北海道大学は、日本初の学士授与機関として1876年(明治9年)に設立された札幌農学校を前身とする総合大学である。フロンティア精神、実学の重視、全人教育、国際性の涵養などが建学理念であり、現在も基本理念として掲げられている。札幌農学校初代教頭であるウィリアム・スミス・クラーク(マサチューセッツ農科大学前学長)が、米国帰国にあたり札幌近くの島松(恵庭市)で馬上から叫んだという「Boys, be ambitious.」(少年よ、大志を抱け)は、現在でも北海道大学のモットーとして受け継がれている。クラークは、札幌農学校の開校式において、「lofty ambition」(高邁なる大志)との言葉を発しており、開校及び帰国に際していずれも大志との語を使っていることから、その信念が一貫していたことが分かる。また、クラークが説いたキリスト教精神により、官立学校にもかかわらず学生の間で「イエスを信ずる者の誓約」が行われ、内村鑑三などのクリスチャンを生んだ(札幌バンドを参照)。キリスト教に関しては後に衰退していくが、伊藤一隆や内村鑑三らが引き継いでいくこととなった。このような札幌農学校の精神が、同大の基本理念に引き継がれている。男女共同参画社会基本法に基づくポジティブ・アクションに取り組んでおり、全研究者の中の女性研究者比率が2020年までに20%になるよう努めるとする数値目標を掲げ推進している。北東アジア地域との連携を重視しており、大韓民国・台湾・中華人民共和国などの大学とも相互協定を結んでいることだけではなく、定期的に青年海外協力隊 (JICA) へも隊員を送り出している。これは、同大学の建学の精神にも謳われている、国際性豊かな若者を育成することを重視しているためである。札幌農学校の源流は1872年(明治5年)設立の開拓使仮学校(東京府芝)および同校が北海道札幌郡に1875年(明治8年)に移転・改称した札幌学校であるが、大学全体としては札幌農学校が設立された1876年を北海道大学の創立(創基)年としている。札幌農学校は1907年(明治40年)に東北帝国大学農科大学(北海道札幌区)となり、さらに1918年(大正7年)に設立された北海道帝国大学(北海道札幌区)に移管され北海道帝国大学農科大学(同)となった。東北帝国大学の本部(宮城県仙台市)および理科大学(同)が実際に設置されたのは1911年であることから、それまでの間は、「東北」帝国大学という名称でありながら札幌市内のみで運営されていたことになる。北海道帝国大学は1947年(昭和22年)に北海道大学(北海道札幌市)へと改組され、2004年(平成16年)に国立大学法人北海道大学(同)となった。北海道大学は、国立大学としては最多の12学部・19大学院を設置し、大学の総敷地面積としては国内最大の規模を有している。校章はキャンパス内に自生するオオバナノエンレイソウ(ユリ科トリリウム属の多年草)を図案化したもの。1950年(昭和25年)の公募による入選作を、創基120周年を機に修正を加え、1996年(平成8年)9月にシンボルマークとして決定された。なお、起源については、恵迪寮のシンボルマークから発祥説と、ラグビー部のシンボルマークから発祥説がある。従来より北大の緑豊かなキャンパスを表すグリーンがスクールカラーとして慣例的に使用されていたが、2009年(平成21年)9月の広報室会議(室長:総長)において、詳細な色指定をもって正式にスクールカラーとして定められた。プロセスカラーはシアン80%、マゼンタ10%、イエロー100%、ブラック30%。2009年(平成21年)7月に実施したロゴタイプオンライン投票の結果を参考に、同年9月の広報室会議において定められた。校歌は「永遠の幸」(とこしえのさち)と題し、札幌農学校時代に作られた。作詞者は有島武郎。米国人作曲家ジョージ・F・ルート () が1863年に作った " が原曲。この曲はアメリカ合衆国が南北戦争の時代に北軍の行進曲として歌われ、南軍でも歌われていた。また、歌詞を変えてアイルランドでも流行した。南北戦争後、米国の各大学でも学生歌に用いられていたものを納所弁次郎が選曲したといわれている。旧制の国立学校校歌としては特異な成り立ちである。歌詞は大和田建樹が校閲したため、作詞者の欄に有島とともに併記されることもある。有島が作詞をしたのは1900年(明治33年)頃であり、1900年(明治33年)に行われた創立25周年記念祝賀会で歌われたとする資料がある。当時有島は農学校の学生であったため、現在でも校歌作詞者を記す時には「有島武郎君作歌」というように君付けで表記されることが多い。原曲の"Tramp! Tramp! Tramp!"は、キリスト教の賛美歌にも使われ、日本においては、日本福音連盟 『新聖歌』(2001年版)の186番、救世軍歌(1997年版)の108番などにその例が見られる。また、同志社大学の応援歌でもある。北海道大学には現在も「都ぞ弥生」(みやこぞやよい)をはじめとする寮歌が歌い継がれている。大学の公式の寮である恵迪寮では、今も年に1曲ずつ寮歌が作成されている学校の花はオオバナノエンレイソウで、校章のモチーフとなっている。21世紀COEプログラムの採択数は12件だった。グローバルCOEプログラムの採択数は7件である。北海道大学では、ほとんどのサークルが常設の「部室」というものを与えられていない。このため、校内各所に設けられた会議室・サークル会館等の部屋を時間指定で借りて、活動を行う。常設の部室が無いため、備品も同じく各所に設けられたロッカー等に保管される。文化系団体のYOSAKOIソーラン北海道大学"縁"はYOSAKOIソーラン祭りに北海道大学"縁"として出場。2年連続で準YOSAKOIソーラン大賞を受賞。演舞の途中で男性陣が『赤いふんどし』になる。毎年6月上旬に北18条ロータリー(高等教育推進機構前)から農学部前までのメインストリートを使った「北大祭」が盛大に開催される。「北大祭」とは、期間中に開催される各祭りの集合体であり、主に学部・学科・ゼミを中心とする「学部祭」(例:獣医学部祭)、留学生を中心とする IFF (International Food Festival)、1年生やサークルを中心とする「楡陵祭」(ゆりょうさい)などによって構成されている。北大祭は日祝日にかけて行われるため訪れる観光客や市民も多い。このほか10月から11月にかけては恵迪寮祭も行われる。大学内では通称「エルムの杜」とも呼ばれ、札幌市中心部に所在している。敷地面積は177万m²。キャンパス内は南北約1.5キロのメインストリートの左右に各施設が並ぶ配置。キャンパスのすぐ東を南北に延びる札幌市営地下鉄南北線のさっぽろ駅付近から北12条駅を抜け、北18条駅を過ぎる辺りまでキャンパスが広がっている。付属農場の部分も加えると、その北端は北24条駅の辺りにまで達する。目的の施設・学部・研究科などによって最寄駅は大きく異なる。また札幌キャンパスの多くの施設では、住所に「番」および「号」が付与されていない全国的にも珍しい住所表記となっている。札幌キャンパスでは通行車両を必要最小限に抑えるため「車両通行規制」が施行されており、観光・通り抜け・通学目的の車両入構禁止、最高速度25km/hなどの規制が敷かれている。キャンパスの西側(石山通・桑園地区)と東側(北大通・地下鉄南北線沿線)の往来は不便であったが、2001年(平成13年)にキャンパスの北部を東西に貫く地下道路トンネル「環状通エルムトンネル」が開通したことにより従来より利便性が向上した。正門を入って北側の大学事務局(本部)は、旧制北海道帝国大学予科が校舎として使用していた建物。西に進むと広い芝生の「中央ローン」がある。中央ローンを流れる小川はサクシュコトニ川で、現在は人工の川であるが、かつては鮭も遡上した天然河川であった。中央ローンの北には、旧制東北帝国大学農科大学以来の木造の教室である「古河記念講堂」が残り、西には同じく明治建築の「旧昆虫学及養蚕学教室」と「旧札幌農学校図書館読書室・書庫」、南には「クラーク像」、その西には時計塔がある「農学部本館」と、北大の象徴が集まっている。メインストリート南端にあるクラーク会館は、国立大学初の学生会館である。「旧昆虫学及養蚕学教室」の北の広場は「エルムの森」と呼ばれ、その北に総合博物館がある。絵はがきなどで有名なポプラ並木は、メインストリートから理学部と工学部の間を西側に入った農場近くにあり、約300 mの並木が続く。かねてより倒木の危険性があり立ち入りは禁止されていたが、2004年(平成16年)9月の台風の影響で51本のうち27本が倒壊してしまった。その後、再生を目指して若木の植樹を行うなどして整備し、80 mほどまで散策可能となった。理学部敷地内の旧理学部本館は1999年(平成11年)から北海道大学総合博物館となり、農学部など学内各学部に分散して管理されていた明治時代以来の各種学術資料の集中的な管理体制が構築されつつある。札幌キャンパスは国指定重要文化財・登録有形文化財が複数登録されており、札幌市を代表する観光スポットの一つとして毎年多くの観光客が訪れている。キャンパス北地区に位置する重要文化財・北海道遺産である札幌農学校第2農場はクラークの構想によるモデルバーン(模範家畜房)を中心にした明治期の建築物であり、現存する北大の建築物の中では最古である。また、旧校地である北1条西2丁目には、旧札幌農学校演武場が保存されており、キャンパス移転前の趣が色濃く残されている。なお、正門近くの中央ローンに「クラーク像」(胸像)があるが、これは札幌市豊平区のさっぽろ羊ヶ丘展望台にある「丘の上のクラーク」(全身像)とは別物である。キャンパスから少し離れた南側の北海道庁赤レンガ庁舎隣接地に北海道大学植物園(13万 m²)があり、こちらも観光客が多く訪れる。水産学部は札幌農学校水産学科として発足したが、1935年(昭和10年)に函館高等水産学校として函館に独立し、1949年(昭和24年)の新制大学制度の施行に伴い、函館水産専門学校は北海道大学に包括され、農学部水産学科と併せ水産学部となった。その経緯から現在でも水産学部のみ函館のキャンパスを使用しており、卒業式も同キャンパスで開催される。面積はおよそ89,000 m²。2006年度より共同研究を目的とした一部の研究室が札幌に移転(地環研との)している場合もあり、各学部間との協力体制も見直されてきているため、一部の学生は函館に移行した後、再び札幌に戻るケースもでてきている。また平成23年度より総合入試が導入されたため、従来は2年生後期に函館キャンパスに移行となっていたが、3年生前期からのキャンパス移行へと変更がなされている。したがって水産学部生の中には、最短で1年間だけ函館で生活し、4年生から札幌に戻る学生もいるため、慌ただしいキャンパスライフを送る事になる学生もいる。有珠火山観測所、厚岸臨海実験所、静内研究牧場、生物生産研究農場余市果樹園、洞爺臨湖実験所、各研究林など北海道内に20施設。パラダイス・ヒュッテ(1926年に建てられた日本初のスキーヒュッテ。老朽化により倒壊後、1994年山スキー部OB会により再建)、ヘルベチア・ヒュッテ、無意根小屋などの山小屋もある。水産学部は1,300トン級の練習船「おしょろ丸」など船舶数隻を所有している。また、北海道以外にも和歌山県古座川町に約429万 m²の研究林、東京都千代田区丸の内にある「サピアタワー」内(東京都港区の新高輪プリンスホテルから2007年3月に移転)に東京オフィスを持つ。また、日本国外にも北京、ソウル、ヘルシンキ、ルサカの各地にオフィスも所有する。北海道大学では18か国48校の大学と大学間の留学協定を結んでいる。かつて、附属学校として北海道大学工業教員養成所という3年制の各種学校が存在した。現在は閉鎖されている。"この項目は、のを使用しています。" "2380
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。