赤報隊事件(せきほうたいじけん)は1987年から1990年にかけて「赤報隊」を名乗る犯人が起こしたテロ事件である。警察庁広域重要指定番号から「広域重要指定116号事件」とも呼ばれる。2016年現在も犯人特定・逮捕には至っておらず、未解決事件となっている。ここでいう「赤報隊事件」とは、1987年から1990年にかけて「赤報隊」を名乗る犯人が起こした以下の事件を指す。特に朝日新聞阪神支局襲撃事件では執務中だった記者二人が殺傷され、言論弾圧事件として大きな注目を集めた。警察庁は、「赤報隊」が犯行声明を出した一連の事件を広域重要指定事件に指定した。同庁は地下鉄サリン事件、警察庁長官狙撃事件と同じく「市民社会に深刻な脅威をもたらすテロ」と位置づけた。1985年6月自民党が国家秘密法案を国会に提出し、同法案をめぐって激しい論争が起きた。最高刑を死刑とするメディア統制法に対し新聞界では反対運動が広がり、朝日、毎日、東京、神奈川新聞、琉球新報、信濃毎日新聞、北海道新聞、共同通信などが反対キャンペーンを張り、朝日は社説で廃案を主張した。1986年11月25日の紙面は「国家秘密法増える反対議会」と題し、全国調査の特集を組むなど朝日新聞が法案を強く批判していた。捜査当局はこのことに触発された可能性もあると見ている。「赤報隊」を名乗った犯人は犯行声明や脅迫状で、戦後日本の民主主義体制を否定し、「反日朝日は 五十年前にかえれ」と戦前に戻ることを要求した。「占領軍政」以後「日本人が日本の文化伝統を破壊するという悪しき風潮」が蔓延、「日本民族全体を滅亡」させる者を「反日分子」と呼び、「一掃せよ」と主張。中曽根康弘元首相を「靖国参拝や教科書問題で日本民族を裏切った」と批判し、竹下登元首相に靖国神社参拝を求めた。朝日新聞、毎日新聞、東京新聞を「反日マスコミ」と呼び、朝日、毎日に広告を出す企業を「反日企業」として攻撃対象にした。捜査当局は犯人を右翼的信条の持ち主とみている。一方、被害者である朝日新聞は三島由紀夫の思想の影響を指摘する。捜査当局は事件と三島との接点について、三島事件を報道した朝日新聞での自殺直後の遺体写真掲載への反感、三島の葬儀と朝日新聞東京本社襲撃事件は1月24日で同日、犯行声明文が三島の檄文に似ている、と指摘している。中曽根・竹下両元首相への脅迫状は靖国参拝、教科書問題に言及していた。竹下登元首相への脅迫状を右翼思想の持ち主と決定づける、と朝日新聞は捉える。捜査幹部は犯人に戦後体制への反感があると述べ、朝日新聞は事件を政治的テロとし、戦後体制否定、戦前回帰の思想の持ち主とみている。占領軍が民主化を推進した戦後社会への憎しみ、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などへの怒り、韓国への反感があり、極右思想の国粋主義とも推測される。事件の意味することについて、次のような指摘がされている。赤報隊を名乗った犯人は、犯行声明で「反日朝日は五十年前にかえれ」と記し、戦後日本の民主主義社会をターゲットに戦後を全否定、戦前に戻そうとする攻撃を掛けてきた。朝日新聞、日本のジャーナリズムだけでなく、国民に対して「言うことを聞かないと朝日のような目にあうぞ」という脅迫である。戦争の総括が不十分で、戦後も右翼の地下人脈が残り、主張を暴力で実現する土壌の存在が事件で明らかになった。市民に一線を越す発言への恐怖心を与えた。犯人が憲法記念日に襲撃したのは、朝日新聞と憲法が重なるからと思われ、憲法理念を体現しようとする朝日新聞に国家主義者は我慢ならなかった。後藤田正晴は今の世相が昭和一ケタ後半(1930-35)の時代に似つつあることに警告を発し、言論を暴力で封じる動きに「用心せにゃならぬ時代に入ってきつつあるんだよ。日本本来のあり方を見直せという声が出てきて、国民もその通りだという空気になりつつある」と警笛を鳴らしている。犯人らしき人物の目撃情報として次のような事項が報道されている。
出典:wikipedia
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