高木 晃次(たかぎ こうじ、1968年5月10日 - )は、元プロ野球選手(投手)。2010年からは千葉ロッテマリーンズのスコアラー。プロ入り21年目の2007年に初めてFA権を取得したことが話題となった。阪急に入団した選手の中で、最後まで現役を続けた投手だった(入団3年目に球団がオリックスに買収された)。1987年、横芝敬愛高校から阪急ブレーブスにドラフト1位で指名され入団。同期3位に最後の阪急所属選手・中嶋聡がいた。4年目の1990年に速球を武器に一軍に定着し、主に中継ぎとして活躍。しかし、以降は制球に苦しみ、低迷が続いた。1993年オフに馬場敏史とのトレードで福岡ダイエーホークスに移籍。ダイエーではほとんど登板機会がなく1997年に戦力外通告を受ける。ヤクルトスワローズにテスト入団。野村監督の指示でサイドスローとシュートを覚える。移籍した1998年はワンポイントリリーフを中心に24試合に登板。復調の手応えを掴むと、翌1999年には開幕直後は二軍スタートだったものの、4月21日に一軍登録されると、その日の中日戦に登板して自身8年ぶり、そしてセ・リーグ初の勝利を記録した。5月12日の阪神タイガース戦では13年目にしてプロ初完封勝利を記録した。この年はエース格の石井一久・伊藤智仁・川崎憲次郎らの不調もありそこから一気に先発ローテ入りして大車輪の活躍を続け、結果的にジェイソン・ハッカミーに続き3完封を含め9勝(8敗)のチームの日本人投手最高の成績を残してセ・リーグ投手防御率ベスト10の8傑に入り、規定投球回数にも初めて到達すると言う充実の一年を過ごした。しかし、2000年から再び低迷し、2001年に2度目の戦力外通告を受ける。千葉ロッテマリーンズにテスト入団。移籍して数年間は時折先発もしたが、2005年からはビハインドでのロングリリーフや早い回での1イニング登板、左のワンポイントなど中継ぎとして活躍。21年目の2007年に初めてFA権を取得。同年は藤田宗一の故障もあり、自己最多を1試合更新する43試合に登板した。同年のパ・リーグクライマックスシリーズ第2ステージ第2戦では、ふくらはぎの痙攣で降板した小林宏之をリリーフし、勝利投手となった。晩年の投球スタイルは、サイド気味の左腕から140km/h中盤の直球を主体にスライダー・フォーク・シュートを織り交ぜるもの。直球は140km/h後半に達することもあるなど威力があり、投球の生命線となっている。横手投げや上手投げも交え、投げる角度を変えて相手を幻惑するというベテランらしい投球術も見せる。2008年3月23日の対日本ハム戦では、1990年7月11日の福岡ダイエーホークス戦以来、18年ぶりにセーブを記録。翌24日の対福岡ソフトバンクホークス戦では通算300試合登板を達成した。同年もワンポイントリリーフなどに重用され、前年の自己最多に並ぶ43試合に登板。藤田宗一や薮田安彦らの移籍で手薄になった中継ぎ陣を支えた。2009年は不振で16試合の登板に終わる。同年10月1日、3度目の戦力外通告を受ける。12球団合同トライアウトに参加したが獲得球団はなく、12月4日に引退を表明した。阪急・オリックス、ダイエー、ヤクルトでの15年間、一軍で白星を挙げたのは4年しかなかったが、ロッテ入団後は2007年まで毎年白星を挙げた。2010年からはロッテのスコアラーとして活動する。
出典:wikipedia
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