千葉 涼子(ちば りょうこ、旧姓碓井(うすい)、1980年4月21日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。富山県中新川郡上市町出身、桜井昇八段門下。女流棋士番号35のち17、夫は将棋棋士の千葉幸生。女流タイトル戦登場9回。うち、女流王将のタイトルを2期獲得(2005、2006年)。棋戦初優勝は、2000年度の鹿島杯女流将棋トーナメントである。 石橋幸緒、矢内理絵子と共に、「花の80年生まれ・若手3羽ガラス」と呼ばれた("55年組 (将棋)" も参照)。また、女流ではない棋士を目指して奨励会にも在籍していたことがあり、同じく当時奨励会に在籍していた矢内、木村さゆり(現姓・竹部)と共に「奨励会3人娘」と呼ばれていた(当時はまだ、女流棋士と奨励会員の掛け持ちが認められていた)。奨励会受験に際し、入会金は父親に借りるという条件で受験し、入会後は女流棋戦の対局料で全額返済した。ちなみに、実弟も同時に奨励会を受験したが不合格となった。大盤解説では、解説の男性棋士相手に厳しく突っ込みを入れたり、時には解説者を上回る鋭い読み筋を披露したりと、聞き手としても才気煥発な面が目に付く。良くも悪くも、とにかく手が見える。高校の頃、フジテレビ「NO TIME 将棋」に解説として出演したが一手5秒という時間制限の中「両方気づいてないんだなと思いました」「これは悪手ですね」などとその頃からすでに才能の片鱗を見せている。2003年度から2005年度までの3年間、NHK杯テレビ将棋トーナメントで司会・聞き手を務めたが、その最後となる丸山忠久と渡辺明の決勝においては、頭の回転の速さや手が見える才能を遺憾なく発揮する。渡辺の63手目、▲3三桂不成と捨てる派手な妙手を(桂不成と桂成との違いがあったものの)ズバリと言い当て、解説の米長邦雄を驚嘆させる。米長は、「お、すごいね。それだよ! それ!それだ!!!」と叫んだ。そして渡辺が実際にその手を指したとき、米長は千葉に対して拍手をし、「素晴らしい一手を当てたとか感動を与えたとき、NHKから賞は出るの?」と言う。それに対して千葉は、間髪入れずに「実は出ないんですねー」。さらには、丸山の70手目△3四同銀(銀を犠牲にして自陣の安全などを得る好手)も言い当て、米長は「強いじゃないかー。今日は、もう、特別賞!」と褒めたが、千葉は、またも間髪入れずに「年間の失言で割り引かれて、マイナスのほうが……」とコメント。2009年のNHK杯テレビ将棋トーナメントでは、司会・聞き手の矢内理絵子が対局者として登場する関係で、千葉がスポットで3年ぶりに出演した。7月26日放送の橋本崇載対宮田敦史の一局では、終盤で宮田が勝ちになる一手(▲7一銀)を解説役の渡辺明よりも先に発見して指摘し、渡辺を「あ!」と言わせた(宮田はその手を指して勝利)。また、銀河戦でもスポット出演で聞き手を担当している(第13期の決勝戦・渡辺明×森内俊之など)。居飛車党。攻めっ気の強い将棋で豪快に勝ちをねらっていく棋風だったが、その後、攻防ともにバランスが取れ、厚みで押す棋風へと変わり、2005年の初タイトル(女流王将)奪取、翌年のタイトル防衛に成功した。将棋のセンスやポテンシャルについては高く評価されている一方で、メンタル面に課題があるともいわれている。肝心なところでムラっけがあるところがあるという本人談がある。女流四冠と呼ばれるすべてのタイトル戦に挑戦している3人目の女流棋士であり、挑戦数も多いが、中井・清水の2強に阻まれてタイトルに手が届いていなかった。特に2003年の第29期女流名人位戦では中井を先にカド番に追い込んだが、その後2連敗で痛恨の敗退を喫する。しかし2005年6月、第27期女流王将戦で中井を3連勝で破り、7回目の挑戦で遂に悲願の初タイトルを獲得。初防衛戦では中井に先にカド番に追い込まれながら粘り強く凌ぎ、フルセットの末に「花の80年生まれ」の中では真っ先に防衛を果たす。
出典:wikipedia
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