株式会社ミドリ電化(ミドリでんか)は、かつて存在した近畿地方を営業基盤とする日本の家電量販店チェーン。2005年(平成17年)4月1日よりエディオンの完全子会社となり、同グループの店舗ブランドのひとつとなった。2009年(平成21年)10月1日付けで株式会社デオデオ(株式会社エディオンWESTに商号変更)に吸収合併された後も、「ミドリ」の店舗名は存続していたが、エディオン直営店舗については2012年10月1日に店舗ブランドを「エディオン」に統一した。フランチャイズ店舗については当面、現在の「ミドリ」の屋号を継続する。なお、山形県庄内地方において三洋電機特約店(スマイるNo.1ショップ)の小規模電器店(いわゆる"街の電器屋さん")を「みどり電化チェーン」のブランドで展開している株式会社みどり電化チェーン本部とは無関係。創業は1959年(昭和34年)4月で、本社は兵庫県尼崎市の(JR)尼崎駅南側のJR尼崎駅店が入居しているビル(正式名称:JR尼崎駅東NKビル)にあった(それまでは阪急塚口駅南の塚口本店ビルの上層階にあった)。創業当時は、(阪急)塚口駅南側にあった空き店舗を借りて営業を開始した。『ミドリ』の社名の由来は、借りた空き店舗に「みどり洋装店」という看板がそのまま掲げられており、創業者の安保詮がその看板を見て「『みどり』より下の部分だけを塗り替えれば費用が浮くじゃないか、『みどり』をそのまま使おう」と思いついたのがきっかけ。その後はカタカナになり、1960年代頃までは「ミドリ電化社」と表記していた。かつてのミドリ電化の最大の特徴として、2004年(平成16年)4月1日に消費税総額表示が義務付けられる以前から「ポッキリ価格」として税込価格で表示していたことがある。これも創業者の安保のアイデアであり、お客様が計算しやすいようにという配慮でもあった。また、それ以外の特徴として、持込修理の定額制(一部除く)、家具や食器などインテリア商品の販売などがあった。ただ、晩年ではインテリア類の販売は減少傾向にあり、特に晩年の新規店舗では家具系を一切扱わない店もあった。2010年(平成22年)には大部分の店舗において家具売り場を直営からナフコにテナントとして貸し出すこととなった(一部の店舗ではバラエティガレージというデオデオでも使われている雑貨コーナー名称を使用し直営での家具販売を継続した)。その代わり、エイデン・デオデオと共通の「ネバーランド」の名称で玩具・ゲーム・DVDなどのエンターテインメント商品の販売に注力し、一部の店舗ではCD・DVDのレンタル事業も行っていた。かつては「エバーグリーン(EVER・G)」という名称でホームセンター事業も展開していたが、2000年(平成12年)頃に事業改編等で廃止された。2005年(平成17年)11月に開店した「中環東大阪店(写真参照)」では、「カインズホーム」東大阪店、2006年(平成18年)4月に開店した「豊中本店」では「トイザらス系列の「ベビー用品ベビーザらス豊中店」と同居し、他にも天満橋店等の多数の店舗がテナントとして出店していた。ヨドバシカメラなど関東系家電量販店が関西に進出して以降、関西資本の家電量販店が相次いで倒産していく中で、関西資本の家電量販店として上新電機同様に単独で生き残ってきたものの、社の方針として非上場を貫いたため資金調達に困難を極めるようになり(上新電機は上場企業)、最終的に上場企業であるエディオンとの事業統合を決定した。2005年(平成17年)4月1日、株式交換によりエディオンの完全子会社となった。エディオンとの経営統合により、愛知の7店舗(扶桑、東浦、半田、安城、豊田、岡崎、名古屋みなと)と岐阜の2店舗(可児、真正)、三重の2店舗(鈴鹿、津南)は、エイデンの店舗に改装された。また、エディオンの関東進出方針により、一時は凍結していた関東地区での出店も再開。2007年(平成19年)にロックシティ守谷ショッピングセンター(現・イオンタウン守谷)に出店した。しかし同年11月、エディオンが関東本格進出の足がかりとして子会社、株式会社東京エディオンを設立。関東地区での出店はすべて東京エディオンによる「エディオン」ブランドでの出店となり、関東地区の既存店も順次東京エディオンに移管され、店舗ブランドも「エディオン」に順次変更された。更に企業としての東京エディオン・石丸電気がエイデンに合併された事を受けての方針転換で、店舗ブランドを石丸電気に再変更している。以前はCM曲に「聖者の行進」の替え歌や別のオリジナル曲が使われた。後にイメージキャラクター「ミドリちゃん」の登場により『「やってみます」のうた』というオリジナル曲に変更され、関東地区ではこれを使ったCMこそ放送されていなかったが店舗のテレビで流していることはあった。ミドリ電化としての晩年は、エディオングループ共通で『エディ店長』が起用されたため、前述のオリジナル曲も使われなかった。創業者の安保詮は、後にミドリ電化創業の地である尼崎への恩返しとして、尼崎城天守閣の復元プロジェクトに役立ててもらおうと、私財10億円以上を寄付する協定を尼崎市と2015年11月に結んだ。エディオングループ内の店舗ブランドの地域別すみわけにより、店舗は近畿地方のみとなっている。ブランド統一前のエディオン直営店の中でミドリブランドを名乗る店舗は87店舗(2012年3月現在)存在した。直営店の「エディオン」統一後はフランチャイズ店のみとなっており、55店舗(2012年9月現在)を展開する。ボタン電池を含む各種乾電池・充電池類及びインクカートリッジの回収を店舗にて行っている。「JR尼崎駅店」で残業代の不払いがあったとして2007年(平成19年)11月5日に尼崎労働基準監督署から労働基準法違反で是正勧告を受け、全店舗での実態を報告するよう指示されていたが、12月21日従業員に対する不払いの残業代が2年間累計で計37億円に上ることがミドリ電化の発表により明らかとなった。不払いがあったのは退職者を含めて計3,382人(累計37億円)であるが、これは賃金の請求権が発生する2005年(平成17年)10月までの推定値としている。尚、不払い問題発覚までは月の残業時間が120~130時間と「過労死ライン」と呼ばれる80時間を遥かに超える極めて過酷な労働環境にあったことも同時に各種報道より明らかとなった。もともと同社では管理職(大半が名ばかり管理職)は年休がわずか50日程度という異常な勤務態勢が罷り通っており、キャンペーンや研修などで無給での休日出勤が強要されることも常態化していた。これを受けてミドリ電化は「管理職」制度の見直しを行うと共に木谷雅彦社長、梅原正幸取締役(前社長)ら役員4名が引責辞任、エディオン社長の久保允誉がミドリ電化会長を兼務した。
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