柳田(やなぎだ)は秋田県秋田市にある大字。郵便番号は010-0825。住居表示未実施地区。人口は1,991人(2011年6月1日現在、住民基本台帳による)。秋田市の東部に位置する。太平川中流域の主に右岸に広大な領域を持ち、南部の平野は農業地域、北部は丘陵地である。南端の字糠塚に秋田大学医学部が広面と跨って立地し、周辺の字境田・字川崎に新興住宅街が形成されているが、その他は宅地化が進んでおらず、秋田県道28号秋田岩見船岡線の旧道(太平街道)に沿って古くからの集落が連なっている。東から北に向かって秋田自動車道が丘陵部を貫いており、字扇ノ沢に太平山パーキングエリアがある。南は下北手松崎(字大沢田・字上崎)・広面(字谷内佐渡・字川崎・字糠塚・字蓮沼・字堤敷・字二階堤・字近藤沢)・手形山東町、西は手形(字大松沢)・新藤田(字治郎沢・字中山台)・添川(字地ノ内)、北は添川(字戸平川・字矢坂・字鶴木台)・山内(字増沢)、東は太平八田(字松沢・字猿田沢・字扇田・字荒巻・字香炉沢)に接する。16の小字が設置されている。1239年1月10日(嘉禎4年12月4日)の橘公員宛将軍家政所下文に「出羽国秋田郡内楊田」とあるのが初出資料である。文治5年(1189年)の大河兼任の乱平定に対し恩賞として橘公業に与えられた所領の1つで、公業の11子である公員が父から譲り受けたことを示す。その後、室町時代後期から安東氏(秋田氏)の支配下に置かれたものと考えられている。1592年9月27日(文禄元年8月22日)の「秋田家分限帳写」に「馬場広面(屋)村 994石余」とあり、これは本来馬場村と広面村が併立しているものの連記であって、うち馬場村が近世の柳田村の一部であると考えられている。江戸時代には久保田藩領であり、「正保国絵図」では本田当高275石、「享保黒印高帳」では村高576石余・当高564石余(うち本田324・本田並173・新田67)となっている。「寛政村附帳」では親郷目長崎村の寄郷とされ、「秋田風土記」では511石余・61軒となっている。以下は住居表示実施に伴う変更。地区内に鉄道は通っていない。最寄り駅は中通七丁目にあるJR東日本奥羽本線・羽越本線・秋田新幹線の秋田駅。
出典:wikipedia
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