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SU-122-54 (自走砲)

SU-122-54(Samokhodnaya Ustanovka -122-54、)はソビエト連邦の自走砲である。ソビエト連邦軍がSU-100の後継として開発した対戦車自走砲で、西側諸国ではかつてIT-122と呼称されていた。第二次世界大戦時のT-34/85中戦車に対するSU-100と同様のコンセプトで、大戦後主力戦車となったT-54の車体をベースに固定式戦闘室を設け、より大口径な主砲を搭載したものである。1954年より少数が生産されて配備されたが、配備部隊と運用状況については資料が少なく、現在でも不明点が多い。遅くとも1970年代前半には退役し、大半は戦車回収車に改造されて支援車両として運用された。それらのうち、戦闘工兵車に転用された車両は2000年代でも少数が使用されている。1949年より「オブイェークト600()」の名称で開発され、途中で仕様の変更や開発/生産工場の選定などの混乱もあったものの、1950年には試作車が完成、1951年6月から8月にかけて試験が行われた。この際に発覚した問題点は1951年中に解決され、翌1952年6-7月には量産仕様の最終試作車が完成・納入され、1954年3月15日には大規模生産の開始が決定された。しかし、主砲となる122mm M-49(D-49)の生産が遅延したために供給が遅れたこと、まずは戦車型であるT-54の生産を再優先とする、と決定されたことから生産がはかどらず、1954年から1956年にかけて小規模に生産されたのみで、最終的に完成した車両は約77両に留まった。1954年から1956年にかけて少数が生産されて戦車駆逐連隊や旅団に配備されたとされるが、実際の配備部隊や運用状況は定かではない。その後、1960年代後半から1970年代前半かけて前線部隊から引き揚げられたと見られ、大多数は武装を撤去して戦車回収車に改造されたのち、親衛戦車師団に再配備されて支援車両として運用された。主砲をT-10重戦車と同じ122mm M-62戦車砲、及びオブイェークト279重戦車他に搭載されていた130mm M-65戦車砲に換装する計画があったとされているが、実際に搭載された車両が製作されたかについては不明である。戦闘室はISU-152/ISU-122に類似した六角形のもので、前面と側面前半部には大きな傾斜が付けられた避弾経始の高いものとなっている。車体前面および側面の装甲厚はそれぞれ100mm/80mmである。ソビエト軍の戦闘車両では通常操縦席は左側か中央にあるが、本車では操縦席は右側に配置されている。車体は基本的にT-54と同一だが、各転輪の間隔はT-54とは異なっている。主砲はペトロフ砲兵設計局で新規開発された122mm戦車砲 M-49S(D-49S)で、搭載砲弾数は35発、戦闘室正面中央の半球状砲架に装備され、上下方向の他、左右方向にも限定的ながら指向することができた。副武装には、防楯右側に主砲同軸1挺、戦闘室上部左側の装填手ハッチにある電動式機銃架に1挺の計2挺のKPVT 14.5mm重機関銃を装備し、搭載弾薬は600発であった。また、車長用キューポラにはソビエトの自走砲では初めてステレオ・レンジファインダー式の測照儀を装備し、ソビエト軍車両としては異例の長距離高精度射撃能力を備えている。ランク5、ソ連駆逐戦車ツリーにて開発可能。

出典:wikipedia

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