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かわいそうなぞう

『かわいそうなぞう』は、児童文学作家、土家由岐雄によるノンフィクション童話。太平洋戦争中の東京・上野動物園で、ゾウが戦時猛獣処分を受けたという実話を元にしている。1951年(昭和26年)に童話集 『愛の学校・二年生』(東洋書館)に収録・発表された後、1970年(昭和45年)8月、金の星社より「おはなしノンフィクション絵本」として出版された。絵本は1998年(平成10年)までに100万部が発行され、2005年(平成17年)時点での発行部数は220万部を超える。この作品は絵本のほか、紙芝居としても出版されている。第二次世界大戦が激しくなり、東京市にある上野動物園では空襲で檻が破壊された際の猛獣逃亡を視野に入れ、殺処分を決定する。ライオンやクマが殺され、残すはゾウのジョン、トンキー、ワンリー(花子)だけになる。ゾウに毒の入った餌を与えるが、ゾウたちは餌を吐き出してしまい、その後は毒餌を食べないために殺すことができない。毒を注射しようにも、象の硬い皮膚に針が折れてしまうため、餌や水を与えるのを止めて餓死するのを待つことにする。ゾウたちは餌をもらうために必死に芸をしたりするが、ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していく。戦前、上野動物園(東京)・天王寺動物園(大阪)・東山動物園(名古屋)などでは、それぞれ多くの動物が飼育されていた。しかし戦争の激化により、空襲時に逃げ出したら危険ということで、陸軍の判断に基づき地方行政から猛獣たちを殺処分する戦時猛獣処分の命令が出された。本作を含め、多くの物語で直接の軍の命令とされているが正確ではなく、実際に殺処分命令を出したのは、初代東京都長官(現在の東京都知事)となった内務官僚・大達茂雄であった。各動物園の職員たちは反対したが、食糧事情の悪化などもあり、終戦を迎えた時点でほとんどの動物は死を迎えており、大きな動物で戦争を生き延びたのはキリンだけであった。なお、本作で登場したゾウのジョンは1943年(昭和18年)8月29日、ワンリーは同年9月11日、トンキーは同年9月23日に餓死している。東京が都政を敷いてまもない1943年(昭和18年)の出来事であり、東京都として最初期に行った動物園行政が飼育動物の殺処分命令であった。上野動物園にはこの象舎のすぐそばに動物慰霊碑が建立され、この戦争で命を落とした動物たちに対しての慰霊の行事は、終戦後70年余を経た2016年現在も続いている。絵本の発表以降も数々の合集や副読本に収録されるだけでなく、学校図書と教育出版が小学校2年生向けの国語教科書に採用し、1974年(昭和49年)から1986年(昭和61年)まで使用された。1979年(昭和54年)には英訳版の絵本『』も刊行された。秋山ちえ子は自身が出演していたTBSラジオの番組『秋山ちえ子の談話室』で、1970年(昭和45年)から2002年(平成14年)の32年に渡り、毎年8月15日(終戦記念日)に『かわいそうなぞう』を朗読した。談話室が終了した翌年の2003年から2015年までは、『大沢悠里のゆうゆうワイド』の中で、秋山ちえ子の談話室とほぼ同じ時間に放送された。1980年(昭和55年)放送の日本テレビのドラマ『熱中時代』先生編 第2シリーズ第2話「二年三組とかわいそうな象」の中でも、教材として使われている。野坂昭如の『戦争童話集』に収録されている『干からびた象と象使いの話』も『かわいそうなぞう』同様に猛獣の処分をテーマとした作品だが、この作品を読んで児童文学評論家の長谷川潮は『かわいそうなぞう』の事実と異なる創作部分に疑問を持ち、本格的に戦争をテーマにした児童文学の研究を始めるようになったと述べている。1981年(昭和56年)9月に、長谷川は『季刊児童文学批評』創刊号にて『かわいそうなぞう』の批判を中心にした評論「ぞうもかわいそう」を発表し、虐殺と空襲の時間的関係を明らかにせずに虐殺の持つ真の意味を書き出すことなく完結させたと批判し、戦争における猛獣虐殺をテーマにした児童文学作品に潜む問題点を追求した。長谷川の評論はNHKのプロデューサーの目に止まり、1982年(昭和57年)8月には評論の主旨をもとにしたドキュメンタリー番組「そして、トンキーもしんだ - 子が父からきくせんそうどうわ」が『NHK特集』で放映された。さらに、同年11月にはこのドキュメンタリー番組を絵本化した『そして、トンキーもしんだ』(作:たなべまもる / 絵:梶鮎太)が国土社から出版された。

出典:wikipedia

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