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関根金次郎

関根 金次郎(せきね きんじろう、1868年4月23日(慶応4年4月1日) - 1946年(昭和21年)3月12日)は、明治から昭和初期の将棋棋士、十三世名人。本来の表記は關根金次郞。将棋連盟や実力名人制を創始した事から近代将棋の父と称される。下総国葛飾郡東宝珠花村(後の千葉県東葛飾郡二川村東宝珠花、さらに関宿町、現在の千葉県野田市東宝珠花)の生れ。東宝珠花村の近くにあった岡田村の寺子屋に通わせられるが、途中、将棋を指してばかりのため、やめさせられてしまう。次に学校に通わされると、学校では将棋好きの校長先生と指し、村では老人らと指し、一日ごとに強くなる実感を得る。ついには、あまりの強さに村中で相手がいなくなり、宝珠花小僧の異名で呼ばれるようになった。学校に行くふりをして弁当持参で遠くの村にも遠征した。その後、親によって学校に行くのをやめさせられ、奉公に出されるも、将棋を指してばかりで1週間 - 10日ほどで追い出され、奉公先を転々とする。11歳の春、将棋指しを志して上京し、十一世名人伊藤宗印の門戸をたたき、四枚落ちで指してもらう。いったん郷里が恋しくなり帰郷した後、再び伊藤を訪れたところ、しばらく東京から離れて将棋遊歴(修行の旅)に出ることを勧められ、旅に出る。この旅には数々の武勇伝がある(後述)。その後、明治16年に二段、20歳で三段、明治23年に四段。明治24年大阪で小林東白斎八段と角落戦でやぶれて発奮し、また、四国、中国、九州と遊歴したのち(関根自身は将棋の勉強のために、全国を三巡したことがあるとのちに言っている)大阪でふたたび対戦し勝利をおさめた。1893年(明治26年)に師匠の十一世名人伊藤宗印が死去すると、政界などの後押しを受けた小野五平が、十二世名人を継ぐことになった。その名人披露の招待状が来なかったことに怒った関根は、小野に挑戦状を送るが、吉川顕正らが間に立ち、和解。のちに関根は「生涯の一大過失」と反省している。明治28年五段、30年六段、31年七段、38年八段準名人。ライバル坂田三吉とは1894年(明治27年)に初手合わせを行い、3度戦って関根の2勝1敗。最後の対局(1918年(大正7年))までに生涯32局戦い、関根の15勝16敗1分だった。対戦後期は坂田に対して分が悪くなっていたが、弟子の土居市太郎七段が1917年に坂田を平手で破っていたことが大きく、53歳(1921年(大正10年))で、十三世名人の位に就く。1924年(大正13年)9月8日には、東京で専門棋士を擁していた東京将棋倶楽部・将棋同盟社・将棋研究会の三派を合同させて東京将棋連盟(現在の日本将棋連盟)を結成。関根自らは名誉会長に就任し、弟子の土居を会長に就任させた。 小野五平が91歳までの長寿であったため、関根が名人の座に就いたのは、すでに盛りを過ぎていた頃であった。そこで、将棋連盟顧問の中島富治が実力による短期名人制を発案し、関根自身も英断を行う。弟子の金易二郎(当時八段)を将棋連盟の会長とし、金は1935年3月26日付けで「三百年伝統の一世名人の制を廃す」(抜粋)との発表。同日付で関根も「中島富治を通じて辞任を申し出たところ了承され、昭和12年(1937年)70歳をもって名人位を退くことにしてくれた」(抜粋)との声明を発表した。これにより、実力制の名人戦(第1期名人戦)が始まる。ところが、第1期名人戦の途中、神田辰之助七段(当時)の八段昇段問題が引き金となり、棋界の分裂騒動(神田事件)が起こる。神田を支持する棋士が脱退し、反対派と中立派が連盟に残った。多くの弟子・孫弟子達も絡んだいさかいに心を痛めた関根は、四日市に住む兄弟子・小菅剣之助(元棋士・実業家)のもとを訪れ、仲裁を懇願。小菅と関根が「将棋大成会」と名づけた会に神田一派も加わって大同団結し、神田も加えて名人決定戦が続行されることとなった。晩年は視力を失ってしまい、医者にも「回復の見込みなし」と診断され、失意の中で過ごしたと言われる。弟子の木村義雄が実力制第一代名人の座に就くのを見届け、終戦の翌年(1946年)に死去する。享年77。なお、関根一門からは土居名誉名人、金易二郎名誉九段、花田長太郎九段、木村義雄十四世名人、小泉雅信八段、渡辺東一名誉九段、五十嵐豊一九段などが輩出している。2004年(平成16年)4月1日、出身地である千葉県野田市の複合施設「いちいのホール」(旧関宿町役場庁舎を改装)5階に「関根名人記念館」が開館した。関根の書体の銘駒もあるが、これは、1936年(昭和11年)に将棋大成会(日本将棋連盟の前身)が創立された記念に、関根が駒師龍山に駒を依頼し、関根に代わって龍山が字を書き「関根名人書」としたのが真相であると、後に遺族が語っている。将棋遊歴をしていた際、以下のような経験をしている(本人談)。

出典:wikipedia

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