隠岐諸島(おきしょとう)は、島根半島の北方約50kmにある諸島。隠岐群島(おきぐんとう)、隠岐島(おきのしま)とも呼ばれる。現在は島根県隠岐郡に所属。かつては、隠岐諸島を中心とする令制国である隠岐国が存在した。山陰地方では今でも隠岐諸島を指して隠岐国(おきのくに)と呼ぶ場合がある。当諸島は、島前(どうぜん)と島後(どうご)に分かれている。隠岐諸島は島根半島の北、本土から隠岐海峡を隔てた北緯36度付近に位置する。隠岐諸島は島後水道を境に島前(どうぜん)と島後(どうご)に分けられる。島前は「島前三島」と呼ばれる知夫里島(知夫村)、中ノ島(海士町)、西ノ島(西ノ島町)から構成される群島であるのに対し、島後は島前三島から島後水道を隔てた島後(隠岐の島町)の一島から構成される。主な島はこの4島であるが、付属の小島は約180を数える。島後は約242kmで、日本では徳之島に次いで大きく、15番目の面積を持つ。この四島には縄文早期や前期に、既に人々が住みつき、本土と活発な交流があった跡が石器や土器に現れている。古代には隠岐諸島をもって隠岐国が置かれていた。古くから遠流の島として知られ、小野篁、伴健岑、藤原千晴、平致頼、源義親、板垣兼信、佐々木広綱、後鳥羽上皇、後醍醐天皇、飛鳥井雅賢などが流された。中世には国府尾城(甲尾城)の隠岐氏が隠岐守護代として隠岐を支配した。隠岐守護は出雲の京極氏や尼子氏が兼ねたが、本人が渡海することはなかった。近世は初め出雲の中村氏や京極氏の分国であったが、のちに幕府天領となった。天領の統治は出雲の松平氏が任された。500万年前の火山島だが侵食で火山地形が失われているため火山ではなく第三紀の火山岩類として扱われる。ちなみに、火山とは第四紀に活動したものを指し、第三紀のものは火山岩類という。黒曜石の産地として有名。日本最古の石「隠岐片麻岩」もみつかっている。隠岐ジオパークは、2009年(平成21年)10月に日本ジオパークネットワークに、2013年9月には世界ジオパークネットワークに加盟した。
出典:wikipedia
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