LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

紅楼夢

紅楼夢(こうろうむ、)は、清朝中期乾隆帝の時代(18世紀中頃)に書かれた中国長篇白話小説。全120回から成り、前80回が曹雪芹(そう・せつきん)の作、後40回は高鶚(こう・がく)の続作といわれている。『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』とともに旧中国の傑作古典小説に数えられ、『中国四大名著』とも言われる。石頭記(せきとうき・いしき)ともいう。上流階級の賈氏一族の貴公子賈宝玉(か・ほうぎょく)を主人公とし、繊細でプライドの高い美少女の林黛玉(りん・たいぎょく)、良妻賢母型の薛宝釵(せつ・ほうさ)の三角関係を軸に展開する。(とは言っても、どろどろした三角関係が小説の中心ではない。)小説は上流階級の生活の細部を描き、主人公たちの交情を克明に記しながら進行する。清代末期から紅楼夢を専門に研究する学問を紅学といい、この言葉は現代でも使用される。毛沢東も愛読し、1950年代の中国で紅楼夢論争も戦わされた。現代中国でも非常に有名な小説であり、映画や演劇、テレビドラマ化されることが多い。この小説の特徴はストーリー中心のロマンではなく、大貴族の深窓の令息令嬢の心理のひだが繊細に描きこまれていることにある。士大夫の経世済民という表向きの世界ではなく、弱くて感じやすい「児女の情」をテーマとするといえる。三国志演義の「武」、水滸伝の「侠」に対して紅楼夢は「情」の文学であるとされる。その一方で、主人公たちは儒教道徳や官僚の腐敗、不正に対する痛烈な批判を口にしており、乾隆盛世と呼ばれた当時の社会に対する批判的色彩も帯びている。また、当時の上流階級の日常生活が登場人物400人を超える規模で細部まで克明に描かれており、文化史的にも価値があるとされる。男女の人情を描いた中国の長篇小説としては金瓶梅に次いで古いものであるが、恋愛模様がプラトニックに徹しており情感も洗練を極めている点において好対照の位置にある。作者とされる曹雪芹についてはよくわからないことが多い。雪芹は字で、名は霑(てん)という。曹雪芹の祖父は康熙帝の時代に江寧織造として江南で清朝のために情報収集活動を行っていた曹寅という人物である。康熙帝の寵愛を得て莫大な富を蓄積し、曹雪芹の父もその職を継いだが、雍正帝の時代になると寵愛は失われ、家産は没収された。一家は後に北京に移り、曹雪芹が紅楼夢を書いた18世紀半ばには粥を啜るような窮貧生活であったとされる。賈宝玉は、祖先の勲功により代々高官を出し、皇室の姻戚でもある賈氏一族の貴公子である。賈宝玉は勉学が嫌いで、豪邸に同居する美少女たちと風流生活を送る。賈宝玉は趣味の合う美少女、林黛玉と相思相愛の関係となるが、お互いの気持ちをうまく伝えられない。二人はお互いに引かれながらも、ささいな嫉妬から大喧嘩をし、結局、病弱な林黛玉は悲しみを抱いて死亡。賈宝玉は「金玉(きんぎょく)の縁」で結ばれた温和な良妻賢母型の薛宝釵と結婚する。賈家は権勢を嵩に民衆を苦しめた罪で家産を没収され没落し、人々も離散していく。十二人の主要美少女・美女。台湾出身の著作家張明澄によれば、胡適や蔡元培などの大御所たちは『紅楼夢』をいつもカバンに入れ、数百回も繰り返し読んでいたという。しかも第一回は非常に読みづらく、最後までまともに読める人がいない。二回目はやや面白くなるが二回目くらいではあまり熱中する人はいない。第三回を読み始めると中毒状態になり、仕事や学習をさぼってでも読むようになるという。中国人からアヘン、麻雀、『紅楼夢』を取りあげたら、たちまち大発展してアメリカを追い越すだろうとさえ言った。また、『源氏物語』が(日本統治時代も含め)台湾で全く流行しなかったのも『紅楼夢』が原因だという。張明澄自身何度も『紅楼夢』を読んでゆくと、どうしても『源氏物語』が退屈に思えてしまうと述べた。中華民国時代になって胡適らの新紅学派は作者曹雪芹の人生をありのままに描いた自然主義文学であると提唱した。これに対してマルクス主義の文学者からは「ブルジョワ階級主観唯心主義」であるとする批判が起こり、新中国成立後の1950年代に紅楼夢論争が展開した。マルクス主義派は、紅楼夢を男尊女卑の封建主義に反抗する階級闘争文学であると主張したのである。もっとも、こういう中国の政治の影響を受けた解釈には当時から批判もあった。東洋史家の宮崎市定は「そんなことならなにも<紅楼夢>でなくともよいことだ。(中略)<紅楼夢>に描かれたのは、あくまでも繊細な、優美な感触である」と述べている。近世中国(明・清)文化研究者の合山究は「紅楼夢=仙女崇拝小説」という説を提唱している。訳者である中国文学者伊藤漱平は、大著『「紅楼夢」論』を長年かけまとめた。また近年、フランス語、英語、ドイツ語訳も相継いで出版されている。中国本土では何度か映画やテレビドラマにされている。その中で特に評価が高いのが1987年に放映された連続テレビドラマ『紅楼夢』(王扶林監督)で、中国テレビドラマ制作センターと中央電視台(CCTV)の共同制作による。日本でもDVD等で入手可能である。日本語訳も早くから、多数の抄訳版が出版されている、完訳は以下。 紅楼夢の写本は、当初約110回存在したと推定されるが、稿本が流出後80回以降が何らかの原因で散佚し、そのまま補足されない状態で作者と思われる曹雪芹が死去。その約三十年後、出版者程偉元の請求のもとで、高鶚が40回を付け加え、活字印刷版の120回本が世の中に出回ることになる。この高鶚の40回にも、もともと存在した前80回の手書きによる稿本にも、程偉元自身によるかなりの添削が入っていると一般に思われる。現存最古の手抄本「甲戌本」が発掘された1927年まで、紅楼夢は一般に活字印刷版の「程本」で流通しており(詳しくは「程甲本(1791)」と「程乙本(1792)」などと区別される)、物語の内容も「程本」で広く認識されていた。一方、手抄本のほとんどがすべて「脂硯斎重評石頭記」と題しており、それぞれ朱筆あるいは墨で本文の上や行間や脇に「脂硯斎」をはじめとする評論家による評論文字を書き足している。これら手抄本は一般に「脂評本」と称されている。「脂評本」写本の系列の中で最も内容が古く、原稿に近いとされる「甲戌本(1754)」、「己卯本(1759)」、「庚辰本(1760)」などを詳しく調べると、印刷版の「程本」の原文字に対する添竄が明らかになる。このような添竄は、後継者高鶚と程偉元が書いた後40回の内容が、散逸した原作の精神と乖離すると判断するに十分なものとされている。なお、現存の全ての「脂評本」系列の手抄本は80回以降の内容について本文を残していないばかりでなく、散佚各回の題名「回目」も残されていない。そこで80回以降の原稿内容は、いわゆる「紅学」の中心問題の一つに数えられるようになった。80回以降の原稿の本文や回目は見つからないが、前80回の本文中の詩文や特定事件の表現手法、それに加え特に評論家脂硯斎や奇笏叟などによる評論文字などから、80回以降の少なくとも一部の内容は暗示または明記されているとみるのが定論である。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。