東京都立新宿高等学校(とうきょうとりつ しんじゅくこうとうがっこう)は、東京都新宿区内藤町に所在する都立高等学校。1921年に開校した東京府立第六中学校を前身とする都立高等学校。2003年より進学重視型単位制に移行、一般入試の国語・数学・英語での自校作成問題を開始する(2014年度入試からはグループ作成問題の出題に移行)。土曜授業の復活や、年間2,000時間に及ぶ講習・補習の実施、主要教科の多くで習熟度別授業を実施している。進学指導では国公立大学への現役合格を前面に打ち出している。2007年6月、東京都教育委員会より、駒場・国分寺・小山台・町田と共に「進学指導特別推進校」に指定される。「自主・自律」を校是とし、校則は必要最小限のものにとどまっている。標準服はあり着用義務は無いが、多くの生徒が制服で登校している。新宿駅に近く、通学圏は都内広域にわたる。創立以来の「文武両道」の伝統を脈々と受け継ぎ、部活動、学校行事が盛んである。中でも水泳部や囲碁将棋同好会は強豪であり、囲碁将棋同好会は2014年、個人戦で第8回全国高等学校囲碁選抜大会へ出場した。戦前は、後に満州国師道大学学長となる阿部宗孝校長によって、戦艦三笠の「興國之鐘」(後述)が置かれるなど、他の府立中学の例に漏れず忠君愛国教育や一部に軍隊式教育を採り入れた厳格さでも特に知られていた。また、現在に至るまで学園祭や同窓会の呼称ともなっている「朝陽(ちょうよう)」の名は、明治天皇の御製「さしのぼる朝日のごとくさわやかに もたまほしきは心なりけり」に由来する。校章は朝陽と菊の葉を図案化したもので、菊の葉は皇室の御料地であった新宿御苑内に開校したゆかりを示している。「興國之鐘」とは、日露戦争時に活躍した戦艦三笠の時鐘(じしょう・時刻を知らせる鐘)の名で、三笠除籍後にその鐘が府立六中に下賜され、校内の鐘楼に掲げられて六中の象徴となっていた。終戦後、進駐軍による接収を逃れるために、その鐘は校内の地中に埋め隠されたといわれる(以後、何度か発掘作業が試みられたが発見されていない)。現在でも校地のどこかにこの「興國之鐘」が眠っているという伝説が残っている(1950年に勃発した朝鮮戦争による特需で金属類の需要が高まった時期に何者かが掘り起こしたなどの説もある)。第二の校歌ともいえる「六中健児の歌」(堀内敬三 作詞・作曲)の一節に「興国の鐘は響けり」とあるのは、この鐘のことである。また、この「興國之鐘」、荒木貞夫の「裕丸」なる刀、それと新宿御料地にあることを六中の「三宝」としていた。戦後は、1957年に東京大学現役合格者数で首位の座に立ったこともあり、国内屈指の進学校として全国的にもその名が知られていたが(1968年までは毎年70〜100名が東京大学に合格していた)、その後の学校群制度の導入、全共闘運動の波及による学園紛争の拠点校として次第に敬遠されるようになり、東京大学合格実績上位校の座は下りることになる。なお、定時制課程は、1924年私立東京六中夜学校、1933年東京府立六中夜間中学、1941年東京府立興國中学、1943年東京都立第六中学校第二部、1948年東京都立第六新制高等学校を経て、1950年東京都立新宿高等学校となり現在に至る。2005年度から各学年8クラスずつの計24クラス構成になった。2年生から文・理系に分かれるが、クラスによっては男子が理系で女子が文系の、文理混合クラスとなる。2007年度より国公立大学進学に重点をおくための「国公立対応Ⅱクラス」が設置されていたが、生徒全体の志望傾向より、あえて設置する必要性がないとして2012年度より発展的解消をしている。定時制は2007年度から募集停止・補欠募集のみとなり、2010年3月に閉課した。内藤町(新宿区)と千駄ヶ谷(渋谷区)の2区にまたがり、現在は新宿区側に校舎、渋谷区側にグラウンドがある。新宿御苑に隣接するため、新宿という喧騒の中にもかかわらず緑に囲まれた環境の中にある。定期戦として戸山高校との対抗戦である「戸山戦」(学校行事の項で後述)が毎年行われている。
出典:wikipedia
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