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六花亭

六花亭製菓株式会社(ろっかていせいか)は、北海道帯広市に本工場を構える菓子メーカーである。コーポレートメッセージは「お菓子は大地の恵みです」。坂本直行(さかもと ちょっこう)による草花の絵をモチーフにした包装紙が有名。また、現在の主力商品であるマルセイバターサンドは北海道銘菓として人気が高い。六花亭の前身は、千秋庵の一店舗である札幌千秋庵から1933年に暖簾分けした帯広千秋庵である。開業したのは札幌千秋庵社長の岡部式二の弟である同店店員の岡部勇吉で、喫茶と和菓子製造の店を帯広市内に設けた。十勝平野で豆類や甜菜糖など菓子材料が豊富に産出されること、札幌から離れていて商圏がバッティングしないことなどから帯広を選んだとされるが、同地にはすでに十数軒の和菓子屋が存在しており厳しい競争にさらされた。岡部は体調不良もあって1937年に辞任し、札幌千秋庵店員で岡部の甥にあたる小田豊四郎が引き継いだ。当時の帯広は人口が約3万人しかおらず、葬儀屋や神社を回って冠婚葬祭の注文を得たものの、経営は引き続き厳しかった。しかし、1939年初頭に取引先の問屋から融通された資金で砂糖を大量に購入すると、同年10月に実施された価格統制令の影響により同業他社では砂糖が不足するようになり、六花亭は地域一番店の地位を確立した。第2次世界大戦のため1943年に小田が戦地に招集され、翌1944年には工場疎開のため菓子製造は休止状態となっている。1946年6月に小田が復員し、帯広千秋庵は営業を再開した。統制品の使用を避けて蜂蜜や卵、牛乳などを用いたアイスクリームやカボチャ饅頭を製作し、物資の不足する中で好調な売れ行きを得ている。1952年には帯広市から注文を受けて開基70周年記念式典用に依田勉三の句から命名した最中「ひとつ鍋」を開発し、これが初の地域オリジナル菓子となった。「ひとつ鍋」は式典の後も店頭に行列ができる人気商品となり、1日に10万円の売り上げを記録するほどになった。「ひとつ鍋」のヒットから、郷土をイメージさせるデザインやエピソードを付加させることの重要性を小田は認識し、続いて1954年に郭公の里、1956年に「らんらん歌」、1958年には「男爵」を発売するなど、次々に商品開発を進めていった。さらに十勝で盛んな酪農を生かした洋菓子作りも始め、1963年に「大平原」と名づけたマドレーヌ、1972年には「万作」を発売している。これに前後して1955年には72坪(約238m²)の製菓工場を改築し、1957年に優秀食品衛生工場として厚生大臣から表彰された。また、帯広千秋庵が1960年から発行を始めた月刊児童誌『サイロ』の表紙を描いていた縁から1961年には坂本直行に包装紙のデザインを依頼し、5色印刷の花柄が現在まで続いている。小田は1967年にヨーロッパを視察した際にスイスでホワイトチョコレートを食べ、現地のチョコレート工場の視察とあわせて日本でもチョコレートの売上げが増大すると考えた。帰国後、不二家顧問の松田兼一に製造の指導を受けて、1968年に工場を新築して生産を自動化し、チョコレートの販売を開始した。通常のチョコレートは売れたものの、ホワイトチョコレートを製造販売する業者は当時の日本国内にほぼ存在せず、帯広千秋庵での売上げも芳しくなかった。しかし、1971年頃からカニ族の若者の土産を中心にホワイトチョコが人気を呼んで全国的な知名度も上がり、1972年には帯広千秋庵の売上げの3分の2を占めるようになった。また、従来の帯広近郊のスーパーへの出店に加え、1974年に初の直営店として帯広市内に西3条店を開設した。この商品が現在ホワイトチョコレートとして売られているもののオリジナルである。ホワイトチョコの人気を受けて札幌では類似品が出回るようになった事などから、札幌進出を計画。本家である千秋庵総本家からは「仲良くやれ」ということで許可が出たが、札幌千秋庵が拒絶。その後、別会社を設立して千歳空港での販売を開始したところ札幌千秋庵から商標権の使用中止要請があり、1977年5月に千秋庵の暖簾を返上して六花亭に屋号を変更した。六花(りっか)は東大寺管長の清水公照が命名したもので、六角形の花、すなわち雪の結晶を意味する。そのままでは読みにくいため「ろっか」とし、下に亭を付けている。六花亭への改名を記念して「マルセイバターサンド」を発売、5年程経った頃にはそれまでエース格商品であった「リッチランド」を凌ぐ同社最大のヒット商品となった。翌1978年には西帯広駅に程近い帯広工業団地に9,670坪の敷地を購入して1,500坪の工場を建設、初の札幌市内の店舗として同年の開店とともに札幌そごうに出店した。1979年に札幌ヨークマツザカヤ、1980年には札幌東急にも進出して徐々にブランドイメージを高め、2006年の時点では札幌市内の全ての百貨店に出店している。また1981年には札幌に続いてイトーヨーカドー釧路店に出店した。帯広市内に1979年に製餡工場、1988年に和生および洋生工場を、1998年には中札内村にマルセイバターサンドの一貫製造ラインを備えた「六花亭中札内ファクトリーパーク」を建設するなど生産設備の増強を進める一方で、21世紀に入っても売上の過半を占める札幌へは片道5時間のトラック輸送を続けている。これは、製菓は根気の必要な作業であるため十勝を離れるべきでない、という同社のポリシーに基づく。また、これらの資金調達の一環として1992年にドイツマルク建で普通社債1,200万マルクを、1996年に銀行保証付のユーロ円建普通社債10億円を発行するなど、地方の菓子メーカーとしてはかなりユニークな手法を採っている。1991年に全社を禁煙とし、1995年には新製品の開発拠点として六花亭研究所を設立した。この研究所で1998年にストロベリーチョコが開発され、2006年には20億円の売上を計上するにいたった。2014年現在、帯広地区に16店舗、札幌地区に40店舗、釧路地区に5店舗、函館地区に4店舗、旭川・富良野地区に3店舗を有し、北海道内の広い範囲に出店している。1996年からはインターネット通販も行っている。さらに、年次有給休暇100%消化に力を入れており、1979年以来続けていることでも全国的に有名。2010年3月の時点では、グループ売上高は188億円であり、東京都に支店を持たない製造業としては日本一である。うち80億円をマルセイバターサンドが占め、ストロベリーチョコと霜だたみがそれぞれ20億円、15億円で続いている。また、板チョコが15億円でこれに次ぐ。出店は北海道内に限定しており、直営店を基本とするが、新千歳空港では例外的に多数の売店で販売を行ない、知名度の向上に寄与している。一方で本店で扱われる商品は200点以上にも上るが、そのほとんどは単価が200円未満であり、地元の顧客の日常的な購入を重視している。1998年からはセルフサービス方式で販売員数を抑えた「花六花」の展開を始め、家庭向けの販売を強化した。その他、洋菓子・和菓子ともに幅広く菓子一般を扱う。小田は2007年5月16日付け北海道新聞夕刊の意見広告「社長の思い」の中で、「今のところ私どものお菓子に道産(北海道産)小麦の出番はない」、「地産地消にこだわりすぎて、製品のおいしさをないがしろにしては本末転倒」と記している。2015年の帯広畜産大学長との対談でも「お菓子にはダメ」と変わらない考えを述べている。北海道農政部では麦チェン!として輸入小麦を道産小麦へと転換する事業を推進しており、石屋製菓(白い恋人)、柳月(三方六プレーン)、きのとや(札幌農学校)等、他の北海道の製菓会社では北海道産小麦を使い、その社を代表する商品をつくっている。広告によると同社を代表する菓子「マルセイバターサンド」には北米産の小麦が使われているという。一部の支店ではコーヒーが無料だが、喫茶スペースでは有料である。あずき味などのソフトクリーム・ミックスやマルゲリータなどのピザ・ワッフルなどを注文でき、生年月日証明書があればケーキ1ピースと店員が写真撮影するサービスがある。

出典:wikipedia

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