)は日本の建築家・実業家。北海道出身。その後東京府(現・東京都)に移住。第二高等学校を経て、1911年(明治44年)東京帝国大学工科大学建築学科を卒業。三菱に入社し、地所課技師長を務めた。三菱銀行本店、丸ノ内ビルヂング(丸ビル)、丸ノ内八重洲ビルヂング(八重洲ビル)法曹会館など、大正~昭和期のオフィスビル建設に従事し、1937年三菱地所取締役に就任。後に三菱地所社長も務めた。父・胖は旧盛岡藩士で、北海道に渡り実業家として成功、屯田銀行頭取を務めた人物。1899年、死亡。兄に「巌頭之感」で知られる藤村操。1903年に日光の華厳滝で投身自殺した。妻・貴美は櫻井房記の長女。化学者の櫻井錠二(房記の弟で貴美の叔父)は義叔父。三菱重工業社長を務めた櫻井俊記(房記の長男で貴美の兄)は義兄。義弟に岩崎弥之助の三男で実業家の岩崎輝弥(妻・須美は櫻井房記の次女で貴美の妹)がいる。朗・貴美夫妻は3男1女をもうけた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。