平敷 安常(ひらしき やすつね、1938年 - )は、日本のノンフィクション作家。元米国ABCニュースに所属のニュースカメラマン。アメリカニュージャージー州在住。ベトナム人夫人との間に一女一男。国籍はアメリカ。沖縄県出身。大阪府立寝屋川高等学校卒業後に就職した毎日放送でニュースカメラマンとして勤務。1965年、ベトナム戦争取材班として現地に赴いた。 任期の終了とともに帰国することになったが、取材を継続することを望み、毎日放送を依願退職。フリーランスとしてベトナムに再度渡り、アメリカabcNewsに正式採用された。 ベトナム戦争終了後は、中東戦争、湾岸戦争、イラク戦争などの各戦地を取材。また、9.11同時多発テロ時も、ツインタワーの崩壊をカメラに収め、世界に発信した。なお、ツインタワー設計者のミノル・ヤマサキの夫人、平敷照子は縁戚にあたる。ベトナム支局、香港支局、フランクフルト支局、ニューヨーク本社と約40年に渡り同社に勤め、2006年に退社。 日本人で米国abcNewsに正社員として勤務したカメラマンは平敷と東京支局の大串雅昭の二人だけである。退職後に上梓した処女作「キャパになれなかったカメラマン~ベトナム戦争の語り部たち~」(講談社・上下巻) にて第40回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。70歳を過ぎて、処女作が出版関連の賞を受けるのは極めて稀である。受賞に際し、審査委員長であった関川夏央は、「若い世代に受賞をしてもらいたいという本音はあったが、70歳を過ぎた彼の、実経験に基づいた圧倒的な筆力・文章力には勝てなかった。」とした。2011年5月18日号のNewsWeek日本版において、俳優の渡辺謙、テニスプレーヤーのクルム伊達公子らとともに「世界で尊敬される日本人25人」に選出された。ベトナム戦地においては、アメリカではジャーナリストとして有名なテッド・コッペル、ピーター・ジェニングスなどの放送記者とペアを組み、 様々な作戦の取材を精力的に行った。戦地における勇猛さ、機敏さから「カミカゼ・トニィ(ヤスツネという名前が発音しづらいため、トニィという愛称で呼ばれていた)」 とニックネームを付けられた。当時、ベトナム戦争には世界各国からカメラマンやジャーナリストがきており、 取材の合間には仲間同士で集まることも多く、平敷の現地歴が長かったことからも開高健、ピュリッツァー賞を受賞した沢田教一など 多くの日本人記者・カメラマンなどと交友があった。また、沢田の死の前日、最後に会っていたのは平敷であり、お互いに写真を撮りあった。結果的にその写真が沢田の遺影として使われることとなり、一般的に知られる沢田の顔は、この遺影である。ベトナム戦争時、親友を失った自責の念から、カメラマンに関わる賞・コンクールを拒否しており、 関連する受賞歴等はない。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。