クラーク・ゲーブル(Clark Gable, 1901年2月1日 - 1960年11月16日)は、アメリカ合衆国の映画俳優。第二次世界大戦前後の時代を代表するビッグスター。なおゲーブルは十代の一時期、父親の名前を自分の名前に冠して「ウィリアム・クラーク・ゲーブル」としていた頃があったが、これはすぐに止めている。ゲーブルはオハイオ州カディズで生まれた。両親は共にドイツ系移民の子孫であった。父親ウィリアムは石油の採掘業者、母アデレインは探鉱者だったがゲーブルが10ヵ月の時に死亡した。彼は16歳で高校を辞め工員として働いた。劇場で見た演劇に感動し俳優になる決心をし、オレゴン州ポートランドで地元の劇団に加わり、店員として働く傍ら巡業公演を行った。1924年にゲーブルは劇場支配人のジョセフィーン・ディロンから金銭的支援を受けてカリフォルニア州ロサンゼルスのハリウッドへ行った。ジョセフィーンはゲーブルよりも14歳年上で、彼らはハリウッドで結婚した。ハリウッドでは端役での映画出演を行ったが、その後舞台演劇に戻った。舞台での活動が、大手映画製作会社のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の幹部の目にとまり、1930年に契約し翌年から多くの映画に出演、「キング・オブ・ハリウッド」の異名をもつ大スターとなる。1931年にゲーブルはジョセフィーンと離婚した。ゲーブルは『或る夜の出来事』で1934年にアカデミー主演男優賞を受賞し、アメリカのみならず日本やヨーロッパ諸国でも高い人気を誇った。しかしながらゲーブルの最も有名な出演作は1939年の『風と共に去りぬ』である。同作のレット・バトラー役で彼はアカデミー主演男優賞のノミネートを受けた。1935年の『戦艦バウンティ号の叛乱』でのフレッチャー・クリスチャン役でもアカデミー賞の指名を受けている。ゲーブルはアカデミー作品賞受賞作品に三度主演した数少ない俳優の一人である。ゲーブルは1939年に女優キャロル・ロンバードと3度目の結婚をする。その生活はゲーブルの生涯で最も幸福なものであったという。しかしロンバードはアメリカが第二次世界大戦に参戦した後の1942年に航空機墜落事故で死亡し、幸せな結婚生活はわずか3年で幕を閉じた。ゲーブルは深く悲しみ、その悲しみを紛らわせるかのように第二次世界大戦下で枢軸国と対峙していたアメリカ合衆国陸軍航空隊に入隊した。なお、アメリカ軍は当初ゲーブルを軍役には着くものの、実際の戦闘には参戦させずに慰問部隊の一員として参戦させることを望んだ。しかしゲーブルはこれを拒否し、ヨーロッパ戦線でボーイングB-17爆撃機で数度の出撃を行った。なおアメリカ軍と政府は参戦したゲーブルを戦意高揚のためのプロパガンダ映画やニュースに大いに利用した。第二次世界大戦が1945年8月に終結し、その後軍を退役したゲーブルの初の映画は、1945年に製作された『冒険』であった。同作は商業的に成功せず、MGMはゲーブルの高給を考慮し契約を更新しなかった。なおその後シルヴィア・アシュレーと4回目の結婚をした。その後の10年間、ゲーブルはその経歴とは見合わないような小規模な作品や、駄作と評価されるような作品にも出演した。なお1954年(昭和29年)11月13日、映画『一攫千金を夢みる男』の、イギリスの植民地の香港にロケへ向かう途中に来日し大きな歓迎を受けた。そのキャリアに見合うような作品にも恵まれるようになった矢先の1960年に、ゲーブルは59歳でロサンゼルスに於いて心臓発作で死去した。ゲーブルの最後の映画は『荒馬と女』であった。なお同作は共演者のマリリン・モンローの生前最後の出演作でもあった。ゲーブルはカリフォルニア州グレンデールのフォレスト・ローン記念公園墓地で、最愛の妻キャロル・ロンバードの横に埋葬された。なお最後の結婚相手のケイ・ウィリアムズは、ゲーブルの死後に、ゲーブルとの間の子ジョン・クラーク・ゲーブルを生んでいる。ゲーブルは5回結婚している。1人目は上記のジョセフィーン・ディロン。2番目の妻はテキサス社交界の花形であったレアー・ラングハム・デイヴィスで、彼女は17歳年上であった。3人目はキャロル・ロンバードで、その生活は彼の生涯で最も幸福なものであったという。しかしロンバードは1942年の航空機墜落事故で死亡した。4人目の妻シルヴィア・アシュレーも2人目同様に社交界の花形で、サイレント期に「キング・オブ・ハリウッド」と呼ばれた国民的俳優ダグラス・フェアバンクスの未亡人でもあった。5番目の妻ケイ・ウィリアムズとは13年間もくっついては別れるを繰り返した末に結婚、これが最後の婚姻となった。ケイは元ファッションモデルおよび女優でペンシルベニア州ノース・イーストの出身であった。ケイはゲーブルの死の4ヵ月後の1961年に、ゲーブルとの間の子ジョン・クラーク・ゲーブルを生んでいる。歯を悪くしていたが、インプラントが無い時代であったため、比較的若い頃から総入れ歯を使用していた。発音などに大きな問題は無かったようだが、当時の義歯技術には限界があり、彼がどんなに手入れをしても口臭がきつかったという。『風と共に去りぬ』で共演したヴィヴィアン・リーは後に「彼とのキスシーンは、彼が口の中を徹底的に磨いてくれなくては嫌」と断ったという。また、『モガンボ』で共演したグレース・ケリーは、酔った彼に外した入れ歯を見せられたことがあるという。また自身もフリーメイソンの会員でカリフォルニア州にあるビバリーヒルズ・ロッジNo.528に入会していた。
出典:wikipedia
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