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とんねるずのみなさんのおかげです

『とんねるずのみなさんのおかげです』は、フジテレビ系列で放送されたバラエティ番組である。略称は「おかげです」もしくは「みなおか」だが、出演者やスタッフの間では、『とんねるずのみなさんのおかげでした』と合わせて、「みなさん」と呼ばれている。放送時刻は毎週木曜日の21:00-21:54(JST)。お笑いコンビのとんねるず(石橋貴明・木梨憲武)と多彩なゲスト陣によるコントを中心に構成された。1989年から1994年までの6年間、バラエティ番組で年間平均視聴率一位の記録を収め、さらに、1996年〜2002年まで冠番組視聴率ランキング一位を記録している。名実ともに、『ねるとん紅鯨団』、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』と並ぶ、とんねるずの代表番組の一つである。元々は同局・火曜日の19:30-20:54に放送されていた『火曜ワイドスペシャル』(現:『カスペ!』)のスペシャル番組だった(パート1 - 4まで)。パート4の1コーナー「仮面ノリダー」のウケも良く、パート5を待たずにレギュラー番組へと昇格した。とんねるずの肖像権の複雑化の絡みで再放送やDVDソフト化がないものの、放送ライブラリーで1988年10月13日放送分を閲覧する事ができる。番組名は本番組の誕生のきっかけだった『火曜ワイドスペシャル』のとんねるず起用を決定した日枝久の名を冠して『ヒエダさんのおかげです』にしようと、とんねるずが提案したが、スタッフの反対により『みなさんのおかげです』に落ち着いた。そもそも当時、とんねるずが結成6周年と言う節目もあって『みなさんのおかげです』になったと言われている。レギュラー番組に昇格した1988年10月からはコントがメインの番組としてはまだ当時珍しかったステレオ放送で放映された。当時はドラマコントがメインの番組構成で番組後半にゲストの歌を1曲流すなどの放送内容が中心であり、音声の臨場感を伝える役割を果たしていた。この体制は後番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』に至るまで続けられた。後に音楽企画やドラマコントが事実上廃止状態となり、通常のバラエティ番組と同様の内容になったことから、2005年6月頃以降は総集編スペシャルと音楽企画の回を除いてモノラル放送(地上デジタルテレビ放送はモノステレオ放送)へと変更されたが、2008年6月5日以降は、再びステレオ放送へと変更されている。1990年4月から同年9月までにかけてはとんねるずが日本テレビ系ドラマ『火の用心』の出演に専念するため、一旦打ち切り、『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』が代わりに放送され、ドラマ収録終了後の10月に番組が復活した。何度も放送休止をするバラエティ番組は稀である(他にも8時だョ!全員集合など)。他に1994年4月から9月までに『ラスタとんねるず'94』、1997年4月から7月までに『とんねるずの本汁でしょう!!』が放送された。石橋貴明によれば、どちらも番組のプロデューサー石田弘の糖尿病療養期間のつなぎ番組だとネタにされているが『ラスタとんねるず'94』の方は表向きの理由であり、放送の裏には1993年12月に宜保タカ子のロケで富士山麓の天然記念物生息地(氷穴)を爆薬などで荒らし、撮影セットのゴミを不法投棄したことが問題となり、当時、各局や各新聞でニュース報道され、スタッフが処分されて番組も半年間収録が出来なくなったというのが実情である。その後、フジテレビお台場社屋移転後の1997年7月から後継番組ではなく、『とんねるずのみなさんのおかげでした』としてリニューアルして放送を再開。それに伴い、『とんねるずのみなさんのおかげです』の最終回は、新聞のラテ欄では終マークはなかった。『とんねるずのみなさんのおかげでした』では、コントなしでゲストの嫌いな食べ物を見抜く「新・食わず嫌い王決定戦」や「モジモジくん」のコーナーが人気になっている。コントに登場する名物キャラクターは他のバラエティ番組の追随を許さなかった。チェッカーズや宮沢りえなど、当時一世を風靡した豪華なゲストも毎週出演していた。木曜21時台という当時では子供向けと言うにはやや遅めの時間帯の番組であったが、「仮面ノリダー」を中心にさまざまなコントキャラクターが子供にも絶大な人気を誇っていた。宮沢りえ、牧瀬里穂、観月ありさ、ともさかりえ、松嶋菜々子など、まだ知名度が高くない時代から抜擢し人気タレントに駆け上がっていった登竜門的番組でもあった。その一方で、本来ならば子供人気や新人清純派タレントとは相容れない下ネタも多かったが、意味を理解しないまま子供受けしていたのも事実であり、子供人気、新人タレント、下ネタという綺麗なトライアングルを形成できたのはとんねるずのキャラクターによるある種の奇跡である。石橋が女性ゲストにキスや、押し倒したり添い寝をしたり、口に入れたお粥を牧瀬里穂の顔に垂らしたり、赤ちゃん役に扮していた小泉今日子が咥えていたおしゃぶりやイチゴなど取り上げて自分の口に入れ「…おいし〜い!」と至福の表情で言うなどといったセクハラギャグや「コンコンコーン」、「オナラじゃないのよ、ちょっと空気が入っただけ」などで、ノリダー人気から家族単位で見ていた茶の間の親を凍りつかせて苦情もしばしば。また石橋が放送禁止用語をアドリブで発しピー音が付くのも晩年では茶飯事であった。子供への絶大な人気を受け『月刊コロコロコミック』などでも特集記事が組まれたりしていたが、下ネタギャグに関してはほとんど触れられていなかった。スペシャル版の放送は、人気絶頂期においては通常の延長よりも長くされていたが1時間15分(実際はミニ番組放送の関係上1時間9分延長、予告編を含めて21:00 - 23:03放送)の延長とされることが多く、子供人気が高かったことから深夜時間帯に差し掛かる直前にエンディングが流れるなどの配慮がされていたほか、稀に夜19時からの放送となることもあった。放送末期には楽屋落ちが増え、あまり作り込んでいないという印象を視聴者に与えてしまっていたが、木梨がTRFの振り付けのモノマネをした際には本番の数時間前にスタジオ入りし多忙の中練習に励むなど真剣にやるべき演出は決して手を抜かない一面も持ち続けていた。レギュラー版全体を通しての放送回数は363回。1986年秋に石橋が当時フジテレビの編成局長であった日枝久(現:フジテレビ会長)に「僕らにゴールデンタイムの2時間番組を下さい、視聴率30%とってみせます」と編成部まで行って頼み込んだという。ちなみにこの際、日枝局長に「もし取れなかったらどうする?」と聞かれた石橋は、番組プロデューサーである石田弘を「彫刻の森美術館に飛ばしてください」と言った(石田はその場には居なかった。一方で、30%を達成したらフジテレビの食堂で何を食べてもいいという約束を取り付けた)。まもなく『火曜ワイドスペシャル』で番組を持たせてもらい、放送が始まった。結果、視聴率30%には及ばなかったものの常に高視聴率を獲得し(平均20.3%。この結果は放送翌日の「夕やけニャンニャン」で石橋の口から発表され、「まあこんなもんだろ、よしよし」と二人は結果に満足していた)、定期的にスペシャルを行った後に1988年10月からレギュラー番組としてスタート。もう一説によるとこの公約を叩きつけた石橋は「20%に届かなかったら笑いの世界から身を引く」と後年TBSの特別番組でそのまんま東の発言によって語られた。番組開始当初から「仮面ノリダー」のコーナーなどで人気を博し、開始から半年が経過した1989年3月30日(『とんねるずのみなさんのおかげです春休みスペシャル』)に最高視聴率29.5%(関東地区)を記録した(ただし、普段の時間ではなく午後7時スタートのスペシャル版にて)。その後、「仮面ノリダー」終了後も他のコーナーも大人気となり、1989年から1994年まではバラエティ番組年間平均視聴率の第一位を保持、2度にわたる充電期間を経ても人気を保った。番組晩年にあたる1995年以降も全盛期ほど視聴率は取れなくなったものの安定した数字を残していた。1997年3月に放送終了(4月に内容変更・改題などのリニューアル)した。「おかげです」(8年半を通じて)としての平均視聴率は20.2%(最終回の前週に発表)。9年間で使った予算は186億8900万円(こちらは最終回でダーイシが発言)。1997年3月27日放送の『おかげです』としての最終回はかつての人気コント「仮面ノリダー」、「保毛尾田保毛男」、「最終回によくある風景」、「太陽にほえるな!」、「貧乏家の人々」など番組の人気コントを全て新作、完結編として放送した。また、番組の冒頭と最後にかつての常連ゲストで番組を愛していた小泉今日子を迎え、石橋扮する石田(ゼネラル)プロデューサーと木梨扮する小港ディレクター(兼プロデューサー)とともに局内に入り「石田プロデューサーの引越しと『みなさん』が終わっちまって大変なんだよォ日記」なるコントを放送。最後は番組を作り終えた石田プロデューサーがテレビマンとして燃え尽き死んでしまいその霊がバブルスとなって木梨、小泉とともに「最後のバァーイ、センキュー」のコールとともに本編は終了。ちなみにこの時、石橋が「以上、みなさんのおかげでした」と発言しているが、これが現在番組のタイトルとして使用されているのと関係があるかどうかはわからない。そして、ラストはフジテレビ社屋が河田町から現在のお台場に移転したこともあり、とんねるずが歌う当時の番組のエンディングテーマ『テレビ〜時々の神よ〜』をバックに『おかげです』と共に使命を終えた旧社屋の表情を映し、最後は現お台場社屋の屋上でとんねるずが歌っているシーンに繋がるという映像で番組を締めくくった。これには、ここまで自分らを大きくしてくれた河田町に思い入れがあってのことだろう。後にコント形態として『おかげでした』に受け継がれたのは「ちょっと北の国から」と「新畑任三郎」のみである。『北の国から』のパロディ「ちょっと北の国から」に関しては「ちょっと北の国から'97冬」として1分にも満たない完結編が放送され、「純と蛍が凍死する」というストーリーであったにも関わらず、『おかげでした』では何事もなかったように続編が放送された。1998年には前編・後編・完結編と3週に渡って放送されたが、2002年には「北の国から コントの記憶」として総集編があったものの、本編は1週しかなかった。「PITCH&JAB」(第2期)

出典:wikipedia

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