藤原 嗣宗(ふじわら の つぐむね、延暦7年(788年) - 嘉祥2年11月29日(849年12月17日))は、平安時代前期の貴族。藤原北家、大納言・藤原真楯の曽孫。肥後守・藤原永貞の長男。官位は従四位上・左中弁。若くして大学で学び、学問により立身する。天長元年(824年)従五位下・宮内少輔に叙任されると、淳和朝では中務少輔・散位頭・民部少輔・少納言を歴任し、天長10年(833年)従五位上に叙せられる。仁明朝に入ると、寒暑を厭わず昼夜公務に励む嗣宗の忠勤ぶりが天皇の知るところとなり、嗣宗は天皇の側近として寵遇を受け、承和5年(838年)正五位下・兵部大輔、翌承和6年(839年)右中弁次いで左中弁、承和7年(840年)従四位下と順調に昇進した。同年越前守に転任する。承和13年(846年)越前守の任期を終えた後に再度右中弁に任ぜられ、左中弁を経て承和15年(848年)には従四位上・蔵人頭に叙任された。嘉祥2年(849年)11月29日卒去。享年62。最終官位は左中弁従四位上。嗣宗は以下2つの栄誉を肝に銘じて決して忘れず、嗣宗は「至忠を感じて、天が高く引き上げないようなことは決してない」ということを口癖としていたという。
出典:wikipedia
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