エセン・ブカ(也先不花、生年不詳 - 1309年)は、元の政治家。モンゴルのケレイト部出身。孛魯歓の長子として生まれた。家職を継いで、必闍赤長となった。チンキムが燕王に封じられると、クビライの命によりエセン・ブカが燕王の傅となった。至元23年(1286年)、上柱国・光禄大夫・雲南諸路行中書省平章政事に任じられた。阿郎と可馬丁諸種僰夷が反乱を起こすと、これを鎮圧した。路・府・州・県60数カ所を新たに置き、諸民族の首長に元朝の官位を与えて、雲南の地方行政を確立した。大徳2年(1298年)、湖広行省平章に転じた。汴梁行省で疑獄事件が起こり、事件に連座して湖広平章政事の劉国傑と右丞の燕公楠が収監された。エセン・ブカは朝廷に使者を立てて奏上し、事件と関係がないことを証明したため、2人は釈放された。8年(1304年)、平章河南行省に転じた。黄河が決壊して開封に危険が迫ったため、兵士を動員して対処にあたり、被害を最小限にとどめた。9年(1305年)、上柱国・銀青栄禄大夫・湖広等処行中書省左丞相に進んだ。至大2年(1309年)、死去した。天暦2年(1329年)、推忠守正佐運翊戴功臣・太師・開府儀同三司・上柱国の位を追贈され、恒陽王に追封された。諡は文貞といった。
出典:wikipedia
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