博多華丸・大吉(はかたはなまる・だいきち)は、吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本社に所属する日本の漫才コンビ。1990年5月にコンビ結成し、吉本興業福岡事務所(福岡吉本)からデビュー。福岡で活動した後、2005年に上京し、吉本興業東京本社の所属となる。博多弁漫才を全国展開し活躍している。略称は華大(はなだい)。THE MANZAI 2014優勝者。1989年、ともに福岡大学に進学し、落語研究会に所属したことにより知り合う(後に2人とも大学を中退)。地元のタウン誌に活動が紹介され、それを見た別のプロダクションにコンビ名「ヨッチャン・オカチャン」を付けられ東京でやらないかと誘われたこともあるが、怪しいプロダクションだったため、そこには入らなかった。その後、1990年4月、地元で開催されたオーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』(テレビ西日本)に「岡崎君と吉岡君」の名で漫才コンビとして出場。それがきっかけとなり、同5月吉本興業福岡事務所の1期生のオーディションに合格。初代吉本福岡事務所長の「芸人は本名ではなく芸名で」という方針で、当初「華丸・大吉」としてデビュー、その後、「芸名(平仮名で)7文字が売れる」ので「さらにめでたい名前をつけよう」という意向で、「鶴屋華丸・亀屋大吉」(つるやはなまる・かめやだいきち)と改名する。デビュー翌年から地元テレビ番組『どっちもどっち博多っ子倶楽部』(TVQ九州放送)にレギュラー出演(但し大吉はフロアディレクター)、1993年には『とことんサンデー』(テレビ西日本)の司会となり、福岡県をはじめとする九州・山口地方ではトップクラスの人気を獲得、全国デビューする前の1995年にフジテレビ『めちゃ²モテたいッ!」』(『めちゃ²イケてるッ!』の前身番組)で「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。1997年より1年間、トラブルにより大吉が休業。活動再開を期にネタづくりは華丸から大吉中心に移行した。1999年から2003年まで『爆笑オンエアバトル』に出演した(ゴールドバトラー)。2001年の第1回M-1グランプリでは11位となり決勝進出はならなかった。結成11年だったが吉本興業の社員から「ええねん、ええねん」と言われ出場の要請を受け出場、しかし準決勝の時点で主催者側から「10年を超えているのはやはり駄目」となり実質失格の扱いだった。当時は敗者復活枠が無くこの時点で結成10年を超えていた為、次年度以降は出場出来ず、これが最初で最後の出場となった。2004年4月、屋号を博多に変更した現在の芸名へ改名する。改名のきっかけは、姓名判断に詳しい福岡事務所の女性パート職員が退職する際「『鶴屋』と『亀屋』は運気的に最低の名前」「『鶴屋』がほぼ0点に近い。『亀屋』は口に出せない(ほど最悪)」と判断され、「ずっと気になっていた」「お願いだから改名して欲しい」と頼まれた事である。その女性職員から「いい名前がある」と勧められたのが、現在の『博多』の屋号である。またその女性職員から「屋号を博多に変えて2年以内に2人が東に向かうと運気が上がる」ともアドバイスされる。尚、改名に際し同じ「博多」の屋号であった木村進(三代目博多淡海)にも報告し、改名を快く認めてもらったという。2005年4月に、華丸曰く、先述の元女性職員のアドバイスに「背中を押していただいた」形で、3年越しの念願であった東京本社へ移籍。移籍後はルミネtheよしもとでの舞台などが主な活動の場となっている。また、月に数回は福岡での仕事も出張として行っている。しかし移籍当初、テレビ局や制作会社には新人とみなされたため、東京進出直後はテレビ出演一本あたりのギャランティは福岡時代より断然減っており、出演数をこなしているのでそれなりの生活が出来ている状態であった。東京進出のきっかけとしては、かつての後輩のヒロシのブレイクもあったという。同期の竹山隆範がカンニングとして全国区でブレイクした時はそれを祝福し、ネタも標準語主体であったため気にしていなかったが、ヒロシの熊本弁を用いたネタが受けていたことは、博多弁漫才を売りにしていた彼らに大きなショックを与え、東京進出を決意させた。2005年10月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内のコーナー、「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」の第6回大会に華丸が出場、児玉清のモノマネで優勝し、注目を浴びる。その後、第7回大会も優勝し、2016年の時点では唯一の連覇達成者となった。当時の華丸・大吉は番組のオーディションに「面白いんだけど、それが伝わりづらい」との理由でことごとく落とされていたが、伝わりづらいことを活かせる同コーナーが彼らの知名度を大きく上げることになった。2006年2月、華丸が『R-1ぐらんぷり』の決勝に進出。上記の児玉清のモノマネのネタで優勝を果たす。この大会で披露したネタを作ったのは相方の大吉であり、裏方に回って華丸を支えていた。大会前には、華丸は「博多のおじさん」という新ネタで出場しようとしていたが、大吉が児玉清ネタにするよう説得し、大喧嘩になったという。2006年5月19日にはなかやまきんに君からの紹介で『笑っていいとも!』のテレフォンショッキング出演を果たす。2008年9月4日放送の『アメトーーク』の企画「中学の時イケてないグループに属していた芸人」には大吉が出演、ネガティブなトークが注目されたことで同番組への出演回数が増え、「大吉先生」と称されるキャラクターやトーク力が世間に認知されるようになる。大吉自身は、2012年4月から『たまむすび』(TBSラジオ)の水曜レギュラーに抜擢されたこともブレイクの要因と考えている。また『アメトーーク』では、2012年3月8日放送の「小忙しい芸人」にて、営業先での「華丸・大吉あるある」トークが盛り上がり、宮迫博之の「華丸・大吉芸人やりたいな」という提案に出演者や多くの視聴者が賛同した。このことから、2012年5月17日と24日の放送で華丸・大吉と彼らに所縁のある芸人が集結した「華丸・大吉芸人」の企画が実現した。さらに、2012年の年末には「多くの芸人に愛され、視聴者に暖かい笑いを送り続けた」との理由で、二人にアメトーーク大賞が授与された。2011年、コンテスト形式としては第1回となる『THE MANZAI』にて認定漫才師50組に選抜され、本戦サーキットを13位で通過し決勝大会に進出する。「(大会最高顧問ビートたけしに)“あんちゃん達面白いね”と一言頂けるように頑張ります」と臨み、一回戦で「乾杯の挨拶」のネタを披露したが、福岡吉本の後輩であり自らも評価していたパンクブーブーに大差で敗れる。獲得したのは関根勤からの一票のみだったが、ビートたけしが「華丸・大吉もっと(票が)入ってもよかったんじゃないか」とコメントし、「泣きそうです」と応えた。2014年、再び『THE MANZAI』にて認定漫才師に選抜され、本戦サーキットを6位で通過し決勝大会に進出する。一回戦は「YouTuberになりたい」というネタを披露、ワイルドカード枠で出場した三拍子の4票に対し6票を獲得して競り勝った。三拍子のネタがかなり受けていたため自身は敗戦を悟っており、勝利決定の瞬間には大吉が思わず「(2本目のネタ合わせをしていないため)まずい」と言ってしまったほどの意外な最終決戦進出であったという。最終決戦では得意ネタである「宴会の抜け出し方」を一回戦のネタも絡めて披露し、アキナ、トレンディエンジェルを相手に10票中9票獲得する快勝で、優勝に輝いた。審査員は、華丸・大吉が力の抜けたゆったりとしたテンポで、分かりやすい漫才を披露したことを評価していた。優勝後のコメントでは、2013年の年末にビートたけしと共演した際、たけしから「なんであんちゃん達(大会に)出ないの?」と背中を押されたことで出場したことを明かした。たけしも「俺は(華丸・大吉の)ファンだから」と述べ、放送後の記者会見では若手芸人と華丸・大吉の違いを流行りの食堂と老舗の名店の味に例えて讃えていた。大木こだまなどの先輩芸人も、二人の大会出場を後押ししたという。また、大吉は同期である司会のナインティナインに対し「やっと背中が見えてきたよ」とコメントし、最後は「この予選に出ていない方も僕らの先輩たちも、本当に面白い漫才師さんは劇場にいますので、是非皆さん劇場に足を運んでください」と締めくくった。『THE MANZAI』の優勝者には、優勝賞品として深夜帯の冠番組が贈られるが、当初二人は、すでに冠番組『華丸・大吉のなんしようと?』(テレビ西日本)を持っていたことなどから賞品番組の辞退も考えていた。しかし、『THE MANZAI』の他の出場者も含め、若手芸人に全国区の番組に出る機会を与え、彼らに経験を積んで欲しいとの思いもあり、2015年4月から9月まで、若手芸人やパフォーマーを迎えるトーク番組『華丸大吉の2020』のMCを務めた。博多弁を多用した漫才をメインとして演じている。漫才の中では、華丸が「お酒好きで陽気な博多のおじさん」を演じることが多く、華丸の弟によれば、このキャラクターは土建業を営む華丸の父親そのままであるという。大吉が華丸を強く叩くなどといった激しいツッコミは、ほとんど行われない。これは福岡には「博多仁和加(はかたにわか)」という伝統芸能があり、そこでは演者のボケた言動を観客が受け入れ、ツッコミのように否定する文化がなかったから、としている。大吉は「ツッコミではなく、華丸をなだめている」という穏やかな漫才を自分たちの特徴としており、「いつかは全編ツッコミのない漫才をしたい」と語ったこともある。華丸がボケる際にオーバーな表情を見せることも多く、大吉は「華丸・大吉の漫才って、華丸さんのにらめっこなんですよ」と例えている。頻度は低いが、コントも行っている。漫才と同様に華丸が博多のおじさんを演じるネタや、華丸が得意とする児玉清、川平慈英といったモノマネを取り込んだネタなどがある。テレビでは4分程度のネタを演じることが多いが、大吉によれば、自分たちの本分は舞台で演じる15分程度のネタであるとしている。将来的に舞台中心の活動となることを見据えて、月に1本のペースで新ネタを作成している。福岡吉本出身の芸人の兄貴分的存在で、多くの後輩から慕われており、飲み会での乾杯の音頭は常に華丸が取る。特にパンクブーブーとは交流が深く、彼らの実力と才能をいち早く見抜いた芸人の一人でもある。確かな実力を有しながらもなかなか売れなかった彼らを不憫に思い、大吉は七夕の短冊に「パンクブーブーに光が当たりますように」と書いたことがある。その年にパンクブーブーはM-1王者に輝いた。一方、パンクブーブーも、華丸・大吉が東京進出して間もない頃は、二人が早く東京や東京の芸人に馴染めるように色々と売り込んだり、心を砕いたりしていたという。黒瀬は華丸のことを「お父さん」と呼んでいる。他の芸人が忙しければ断りそうな細かい仕事や、スケジュール上無理と思われるような仕事も断らず受けてしまうため、自嘲気味に「よしもとの犬芸人」と自称している。ただでさえ「東京と博多の滞在が半分ずつくらい」のため、東京と福岡を往復するのに、年間で約250回も飛行機に乗るという状況に加え、仕事で東京→長崎→長野→福岡や、福岡→浅草→下関、新潟→大阪→新潟など、「日本地図をもう一度見直して〜」と思うような移動になることも多々あり、「マイレージは常に20万マイル以上持っている」とのこと。メンバー単独での出演は、博多華丸、博多大吉の項を参照。レギュラー出演準レギュラー・不定期出演ゲスト出演
出典:wikipedia
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