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4横綱

4横綱(よんよこづな)では、大相撲において横綱が同時に4人在位した時代について述べる。大相撲において、横綱が同時に在位したのは現在4人が最多数であり、これまでに15パターンの組み合わせがある。横綱の定数についての明文規定はないが、栃錦の昇進時に「5横綱になるのはどうか?」という声があり、結局東富士の引退と入れ替わりの昇進となったことで5横綱は回避された。なお大関は現在6人が最多数(2012年5月~同年9月の合計3場所)であるが、過去には雅山が再昇進により「6大関になるのはどうか?」というのが一因で昇進見送りとなった例もあった。各パターンごとの、4横綱時代の場所別成績を記す。大阪横綱若島を交えての4横綱時代。常陸山と2代目梅ヶ谷の同時昇進によって実現、なお東京に3横綱が揃ったのもこの時が初。
若島は吉田司家未公認だった期間を含む。また番付の扱いも1906年6月まで大関のままであった。この時代、東京大阪とも千秋楽には(1904年5月場所までの大阪相撲では、初日)幕内力士は休場が通例。大阪横綱大木戸森右エ門を交えての4横綱時代。太刀山の昇進によって実現した。ただし大木戸の横綱免許は大阪相撲独断によるもので、吉田司家未公認だった期間を含む。
なお、この時代には大阪相撲では幕内力士は初日もしくは千秋楽を休場するのが通例だった。大錦の昇進により、実現した。栃木山の昇進により、実現した。第2次では、1場所のみではあるが、優勝は横綱が独占した。(栃木山のみによるものである。)
1918年4月には大阪相撲にも横綱大錦大五郎が誕生しており、西ノ海引退までの1ヶ月弱、5人の現役横綱が存在した。大坂横綱大錦大五郎を交えての4横綱時代。2代西ノ海引退から鳳引退まで。大阪横綱宮城山福松を交えての4横綱時代。31代常ノ花の昇進によって実現した。なお、この期間中、東京相撲の本場所は11日制、大阪相撲は10日制。双葉山の昇進により、実現した。第3次では、2場所間優勝は全て横綱が独占した。(双葉山のみによるものである。)春秋園事件の余波で系統別総当たり制が実施されており、史上初めて4横綱総当たりが実現した。安芸ノ海、照国の昇進により、実現した。東富士の昇進により、実現した。千代の山の昇進により、実現した。1951年9月場所で13年ぶり2度目の4横綱総当たりが実現した。
翌1952年1月場所は途中休場の東富士が終盤再出場、照国が千秋楽を休場して不戦勝を含むものとなったが、2場所連続の4横綱総当たりとなった。これが系統別総当たり制度下で最後の例となる。鏡里の昇進により、実現した。吉葉山の昇進により、実現した。栃錦の昇進により、実現した。柏戸、大鵬の昇進により、実現した。第10次では、2場所間優勝は全て横綱が独占した。(大鵬のみによるものである。)佐田の山の昇進により、実現した。第11次では、11場所間優勝は全て横綱が独占した。(栃ノ海のみ優勝は果たしていない。)三重ノ海の昇進により、実現した。第12次では、8場所間優勝は全て横綱が独占した。(しかも、4横綱全員によるものである。これは、第12次のみである。)また、4横綱が全員皆勤、全員10勝以上の場所が3場所と、最も多かった。史上最多、3回の4横綱総当たりが行われたが、1980年5月場所が2012年現在最後の例となっている。大乃国の昇進により、実現した。旭富士の昇進により、実現した。尚4横綱が千秋楽まで全員皆勤は、1990年11月場所が現在最後となっている。武蔵丸の昇進により、実現した。
1994年7月場所から張出制度は事実上廃止され、この4横綱は全員枠内に書き出されている。

出典:wikipedia

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