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タイガーマスク (プロレスラー)

タイガーマスクは、日本の覆面レスラーである。元はアニメ「タイガーマスク二世」のタイアップ企画として誕生したがアニメ終了後も高い人気を誇りアニメとは離れたプロレスラーとして存在を確立して現在まで引き継がれている。1981年4月23日、新日本プロレス蔵前国技館大会でアニメ「タイガーマスク二世」とのタイアップ企画でデビュー。なお漫画版やアニメ版のタイガーマスクは虎の頭を模した形状のマスクを着用しているが実在プロレスラーのタイガーマスクは人間の頭にフィットした形状のマスクである。イギリス遠征中だった新日本プロレスの佐山が新日本の意向を受けて極秘帰国してタイガーマスクに扮して1981年4月23日、新日本プロレス蔵前国技館でダイナマイト・キッドを相手にデビュー。空中殺法が人気を博して一大プロレスブームを巻き起こした。タイガーマスクの権利者だった梶原一騎は漫画「プロレススーパースター列伝」の原作者として作品に現実のタイガーマスクを登場させて一部にフィクションを織り交ぜながらタイガーマスクの人気に拍車をかけた。しかし人気絶頂期だった1983年8月10日、佐山は突如として新日本へ契約の解除を一方的に申し入れて引退(正確には引退はせず退団)を表明。UWF参戦時はマスクとコスチュームのデザインを一新てザ・タイガー、スーパータイガーのリングネームで活動していた。その後、初代タイガーマスク、タイガーキング、ザ・マスク・オブ・タイガーなどのリングネームを使用している。1984年8月26日、全日本プロレス田園コロシアム大会でメキシコ遠征中だった全日本の三沢が2代目タイガーマスクとしてラ・フィエラを相手にデビュー。1985年10月、ヘビー級に転向。1990年4月、天龍源一郎ら大量の選手が全日本を退団したため残った選手による全日本活性化のために素顔に戻ることを決意して5月14日、全日本プロレス東京体育館大会で2代目タイガー&川田利明組対谷津嘉章&サムソン冬木組戦の試合中に突如としてパートナーの川田に自身のマスクの紐を外すよう指示、自らの手でマスクを脱ぎ捨ててリングに立ち試合を続行。奇しくも自らマスクを脱いで最終戦で正体を明かしたアニメ「タイガーマスク|タイガーマスク二世」と同じ結末を迎えた。1991年、タイガーマスクに酷似した覆面レスラー「キング・リー」と名乗ってメキシコ遠征中だった金本が新日本の意向を受けて極秘帰国して1992年3月1日、新日本プロレス横浜アリーナ大会で新日本プロレス設立20周年の企画として3代目タイガーマスクがデビュー。当初は記念試合として1回限りの企画の予定だったが好評なため、その後数度の単発登場を経て1993年5月3日、新日本プロレス福岡ドーム大会で獣神サンダー・ライガーを相手に正式デビュー。しかし自らが得意とする(あるいは理想とする)ファイトスタイルとタイガーマスクとして求められるファイトスタイルの差に苦しんだり思うような結果が出せず1994年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会でライガー戦後にマスクを脱ぎ捨てた。初代タイガーマスクの佐山聡の指導を受けた唯一のタイガーマスクであり2代目と3代目が最初は素顔でデビューしたのに対してマスクをかぶってデビューし一貫して「タイガーマスク」を名乗っている。1995年7月15日、後楽園ホールで開催された「'95格闘技の祭典」でザ・グレート・サスケを相手にデビュー。当初はフリーだったが後に、みちのくプロレスに入団。2002年2月から新日本のシリーズ(巡業)に1年間、帯同して12月16日、新日本に円満移籍。2010年7月18日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟の真樹ジム主催興行BREAK-4「KICK GUTS 2010 梶原一騎24回忌追悼記念 第13回梶原一騎杯」で初代タイガーとタッグを組んでデビュー。

出典:wikipedia

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