将棋会館(しょうぎかいかん)は、日本将棋連盟の本部のある建物。同様の施設を持つ関西将棋会館(かんさいしょうぎかいかん)についても紹介する。東京都渋谷区千駄ヶ谷二丁目にあり、千駄ケ谷駅から徒歩6分。また副都心線・北参道駅からも近い(徒歩8分)。1976年に建設。当初は8階建てにする予定だったが、建築規制のため5階建てとなった。棋士および女流棋士の公式戦の多くとタイトル戦の一部は将棋会館の対局室で指される。奨励会の対局も行われる。また、2009年3月まで存在した女流育成会の対局も行われた。対局室は和室で、座布団に座る形で対局を行う。対局室には、特別対局室、高雄の間、棋峰の間、雲鶴の間、飛燕の間、銀沙の間、桂の間、香雲の間があるが、2014年時点で桂の間は事実上の関係者控室として使われている。また上京した棋士のための「宿泊室」、椅子で対局する洋室の「研修室」もあり、一般の人が参加できる将棋道場など将棋教室も開かれている。以前は空き部屋があれば自由に棋士の研究会や練習将棋などで使用することができたが、2013年8月より禁止された。建設にあたり、吉永小百合が多額の寄付をした。剱持松二の人脈から三菱電機も多額の寄付をしており、会館の「高雄の間」の名称は、当時同社が販売していたテレビのブランドである「高雄」に由来するという説がある。このほか「将棋界の大旦那」として知られる七條兼三(詰将棋作家、秋葉原ラジオ会館創業者)も、建設中の代替施設の連帯保証人を務めるなど大きな尽力をしている。「東京将棋会館」と書かれることが多いが、誤りである。観戦記者の田辺忠幸は、将棋世界の連載エッセイで「東京将棋会館という建物はない」と指摘し、「東京・将棋会館」と書くことを推奨した。開設当初は地下にレストラン「歩(あゆむ)」が存在したが、会館の場所が文教地区指定を受けているため一般向けの営業ができず、関係者用の食堂としての営業を強いられたことなどが原因で1997年に閉店。以後は『将棋世界』等の編集を行う出版部の事務室となったが、2009年に日本将棋連盟が出版業務を毎日コミュニケーションズ(現・マイナビ)に移管したため撤退し、2011年にスタジオに改装された。開館から40年が経過し耐震性の問題が表面化するなど老朽化が目立ち始めたことから、2015年7月から9月にかけて全館休館し第一期耐震工事を実施した。第二期耐震工事は2016年3月中旬から5月上旬にかけて実施される予定である。※2013年12月現在。大阪府大阪市福島区にあり、JR福島駅から徒歩3分。1981年に建設。東京の将棋会館と同様、対局室が設けられており、関西所属の棋士の対局はここで行われることが多い。対局室には、水無瀬の間、錦旗の間、芙蓉の間、御下段の間、御上段の間がある。特に5階は、江戸城本丸で御城将棋等の公式行事に使用された御黒書院(おんくろしょいん)を模した作りとなっている。このほか対局には使用しない和室(御入側の間)、多目的ルームがある。東京と同様、将棋道場、将棋教室なども設けられている。4階には将棋博物館が併設されていたが、2006年10月に閉館となった。※2015年1月現在。関西将棋会館の4階にある博物館で、日本将棋連盟が保有している将棋関連の資料を展示していた。中将棋・大将棋などの日本の古将棋(大局将棋は展示されていない)を復元した盤駒や、世界の将棋類(チャトランガ・シャンチーなど)、木村義雄十四世名人の家族から寄贈された将棋盤などが展示されていた。1981年には、名人三家のひとつである大橋家に残された古文書が寄贈されている。2006年10月31日にスペース不足を理由として閉鎖され、所蔵品は大阪商業大学アミューズメント産業研究所に移管された。移管後は所蔵品の一部が同研究所内に常設展示されているほか、将棋に関する特別展示も不定期ながら開催している。
出典:wikipedia
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