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Tu-160 (航空機)

Tu-160(ロシア語:)は、ソビエト連邦のツポレフ設計局によって開発された可変翼超音速戦略爆撃機である。ロシア語で「白鳥」の意味である「ベールイ・レーベチ」()の非公式愛称がついており、北大西洋条約機構(NATO)の用いたNATOコードネームでは「ブラックジャック」()と呼ばれた。その形状からアメリカ合衆国のB-1 ランサーに対抗して開発されたものとみられている。航空機70として開発が始められて、その後、試作1号機が1981年12月に初飛行しており、1982年2月に行われた試験飛行では音速を超えている。1987年には試作2号機が試験飛行中に墜落したが、この年の5月に最初の実用部隊である第184護衛重爆撃機連隊の2個飛行隊に配備されて運用が開始された。一方 西側諸国には、1981年11月にラメンスコイエ航空試験センターにあった試作1号機がアメリカの偵察衛星により確認されており、最初に公開された写真には、隣りにTu-144が並んで写っていたため、大きさがアメリカのB-1よりも一回り大きな機体であることが分った。その後には、名称もTu-160であることも判明したため、ブラックジャックのNATOコードネームが与えられている。機体は胴体から主翼まで滑らかに厚さを変化させたブレンデッドウィングボディを採用しており、固定翼部の前縁は角度が大きい後退翼となっている。エンジン配置を含む基本構成はB-1と似ているが機体サイズはB-1より一回り大きく、最大離陸重量はB-1Bの216tに対して27%増の276tに達する。また、搭載するNK-32エンジンはドライ推力でもB-1B搭載のF101のアフターバーナー使用時に匹敵しており、アフターバーナー使用時にはさらに80%近く増力する。一回り大きい機体と2倍近いエンジン出力により、最大速度はB-1Bのマッハ1.25に対してB-1Aのマッハ2.2と同等のマッハ2.05、最長航続距離はB-1Bを16%上回る14,000km、最大搭載量はB-1Bの34tを17%上回る40tとなっている。飛行性能はTu-160が上回っているが、ステルス性に関してはB-1が優れている。操縦装置は4重のアナログ式のフライ・バイ・ワイヤ方式を採用している。機首には、下面に目視照準用のOPB-15前方TVカメラが収められた張り出し窓があり、コックピット前方に引き込み式の空中給油用プローブが取付けられている。その他にも、アクティブECM防御装置、レーダー警報受信機、チャフ・フレア・ディスペンサーが装備されている。また、燃料タンクは胴体中央部の左右の固定翼部の前縁、胴体後部、左右の主翼内に5つあり、合計して170,000ℓの燃料を搭載できる。可変翼である主翼の後退角は20度、35度、65度の三段階から手動で選択する。離着陸においては20度、高速飛行においては65度を使用する。主翼は、前縁のほぼすべてにスラット、後縁最外側にドループ・エルロン、その内側に横に3分割されたダブルスロッテッドフラップ、上部に片側5枚のスポイラーを装備する。垂直尾翼と水平尾翼は全体が可動する全遊動式となっており、垂直尾翼の固定部前縁から胴体背部の主翼後縁部までの間にドーサル・フィンを持つ。エンジンはB-1同様、逆V字型の空気取入口の中央にスプリッター・プレートを取付けてアフターバーナー付きのターボファンエンジン2基に吸気を供給するポッド2基を胴体を挟んで装備しており、計4発を搭載している。ランディング・ギヤ(着陸装置)はB-1と同じ3脚で、主脚はB-1Bより1対多い3輪ボギー式の2重タイヤで6輪、前脚はB-1B同様の2重タイヤとなっている。前脚は後方に引き込まれて収納される。主脚は後方に引き上げた後、ボギー軸を90度捻ってタイヤ軸を機体中心線と平行にしてから収納される。機首に地形追随機能付きのオブソール-K(NATOコードネーム グラム・パイプ)多モード航法/爆撃レーダーを搭載し、地上からの一定間隔を保ったままの超低空飛行を可能としている。コックピットは4人乗りで、並列に2人ずつの座席があり、前列にはパイロットとコパイロット、後列にはシステム操作員2名が搭乗する。コックピットの計器にはグラスコックピットやヘッド・アップ・ディスプレイなどはなく、通常のアナログ計器を使用しており、中央に文字などを表示できるアナウンシエーター・パネル2基を配置している。機体のローリングとピッチングの制御には大型機で通常使用する操作輪ではなく操縦桿を装備している。操縦桿は根元部分が固定されグリップ部分だけが動く方式となっている。操縦席にはK-36Dゼロ・ゼロ式射出座席を装備しており、緊急時にはコックピットの天井部を吹き飛ばした後に射出する。乗員は前脚収納部にある搭乗口から乗り降りする。空調装置はなく、上部に扇風機だけがある。兵装類は、胴体中央にある縦に2分割されたタンデム配置の兵器倉に収納し、機外には搭載しない。通常爆弾の最大積載量は18,000kgまでだが、ミサイルを含めた攻撃兵器類を搭載した場合の最大積載量は40,000kgとなる。ミサイルはKh-55(AS-15A)またはRKV-500B(AS-15B)核巡航ミサイルを6発ずつ装着した回転式ランチャーを1つの兵器倉に各1基搭載することで最大12発、Kh-15P(AS-16)短距離攻撃ミサイルを1つの兵器倉に12発搭載することで最大24発を携行できる。アメリカはTu-160はB-1を模倣していると批判したが、これに対しソビエトは「同じコンセプトを目指した結果、同じ形になった」と反論した。このような機体の類似性に関するやりとりは当時の宇宙往還機「ブラン」や各国の超音速輸送機(ソ連ではTu-144)においても発生している。当初はTu-95を置き換える予定であったといわれているが、製造途中でソ連が崩壊してしまい、試作機8機を含むわずか35機しか生産されなかった。なお、ロシア共和国以外の地域に配備されていたTu-160はそれぞれ所属基地のある旧ソ連構成諸国に引き取られた。特にウクライナは19機を保有していた。しかしながら、Tu-160は極めて複雑な構造であったためこれらの旧構成諸国が運用するのは非常に難しく、全く運用されずに放置されていた。そのため、1990年代中期から2000年前後にかけてロシア連邦が買い戻し交渉により8機程度を入手したほかは解体処分となり、ウクライナの保有機は2006年までに全機が退役している。Tu-160は、2005年10月の時点で14機が運用中であり、2005年中に更に2機(内1機は、核巡航ミサイルではなく、通常爆弾を装備)を受領した模様である。これらの機体は、最高司令部直轄の第37航空軍(戦略航空隊)の第22親衛重爆撃機師団第121親衛重爆撃機連隊が装備している。2005年8月16日にはロシアのプーチン大統領がTu-160に搭乗して軍を電撃視察した。そして2007年8月17日、1992年以降中止していた戦略爆撃機による海外への長距離訓練飛行(パトロール飛行)を再開したと表明。また、2008年5月9日に赤の広場で挙行された軍事パレードにおいて展示飛行がなされている。さらに同年、製造工場に残っていた予備部品を組み立てて、1機のTu-160を取得した。加えて9月10日にはロシア国防省は2機のTu-160が同日、南米ベネズエラの軍事基地に到着したことを明らかにした。グルジアへの人道支援を名目に、ロシアが勢力圏と見なす黒海へ軍艦を派遣した米国を牽制する狙いとみられる。2014年には2023年からTu-160の新造機Tu-160M2の生産を再開し、50機を購入することが報じられた。2015年11月には、シリア騒乱でのアサド政権軍を支援するため、他の戦略爆撃機とともにISILに対して巡航ミサイル攻撃を加え、初めて実戦に投入された。

出典:wikipedia

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